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原始村のジパング物語【第三話】

Photo 昔昔のその昔、ここは広い海に囲まれたある島の中、島の真ん中を流れる大きな川の中州になっている場所に、「ジパング村」という小さな村がありました。

ジパング村は中州という狭いところにある村なので、小さい家や土地でもとても値段が高くなっていました。あまりにも家や土地の値段が高くなってしまったので、村役場の大蔵さんは、これ以上値段が高くならないように「ソーリョーキセイ」という立て札を立てました。

ところが、家や土地を買う人の中には、買った家や土地を次々と高く売って儲けている人たちがいたのですが、「ソーリョーキセイ」のためにこれ以上値上がりしないと分かると、もう家や土地を買うのをやめてしまいました。そうなると、買う人が減って売る人が増えたので、家や土地の値段が急激に下がり始めました。

ジパング村の普通の人々は、両替商から「ローン」でお金を借りて家を建てていましたので、せっかく買った家の価格が下がってしまうと、何だかとっても損した気持ちになりました。
商人(あきんど)達はもっと深刻で、毎年商売の「決算書」を作らなければならないのですが、「資産」として買った土地の価格が下がると、せっかく商売で利益がでても、資産の評価損で赤字決算になってしまうのです。「決算」が赤字だと、商売の信用上の問題が発生してしまいます。こうして、村人達は節約して暮らすようになり、商人は使用人の数を減らしたり、仕入れを減らしたりしたので、村はすっかり元気がなくなってしまいました。

村役場でも、大きな問題が起こっていました。村の元気がなくなってしまった結果、年貢の納めが減ってしまい、村が借りているお金が返せなくなり、借金を返すためにまた借金する、という状態になってしまいました。これでは、借金がどんどん増えてしまいます。

箸元リュータロー村長は、「財政を再建します」と宣言して、村の予算を少なくしたため、村ではお祭りが中止になったり、道の雑草刈りも行われなくなったりで、さらに元気が無くなってしまいました。よその村からジパング村の商人にお金を貸していた「ファンド」という人たちも、貸したお金を引き上げて自分達の村に帰っていってしまいました。村人たちは、これを「橋本失政」と呼んで、後世まで語り継ぐことになります。

替わって村長になった尾撫地ケイゾーは、積極的に両替商から借金して、盆踊り大会や秋祭りを復活させ、道の雑草刈りや川岸の堤防作りなどをやったので、人足たちは仕事が増え、村に活気が少しずつ戻ってきました。「ワシは世界一の借金王じゃ。」と自慢していた尾撫地村長でしたが、不幸なことに脳卒中で突然帰らぬ人となってしまいました。

村の実力者たちは、急いで次の村長を決めるために集まり、藻利ヨシローというデブで口の軽い男を村長にしましたが、本人は面白いとおもって言っているジョークが村人には全然うけなくて、次の村長選挙では鯉墨ジュンイチローという黒魔術使いの変人が村長になりました。

鯉墨村長は、「カイカクなくして成長なし!」という呪文を唱えて、村の予算を減らしました。このため、せっかく元気が戻り始めたジパング村は、再び元気が無くなっていき、例えば「兜屋」で売られている「株」という商品の値段は、2年で半値まで下がってしまいました。

鯉墨村長は怠け者なので、村役場の仕事は岳那珂というお坊さんに丸投げしていましたが、岳那珂坊主は「市場原理経」の熱心な信者だったので、「シジョーゲンリ」「シジョーゲンリ」とお経を唱えて、村の商人たちに「市場原理経」を押し付けていきました。
この頃、ジパング村は「デフレ病」という病気が蔓延していて、商人が売る商品の量より、村人が買う商品の量が少ないのが原因とわかっていました。そこで、岳那珂坊主は商人の売る商品の量を減らす、という奇策を取りました。岳那珂坊主は、「サプライサイドのカイカク」と自賛しましたが、「デフレ病」の時は「ゲンゼイ」や「コーキョージギョー」で村人の買う量を増やすのが正しい処方と考えていたよその村々の村長たちは、「そんな荒療治をして大丈夫か?」と驚き、「サプライズのカイカク」と思いました。

案の定、村の商人たちは次々と商売をやめて店をたたみ始めました。老舗の大店も例外ではなく、廃業していきました。そこに米村から飛んできた「ハゲタカ」が群がり、店の看板をかっさらっていってしまいました。

この間、岳那珂坊主はよその村に行商にいって稼いでいる「ダイキギョー」という商人たちは優遇しなければならないと言って、「キギョーゲンゼイ」や「為替カイニュー」を行いました。鯉墨村長は「カイカクで財政を健全化する」と言っていたのに、実際には「為替カイニュー」のために村の借金は空前の規模まで膨らんでしまいました。

こうして、米村の「格付け会社」によって、島のさいはての「ボツワナ村」と同じランクに格落ちしたジパング村でしたが、この頃になるとすっかり値下がりしてしまった村の家や土地を、米村から来た「ファンド」という人たちが買い漁り始めました。こうして島中の村の人々が心配した「大キョーコー」に至らずに、ジパング村は「デフレ病」を克服し始めたのです。

鯉墨村長と岳那珂坊主は、「デフレ病」から快方に向かっているのは「カイカク」の成果と自賛しながらも、村人たちが何かおかしいと気付く前に、「郵政ミンエーカ」という次の黒魔術をかけて、村人たちをたぶらかすことを忘れませんでした。

これは、昔昔その昔、海に囲まれたある島の中の、小さなジパング村の物語です。

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「カイカク」と「バラマキ」②

R_koo 第二次安倍内閣が発足し、秋の国会では与党対野党の真剣勝負が始まることに期待したい。おそらく自民党は、自らの政策を「カイカク」と言って正義とし、民主党の政策を「バラマキ」と言って悪役に仕立てようとするだろうが、「カイカク」とは何か、「バラマキ」とは何か、をしっかり見極めないと、われわれ国民は相変わらず「B層」と言われ、馬だの鹿だのと思われてしまうだろう。

「カイカク」と「バラマキ」について、再度検証する。

この15年ほどの間の日本の財政政策に関して、「財政再建」は良いことだ、「財政出動」は悪いことだ、という固定観念が根付いていると思われる。832兆円にも上る政府の財政赤字(06年度国債および長期借入金残高)を念頭に、財政の健全化、将来世代にツケを回さない、という方向を目指せば、緊縮財政は正しいことと思われる。特に、小泉前首相が「財政再建路線」を「構造改革」と名付けてから、「財政再建路線」=「改革」=「良いこと」というレトリックが完成したようだ。対極にあるのは国による景気対策としての財政出動であり、「公共事業投資」と「減税」である。財政赤字の主な原因が過去の公共事業投資であり、それらは無駄な道路や無駄な箱モノに使われ、怪しい利権も絡んでいるらしい、ということから「バラマキ」と呼んで「悪いこと」という印象を持たれている。新しい第二次安倍内閣も、開口一番「これからもカイカクを続行します。」と言い、「バラマキの政治に戻ることは許されません。」と言い切っている。

しかし、単なる「良いこと」「悪いこと」という単純なレトリックに終始し、本質の議論を逃げていては、政治としては寒々しい。

ここで、過去の公共事業投資が果たして適切に執行されたか、無駄は無かったか、利権絡みの不正はなかったか、という問題は棚上げして、純粋に経済主体としての国の財政政策を考えてみる。

「カイカク」路線とは、「財政再建路線」であり、「小さな政府路線」である。「民にできることは出来るだけ民に任せ」、警察や消防のような利益を求めず、国民の生活を守る部門の運営に集中する「夜警国家」を目指す考え方である。経済理論としては新古典主義に立ち、市場原理にすべてを任せることで最適な状態が生まれると考え、市場原理を阻害するような規制や慣行の排除に重点を置く。

一方の「バラマキ」路線とは、国は必要な時には財政赤字が増えようとも財政出動を行わなければならない、という考えであり、経済理論としてはケインズ主義に立つ。国の経済の不況期は、需要が減退して供給が過多になっている状態なので、政府の財政支出で需要を作り出して経済活動を刺激すると、やがて波及効果で経済が自律的に回復する、という理論モデルである。

問題は、90年代のバブルの崩壊以降、日本政府は様々な景気対策として公共事業を中心とした財政政策を行ってきたが、10年以上に及ぶ不況を克服できず、巨額の財政赤字を積み上げてしまった、ということであろう。この事から、経済政策担当者の間にはケインズ主義の考え方は通用しなくなった、と考える風潮がある。

ところが、野村総合研究所のリチャード・クー博士の見解は、この時期の日本の経済の状況について、バブル崩壊による不動産価値の下落で、バランスシート上に大きなマイナスを抱えた企業が、バランスシートの健全化に注力した結果、需要が減退した(投資や技術研究費への支出を取りやめて、借入金の返済を急いだ)とみて、この時期の政府はより積極的な財政出動をするべきだった、と指摘している。

1996年、橋本内閣時代の日本のGDP成長率はG7でトップの実質4.4%だったが、1997年から財政再建路線に舵をきったために経済に変調をきたし、5四半期連続マイナス成長という最悪の状態になった(「橋本政権の経済失政」)。参院選惨敗の責任を取って退陣した橋本政権に代わった小渕政権は積極的な財政出動をして、2000年の名目GDP成長率はプラス1.2%に転じた。
その後、2001年に小泉政権が発足すると、緊縮財政政策をとったために名目GDP成長率は再びマイナス2.1%となり、2004年になってやっとプラスに転じた。

小泉内閣が登場したとき、「痛みを伴う構造改革を断行することで、景気回復させる」と宣言し、国債発行額を毎年30兆円以下に押さえることを公約した。そのような緊縮財政政策を取った結果、政府の長期債務残高(国債残高が中心)はどうなっただろう。96年に320兆円だった残高は、98年400兆円、2002年421兆円、04年499兆円と増え続け、06年は832兆円になっている。

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あまり新聞や雑誌に取り上げられない「1人当たり名目GDPの国際順位」というものがある。橋本、小渕、小泉3政権の期間を比較すると、1994年度には日本は1位だったが、橋本財政改革の失敗で7位に転落、その後の小渕政権の積極財政で2位に戻している。
ところが、2001年からの小泉内閣の構造改革の結果、2005年度には14位に急落してしまう。これによって日本の国際的評価も急落してしまった。

2003年を底に株価が回復し、この2年は景気回復を示す経済指数が表れているため、小泉-竹中改革は上手く行ったと考える人もいるが、リチャード・クー博士のように現在の景気回復は企業の借金返済が進んだ結果であり、政府の間違った緊縮財政政策(改革路線)がなければもっと早く良い状態になっていた、という考えもある。

一般の家計であれば、借金が膨らんでしまったとき、支出を切り詰めて借金を減らそうとするのは当然だろう。このため、「カイカク」派の人々が、巨額の財政赤字を減らそう、将来世代にツケを回すのはやめよう、と言えば「なるほど、その通り」と思うのが人情だろう。しかし、家計の場合でも、支出を切り詰めれば食べるものや着るものも粗末になるばかりか、体調が悪くても医者に行かないようにするかもしれない。そして、より収入の多い仕事に移るか、景気回復を待つのみとなる。
国の場合も同様に、財政支出を抑えれば、「無駄」を排除するだけではなく、医療や福祉、教育補助や地方支援の支出も抑えなければならなくなる。さらに、国の場合はただ切り詰めるだけでは経済停滞を加速し、国の経済の国際競争力を損なう、という影響もある。国は、景気を回復させる責任を負っているのである。

「カイカク」は必ずしも正しいのか?「バラマキ」は必ずしも悪いことなのか?与野党真剣勝負の秋の国会では、突っ込んだ議論を期待したい。

参考: Electronic Journal

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原始村ジパング物語【第二話】

Photo_2 これは、昔昔その昔、海に囲まれたある島の中の、小さなジパング村の物語です。

この島では、いくつかの村が共存していて、村と村の間の物々交換も盛んに行われていました。その際、物々交換の不便を補うために、「カヘイ」という貝殻がモノの売り買いに使われていました。米村では「ドル貝」、欧村では「ユーロ貝」、ジパング村では「エン貝」が使われ、それぞれの貝の価値は島の貴重資源である「ゴールド」との交換で保証されていました。

ところがある日、米村の肉損村長が、ドル貝とゴールドの交換を止める、と言い出しました。米村ではドル貝がたくさん取れるので、その貝殻をどんどん「カヘイ」として使った結果、大量のドル貝の価値を保証するだけの「ゴールド」の量が足りなくなってしまったのです。

米村は島の中でも一番大きな村なので、どこの村にとっても行商相手として重要な存在でしたから、島の各村長が集まって相談した結果、「米村が責任を持ってドル貝の価値を保証するなら」という条件付きで、このワガママを認めました。

米村の人々は大食いなので、よその村々から多くの食料を買っていました。とくにジパング村で作られる食料は美味しいので、たくさん買付けていました。ジパング村には売上代金のドル貝が山と積もり、自分たちの持つべきエン貝の量は減ってしまいました。ジパング村の人々は、米村にドル貝とエン貝を取り替えて欲しいと言いましたが、米村の人は「それなら、エン貝1枚とドル貝10枚なら交換しよう」と言いました。

もともとエン貝とドル貝は1対1で取引したので、ここでエン貝とドル貝を1対10で交換すると大損してしまいます。それに、エン貝とドル貝の交換比率を変えると、連動してユーロ貝とドル貝の交換比率も変わってしまうので、島の貝殻の価値がメチャクチャになってしまいます。結局、仕方がないので、ジパング村の人々は、手持ちのドル貝と米村の「コクサイ」という干し肉と交換することにしました。「コクサイ」は米村に預けておくと、毎年少し増やしてもらえるのです。

ジパング村の人々は働き者なので、毎日一生懸命働いては、その収穫物を米村に売り、もらったドル貝は、せっせと米村の「コクサイ」と交換しました。でも、村のエン貝は全然増えないので、働いても働いてもお財布の中のエン貝は増えません。財布の中のエン貝が増えないとモノが買えないので、村の消費は停滞します。商人たちはモノの値段を下げないと売れないので、あまり儲からなくなりました。子供を集めて勉強を教える寺子屋では、「ホイクリョウ」や「キュウショクヒ」を払えない親が増えました。

ジパング村の村役場では、「記録的な好景気だ」といい、米村にモノを売る行商人に頑張ってもらって村を豊かにする「アゲシオ路線だ!」とマイクで広報していますが、村人たちはちっとも豊かさなんか感じない、と不満を募らせています。

一方の米村では、ジパング村から食料を買っても買っても、払ったドル貝は戻ってくるので、財布の中のドル貝が減りません。そこで、さらに多くのものを買って買って買いまくっています。あんまりたくさん食べるので、みんな太ってしまって「メタボ」という病気になる人が増えました。人々はあんまり働かなくても満足な暮らしができるので、しょっちゅうバカンスに出かけて贅沢に暮らしています。

これは、昔昔その昔、海に囲まれたある島の中の、小さなジパング村の物語です。

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米国債の不思議

Photo_3 日本政府が保有する米国債は7000億ドルを超える。米国債保有国の中で一位の金額であり、第二位の中国が1940億ドル、第三位の英国の1640億ドルと比較してダントツである。その保有米国債は、財務省の外貨準備高として計上されている。

加工貿易立国である日本は、海外から原料やエネルギーを輸入し、より付加価値の高い製品を生産して海外に輸出している。最大の輸出先は、米国である。日本から米国に製品を売ると、その代金はドルで支払われる。支払われたドルを円に換えると、外国為替市場でドルが売られて円が買われるため「円高」になる。

「円高」が進めば日本製品の価格はドル換算で高くなるため、貿易は縮小する。それでは困るので、日本は獲得したドルを円に換えないことにした。そうすれば、外国為替市場でドル売りも円買いも発生しないので、為替レートは変わらない。しかし、それでは手元にドルがどんどん増え困ってしまうので、米国債を買って「運用」することにした。

これは、言ってみればモノを売ってもその代金を受け取らず、ツケの紙を貯めることになる。モノを買った米国はお金が減らないので、さらに日本からモノを買える。日本は帳簿上で儲かっているほどお金が無いので、コストダウンや人件費削減で頑張らなければならない。

政府が「いざなぎ景気」を超える長期好景気、と言うほどの生活の豊かさの実感が無いのは、この「外貨準備」として保有されている「米国債」にカラクリがあるのではないだろうか。一部には、安全保障上の理由から日本が持っている米国債は米財務省に保管されていて、米政府の許可なしに売ることができない、などという話さえある。

また、日本政府が巨額な米国債を持っている限り、日銀の金利は米国の金利を上回ることができない(日本の米国債の運用利益がマイナスになってしまうため)と考えられ、円を借りてドルを買う円キャリートレードの「保証」となっている側面もあり、国際的な「バブル」の元凶になっているとも言われる。

本来、加工貿易立国である日本にとって、「円高」環境は当然のことだろう。「円高」は輸入原料やエネルギーのコストを下げるし、貿易で得た利益は常に新しい技術や新製品を開発することに使われ、「円高」であっても競争力のある商品の開発が求められる。それらの設備投資は、国内に還元され、内需拡大によって景気も良くなる。それが本来の日本の正しいシナリオではないだろうか。

それが、一部の輸出競争力のある企業を助ける「上げ潮路線」などという政策をとり、輸出で得たドルを国内に還元せず、むしろ外為市場に介入して「円安」を維持させる。そのために溜まったドルは、米国債の購入に充てる。米国は、帳簿上は借金があっても手元のお金が減らないので、どんどん消費する。日本人は、働いても働いても帳簿に計上される利益の還元はなく、政府が言うほどの豊かさの実感は得られない。

日本人が貧しさに耐えて頑張って働いて、米国人が大量消費で面白おかしく暮らす構図は、間違ったシナリオの結果であろう。しかし、巨額に積み上がった日本の保有する米国債は、短期に売り出せばドルの崩壊や世界経済を破壊するほどのインパクトを持つまでになった。カイカクを唱える政府が推し進める「上げ潮路線」とは、引くに引かれぬ状況に陥った米国債問題を隠蔽し、ドル高を維持する協調介入を続けるためのまやかしとみるべきだろう。

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原始村ジパング物語【第一話】

Photo昔昔のその昔、ここは広い海に囲まれたある島の中、島の真ん中を流れる大きな川の中州になっている場所に、「ジパング村」という小さな村がありました。中州にある村なので、その土地は狭く、村人が住む住居もウサギ小屋程度の大きさでしたが、村人たちは働き者で、狩猟で取ってきた獲物や、小さな畑で取れた農作物は、村役場の「カンリョー」という役職の人々が上手に分配し、人々は島の中でも豊かな暮らしをしていました。

そのように幸せに暮らすジパング村を、川向こうの米村は憎憎しく思っていました。何故なら、川の反対向こうには、乱暴者の露村や中村があり、ジパング村の中洲を分捕ろうとしていましたが、ジパング村のいたる所に米村からもらった「アンポ」という護摩札が貼ってあり、その「アンポ」の護摩札の効き目が絶大で、露村も中村も、ジパング村に攻め入ることができなかったのです。ですから、米村の村長は、ジパング村はもっと米村に貢物をするべきだと考えていました。実際に、米村の村長は大勢の行商人の頭領を引き連れて頻繁にジパング村にやってきて、「シジョーカイホー」というお土産を要求しました。

ある日、ジパング村で島の珍獣「バブル」の赤ちゃんが発見されました。珍獣「バブル」は、人々を幸せにすると信じられていたので、村の真ん中の広場に飼育所をつくり、大事に育てられました。特に、「ギンコー」族の人々は朝昼晩と熱心にエサをやったので、珍獣「バブル」は瞬く間に成長して大きくなっていきました。とうとう珍獣「バブル」は、村で一番大きい檻にも入りきらなくなったため、村役場の人々は「フドーサンキセイ」や「コーテーブアイ」などの立て札を立てて、「バブル」にエサをやることを禁止しました。エサをもらえなくなった珍獣「バブル」はどんどん痩せ衰えて行きました。そして、ある朝、管理人が飼育檻から「バブル」がいなくなっていることを発見しました。恐らく、痩せてしまったために檻の間を通り抜け、海に帰って行ったようです。ただ、不思議なことに、その朝、すべての「ギンコー」族の人々の家の屋根に、「バブル」の大きなフンが残されていました。きっと、エサを一杯もらったお礼に「バブル」が義理堅くフンを残していったものと思われ、人々はそのフンを「フリョーサイケン」と呼んで崇めました。

ところが、この「フリョーサイケン」というフンの後始末が厄介で、あまりにも重くて硬いので、人々の手では動かせず、雨が降っても流されず、とうとう小さな「ギンコー」族の家はその重さに耐えかねてつぶれていってしまいました。村議会では、箸元リュータロー村長に続いて尾撫地ケイゾー村長がこの「フリョーサイケン」の処理を手がけましたが上手くいきません。尾撫地村長は、とうとう任期半ばで死んでしまいました。その後、選挙の手続きを経ないで「ミッシツ」という小部屋で村の実力者だけで藻利ヨシローというデブで無能な男を村長にしたために、とうとう村人たちは怒り出してしまいました。そこに、鯉墨ジュンイチローという変わり者が村長選挙に立候補し、とうとう村長になりました。

この鯉墨という男は、昔から変人として村では知られた存在でしたが、実は井伊縞イサオという怪しい黒魔術の使い手の一番弟子で、早速「コーゾーカイカク」という黒魔術を村人たちにかけ始めました。この「カイカク」という黒魔術は、今忍耐してお布施をいっぱい出せば、将来お金持ちになって幸せになれる、という教えで、何だかよくある詐欺話とそっくりでしたが、鯉墨村長の演技が上手いので、「B層」という村人たちはすっかり信じてしまいました。そして、鯉墨村長に逆らった人々は、「テーコーセイリョク」という焼印を押され、村八分にされてしまいました。

一方、鯉墨村長という人物は元来の怠け者だったので、村役場の仕事は岳那珂というお坊さんに丸投げしていました。この岳那珂というお坊さんは、昔米村に住んでいて、「市場原理経」という宗教に陶酔していましたから、さっそく村役場で「シジョーゲンリ」「シジョーゲンリ」というお経を唱え始めました。こうして「カイカク」という黒魔術と「シジョーゲンリ」という宗教は表裏一体となり、ジパング村の様相は日に日に変わって行きました。狩猟で獲れた獲物は獲ってきた人にたくさん与えられ、獲れなかった人へは配られなくなったため、体格が良くて健康で力のある人々はどんどん逞しくなってより強くなりましたが、病弱な人や年老いた人は配給が減り、ついに飢えて死んでしまう人まで出始めました。このように困窮した人々の資産を米村から来た「ガイシ」という行商人が安く買い叩いて行き、よそで高く売って大儲けしたので、鯉墨村長は米村の仏守村長とたいへん仲良くなりました。

いつしか、ジパング村の中央には「ヒルズ」と呼ばれる高い楼閣がそびえ立ち、毎晩ドンチャン騒ぎが繰り広げられる一方、村の周辺部は朽ちかけたボロ小屋がひしめき、人々は貧しさに耐えて暮らすようになりました。その後も、鯉墨村長から替った阿部シンゾー村長は「カイカク」という黒魔術を使い続け、お布施の額をどんどん高くし、配給をどんどん減らしていますが、この阿部村長は鯉墨前村長ほど黒魔術が上手く使えないので、最近は村人たちもタネとシカケに気がつき始めたようです。

これは、昔昔その昔、海に囲まれたある島の中の、小さなジパング村の物語です。

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911アラート

Ioujima0001 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロについて、米中央情報局(CIA)が内部監査報告書を公表し、テロ情報を的確につかめなかった責任について言及した。

一方、911事件については、インターネットを中心にアメリカの自作自演という疑惑が広がっている。たしかに、あれから6年経つにしては不思議なことが多くある。

未だに「アルカイダ」についてテレビのニュースで映像を流す時は、911事件の際に良く見た「軍事訓練キャンプ」での訓練風景が使われるが、どうして新しい映像はこの6年間に一度も出ないのだろう?あの映像は、おそらくソ連がアフガン侵攻した際にCIAの援助でビンラディンが抵抗組織として「アルカイダ」を作った時の訓練風景だと思われるが、新しい映像を撮る事に成功すれば、テレビ局などに売り込んで巨額の報酬を得られるのに、フリーカメラマンたちはイラクのような危険な場所には行くのに、アフガンの山間部にあるといわれるアルカイダの訓練施設になぜ行かないのだろう?

同じく、時々ビデオテープで流されるビンラディン本人の映像が、いつも撮影された場所や時期が不明なのは何故だろう。本当にアラブの反米勢力に送るメッセージだったら、もっと詳細に、せめて日時くらいははっきり分かるようなメッセージになるのではないだろうか?そもそも、ビンラディンはまだ生きているのだろうか?アメリカが言うような国際テロ組織としての「アルカイダ」は存在するのだろうか?

911アメリカ自作自演説の推論は、中央アジアやイラクの石油利権のためにどうしても戦争を仕掛ける口実が必要で、そのために「国際テロ組織」という敵を作り出したのではないか、というものだ。確かに、911事件が発生して間もなく実行犯が特定され、ビンラディンとアルカイダが主犯と発表された。CIAが今回公表した通りに、「テロ情報をつかめていなかった」にしては、その発表はとても素早かった。そして、アメリカは国連決議も待たずに、瞬く間にアフガニスタンそしてイラクへ侵攻した。

911事件については、もうひとつ注目すべき事実がある。アメリカン航空77便が突入した米国防総省(ペンタゴン)では、2兆ドルを超える使途不明金について調べていた会計監査の部屋が大きな被害を受け、証拠となる資料や書類が無くなってしまった。偶然というなら、ペンタゴンとホワイトハウスにとっては何とも都合の良い偶然であったと言わざるを得ない。

財政赤字と貿易赤字に苦しむアメリカは、95年にロバート・ルービンが財務長官に就任すると、「強いドル」政策を押し進めて世界の資金をアメリカへ集めた。一方、その反動でアジアでは連鎖的に通貨危機が広がり、98年にロシアのルーブル暴落に至るとその影響は米国ヘッジファンドや米国の多国籍企業にも跳ね返ってきた。国内で天井知らずの株高をかかえていた米財務当局と連邦準備理事会(FRB)は、景気を冷やさないために過度の金融緩和でこれに対処した。国防総省で1999年に2兆3千億ドル(275兆円)もの使途不明金が発生したことと、この金融緩和との間に関係はないのだろうか?

すべての資料が消滅した今、邪推になるかもしれないが、表の経済に大量の資金が出回るとインフレを引き起こすため、巨額の資金が裏金として使われたのではないだろうか?そこに会計監査のメスが入る時、アルカイダのテロリストに乗っ取られた旅客機が突っ込んで証拠書類を消滅させてくれたというのは、出来すぎのような気がして仕方がない。

今年の9月に、再び大きなテロがアメリカで起こると言われている。アフガニスタンとイラクの戦争は泥沼化し、新たにイランと開戦することに国内世論も国際社会も容認してくれる様子は無い。一方サブプライムローン問題に端を発するドルの崩壊は、このままでは避けられそうにない。残されたカードは。。。。。

911アラートは、再び高い水準になりそうだ。

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「カイカク」と「バラマキ」

Kokkaigizidou_2 参議院での与野党逆転を受けて、テレビの政治討論番組でも野党側の攻勢が目立つようになった。

そこで気になるのは、与党の言う「カイカク」と、野党を批判して言う「バラマキ」という言葉の定義である。

小泉内閣のキャッチフレーズであった「改革」は、当時の停滞する社会経済状況の元凶を古いしきたりの中の利権、無駄、不正にあるとし、「抵抗勢力」という敵をあぶり出してそれらを叩くことで景気回復を目指した。しかしながら、その処方箋は「市場原理主義」の導入であり、強いものはより強く、弱いものは市場から退場してもらう、という経済政策だった。

そうした弱肉強食主義に対して、弱者救済やセーフティネットの議論も起こったが、「自己責任」という一語によって議論は打ち切られ、十分な対策は施行されなかった。格差社会、地方衰退、高齢者切捨て、ワーキングプアなどの社会現象は、そのような「改革」路線の必然の帰結であり、今回の参院選での与党惨敗の最大の原因は年金問題や政治とカネ、閣僚の不適切発言などではなく、「カイカク」路線の正体に国民が気付いたことが大きい。

それに対する処方箋はケインズ経済学で言われる「政府による富の再配分の調整」であり、民主党のマニュフェストにある「子育て手当て」や「農業補助金」の支給は、国家による配分調整という意味合いを持つ。無目的あるいは政治的な深い配慮のない補助金や助成金配布は「バラマキ」と非難されるであろうが、国の社会構造のあり方を熟慮した上でのそれらの政府の支出は、市場原理による「富の再配分」の行き過ぎを是正し、弱者救済や相対的な平等へ導く意味がある。

民主党を中心とする野党は、自らの政策と目指す社会像をもっと国民に説明しなければいけないし、与党は「改革」という言葉が持つ何となく良さそうなイメージと、「バラマキ」という言葉が持つ何だか悪いことというイメージをわめき散らすのではなく、同じく政策と目指す社会像をしっかりと語ってもらいたい。

今まで自民党と民主党とどこが違うのか?対立軸が見えない、と批判されてきたが、ようやくその違いが明確になってきたことは喜ばしい。政治家のセンセイたちには、「カイカク」か「バラマキ」か、などという低レベルの討論ではなく、新古典主義かケインズ主義かという双方の立場を明確にし、それぞれが持つ長所と短所を議論しながら、日本という国を再構築してもらいたい。

なにしろ、選挙中の演説で、総理大臣が「民主党の政策はバラマキじゃないですか!」、「我々のカイカクを取るのか、野党のギャッコウか!」などと大声でわめく姿は見苦しいものであった。

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