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どろろ~官僚妖怪を退治せよ!~

Dororo_02 「どろろ」は、1960年代の少年漫画雑誌で連載された手塚治虫の名作で、親の出世欲のために妖怪に体の48ヶ所を奪われて生まれた不遇の少年「百鬼丸」が、少年盗賊「どろろ」と一緒に妖怪を退治して、失った自分の体を取り戻していく物語だ。今年1月には、実写版劇場映画としてリメイクされ、柴咲コウが男の子役を演じて評判となった。
もし、百鬼丸とどろろが現代に現れたら、日本に巣食う妖怪たちを退治してくれるだろうか・・・

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どろろ「百鬼丸のあにき、この時代にも恐ろしい妖怪がいるって、本当かい?」
百鬼丸「ああ、どろろ。ここには、国民の税金や、大切な年金、貯金を食い物にする恐ろしい妖怪がいるんだ。」
どろろ「ええ!とんでもない妖怪だな。いったい、それは何て妖怪なんだい?」
百鬼丸「まず、財務省(旧大蔵省)の官僚っていう妖怪だ。国民の税金を集めて、とんでもない粉飾をしてこの国の財政をめちゃくちゃにしているヤツだ。」

日本の財政は、戦争の経験から財政のシビリアンコントロールを強めるために、憲法で「財政の国会中心主義」(83条)をうたい、税金だけで国家の財政をまかなう「租税国家」を目指してきた。そして、日本は均衡財政主義を堅持し、財政規律を守り、赤字国債の発行を禁止してきた。
しかし、1964年の東京オリンピックによる好景気の反動で不況に陥り、歳入に生じた欠陥を埋めるため「昭和40年度における財政処理の特別措置に関する法律」が公布施行され、1965年度かぎりの臨時特別措置として、「赤字国債」を発行することになった。(「特措法」というのは、「テロ特措法」や「イラク特措法」しかりで、なし崩し的に破られるものなのだ。)
1975年からは10年国債の大量発行が始まり、したがって1985年からは赤字国債の償還が始まるはずだった。しかし、1984年に「昭和59年度の財政運営に必要な財源の確保を図るための特別措置等に関する法律」(またも「特措法」!)によって国債の償還期間は10年から60年に延長された。
つまり、最初から「60年国債」(購入しても、お金に替えられるのは60年後)にすると買う人など居ないので、5年国債や10年国債を販売し、その返済には60年償還ルールというおかしな規則を作って償還期日になっても全額の6分の1だけ(10年国債の場合)を現金で返済し、残りの6分の5は赤字補填のための借換債を発行してまかなう、という借金の「飛ばし」で国の財政をまかなうようになった。(この手法は民間では粉飾となるため禁止されている。)財務省(大蔵省)は、国会や国民に十分な情報開示もしないまま、憲法と財政法を無視して「借換債」という償還の先送りを行なってきたわけだ。
結局、日本は借換債(借金)を返済するために、また新たな借換債(借金)を発行するという借金地獄にはまってしまい、サラ金地獄に陥った人が必ず行き着くように、「破綻」に向かって確実に突き進んでいる。
財務省のホームページの2007年3月末のデータによると、国債残高 674兆円 借入金 59兆円 政府短期証券 101兆円合計 834兆円 (政府保証債務 50兆円)、地方財政を加えると、2007年3月時点での「国の借金」は、およそ1074兆円になる。)

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Dororo_03 どろろ「ひでぇ話だな。30年に渡って国の財政を粉飾してきたってわけかい。そんな妖怪は、すぐに退治しなくちゃダメだ、あにき。」
百鬼丸「いま、この妖怪は消費税を上げて、もっと国民からお金を巻き上げて、自分たちが作ってきた借金の穴埋めをしようとしているんだ。この“官僚”って妖怪と一緒になって、国民の財産を食いつぶしているのが、特殊法人っていう別の化け物だ。こいつらは、国会の監視が届かない法律の陰に隠れて、どんどん増殖していく性質の悪い化け物なんだ。」
どろろ「そんな恐ろしい化け物もいるのかい!?」

特殊法人とは、特別な法律に基づいて、民間会社では出来ないような採算性の低い事業、困難な事業で公共性の高い事業を行なう法人と定義される。たとえば、高速道路を管理する日本道路公団(JH)、公共放送の日本放送協会(NHK)、低金利の住宅ローンを取り扱う住宅金融公庫などが知られている。(今は、橋本内閣の行政改革で、独立行政法人に改組されたものも多い。)
特殊法人の活動資金は、政府から補助金をもらったり、あるいは郵便貯金や年金基金から借金(財政投融資)して調達し、事業や公共的なサービスを行って、その利益で活動を続けることになっている。しかし、利益を生んで活動している法人はほとんどなく、多くの法人は借金(損失)を増やし続けている状態にある。
利益を生み出せない特殊法人が存続できるのは、公務員が定年後に天下りし、あまり仕事をしないでたくさんの給料や退職金をもらうために廃止させたくない、という理由だ。
官僚の世界では、同期の者が次官に昇進するとその他の同期は全員が退官する。年齢はだいたい50代前半である。彼らはその若さで退官し、特殊法人にも天下る。彼らの天下りは一度だけでは終わらずに何回か繰り返す。官僚は退職後、およそ20年間は出身官庁から面倒を見て貰えるという。
さらに性質が悪いことは、特殊法人が子会社を増やしてグループ会社をつくり、特殊法人の事業運営をサポートさせている。というと聞こえはいいが、要は民間企業にできることも、わざわざ子会社に独占させて利益を得ているわけだ。そして、これら子会社が得る利益は、子会社がそのまま貯めこんで、特殊法人の借金返済に使われることはない。その結果その子会社は高い給料、退職金を維持することができ、安定した天下り先が増えることになる。
国民の貯蓄である郵便貯金や年金の積立金は、このような特別法人によって食いつぶされ、政府は公表しないが、ほとんど無くなっているのが実情のようだ。

日医総研(日本医師会総合政策研究機構)が2002年4月に発表した『公的年金積立金の運用実態の研究』という報告書では、年金積立金147兆円のうち、これまでその全額が財政投融資にまわっていて、そのうち87.7兆円が不良債権化していると結論づけている。
日本経団連など財界のシンクタンクである日本経済調査協議会が2003年に分析したところによると、特殊法人等の準政府部門が抱える借金は400兆円になるという。
2005年1月、経済財政諮問会議が行われ、その席で政府は、「構造改革が進まなければ」日本は5年後に財政破綻すると発表した。

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Dororo_01 どろろ「とんでもねぇヤツらだな。大切な国民の貯金や年金を食いつぶすなんて。」
百鬼丸「2001年頃から、さすがにこの化け物を放っておくわけにはいかず、民営化したり廃止しようとしているんだが、何だかんだ理屈をつけて、しぶとく抵抗しているんだ。」
どろろ「でも、官僚にしても、特殊法人にしても、政府が管理監督しているんだろう?何で、この国の政府はこんなひどいこと許しているんだい?」
百鬼丸「この国の政府は、自民党が60年も政権を維持していて、この自民党がすっかりこの妖怪どもに取り込まれてしまっているんだよ。」

日本の財政制度は、各省庁が所管する「特別会計」が中心になっている。
年間予算260兆円のうち「一般会計予算」として審議されるのは80兆円で、それも結局ほとんどは特別会計に繰り入れられ、省庁による執行計画に添って使われるため、予算は事実上、憲法の定めるように国会で決められているとはいえない。「予算」支出の中身は省庁(官僚)が与党の指示や族議員の意向などを考慮して決めるようになっているわけだ。
いったん特別会計のトンネルをくぐった公共事業費、社会保障費などは、大部分が補助金の形で地方公共団体や特殊法人、公益法人などを通して業者へと流れていく。それらの経路はすべて何らかの形で政治家とつながっていて、政治献金や政官業の一大利権体制の中に消えていく。
政治家と官僚の癒着は、60年の長い月日をかけて頑丈な繋がりとなり、税金を私物化するための仕組みを作ってきた。「行政改革」は、官僚にとって自らの人生設計(定年後の天下り)を危うくするばかりか、自民党政治家にとっても自らの利権を失うことにつながりかねず、口で言うほど積極的になれるわけがないのだ。

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どろろ「こんなとんでもねぇ化け物どもは、早く退治しなきゃだめじゃないか。なぜ、この時代の人たちは、力を合わせてこの妖怪どもをやっつけないんだい?」
百鬼丸「こいつらはずる賢くって、財政の仕組みは複雑にしたり、財務状況は公表しなかったり、あれこれ理屈をつけて国民の目を外らしてきたんだ。でも、やっと国民もこの妖怪どもの退治の仕方が分かったようだ。」
どろろ「そいつはすげぇや。で、どうすんだい?その退治方法って。」
百鬼丸「この時代には、選挙ってやつがあるんだ。今度の選挙で国民が皆んな投票所に行って、世の中が良くなるように考えて投票すれば、この妖怪どもは滅ぼされるはずだ。」
どろろ「そうか。それで、この時代の人たちも、いままで奪われてきた「幸せ」を取り返せるんだね、あにき。」

【参考】
日本人が知らない恐るべき真実-日本は官僚国家-
独立行政法人の実態-2005年度決算-(「日医総研ワーキングペーパー」)

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マスコミの愚民化報道の根茎

01_3 自民党総裁選挙は、大方の予想通り福田康夫氏が当選し、衆院本会議で第91代内閣総理大臣に指名された。
一政党の党首選に過ぎない約10日間に及ぶ自民党総裁選を、マスコミは国政選挙並に大きく取り扱い、新聞は福田候補の当選を号外まで発行して報道した。この間、入院中の安倍前首相に代わる臨時総理代理を置かない自民党に対して、危機管理上の問題を指摘する民主党をはじめとする野党の主張は、ほとんど取り上げられることはなく、また、所信表明演説直後に政権を放り出した安倍前首相の問題もすっかり置き忘れられてしまった。
大手マスコミは、2005年の小泉郵政選挙の際にも、「抵抗勢力vs刺客候補」という小泉劇場を煽り、まるで昔のローマ帝国がコロッセオで奴隷と猛獣を戦わせてローマ市民を愚民化させた時のように、国民の目を欺く行為に加担したが、その反省は忘れ去られてしまったようだ。

日本のマスコミについては、2006年に「日本テレビとCIA-発掘された正力ファイル-」(有馬哲夫著、新潮社)にて、戦後のテレビ放送網を作るために米国の諜報機関やジャパン・ロビーが暗躍した舞台裏が明らかにされている。有馬氏は、米国国立公文書館に眠っていた474ページにも及ぶ秘密ファイルを調査して、米国が、日本を「反共の防波堤」とするために国民の思考に親米感情を植えつける「兵器」としてのテレビを利用し、日本を米国の心理的占領下に置こうとした謀略を暴いている。

正力松太郎は日本テレビ創設の功労者であり、日本の民間放送の草分け的人物として知られる人物だ。もともとは内務省警保局育ちの官僚だが、その後、読売新聞社を買収して政界進出をも目指した。敗戦直後はA級戦犯に指定されるが不起訴となり、米国政府要人やGHQと連携して日本テレビ放送網を開局させることになる。日本へのテレビ放送網の設置は、米国が日本を反共化し、親米化させるためにCIAが仕掛けた企てであり、正力松太郎はその米国の意図を上手く利用して、CIAの資金を使って日本の復興の基盤となる民間テレビ放送網を作ったことが明らかになった。

02 第二次世界大戦後、米国は世界各地でその国民をマインドコントロールする陰謀を仕掛けた。武器を使わない「ソフト・パワー」による戦争と見ることもできる。
米国に対し反抗的な人間のスキャンダル等をマスコミに流し、社会的に抹殺し、またマスコミ操作により米国への批判意識を眠り込ませるのである。
日本への「心理戦争」は、3S計画として実行された。3Sは、テレビ等を通じセックス情報、スポーツ、スクリーン=映画を絶え間なく流し、重要な政治経済問題から目を外らすように仕向け、「何も考えさせない」ようにすると言う愚民化計画である。

敗戦当時、日本にはテレビ局はNHKしか存在しなかった。そのため、米国は3S作戦の実行のために、米国の意向に従う民間放送局としての日本テレビの設立を必要としていた。一方、日本の政治指導者(特に吉田茂)も「外資導入による経済復興」を意図していて、将来的な通信民営化構想も持っていた。このため、米国に後押しされた正力のテレビ放送網創設構想とも利害が合致し、一千万ドルの借款を獲得して政治の側からも正力を支えた。

このようにして作られた日本のテレビというマスコミ媒体による、心理的再占領体制は、政界の五五年体制と両輪となって日本国民の「親米化、従米化」を推進してきた。
読売新聞、日本テレビが宣伝してきたプロ野球「読売巨人軍」は、日本にプロ野球ブームを拡げた(野球は世界で米国以外では人気のないマイナースポーツであったにもかかわらず)。芸能人のスキャンダルを追い回すワイドショー番組や、子供に悪影響を与えるような低俗なお笑いバラエティー番組も、3S計画の一環と考えれば大成功であった。

Gaito_tv01 1953年に日本テレビ放送網が正式に開局すると、まだ高額商品だったテレビは街頭に設置されて、多くの人々をその画面の前に集めた。テレビの大衆化が進み、文化や社会風潮に影響を与えただけでなく、新しい広告媒体としての役割も果たしてきた。
ところが、日本テレビ放送網開局直後に、日本の政治家やメディア関係者の間に怪文書が撒かれ始めた。そこには「国家の中枢神経ともいうべき通信事業が一営利会社の利益のために」、「外国軍部の手にゆだねる結果を招来し、国家民族の将来にとってゆゆしき大事」といった内容で、正力と日本テレビを名指しで批判したものだった。その文書を書いたのは、吉田茂元首相と言われ、民間放送局そのものが国益を左右する危険な「兵器」であることを指摘していたのだった。

マスコミは、憲法で保障された「表現の自由」の一部と認められた「報道の自由」という権利を持つ。また、報道は国民の「知る権利」のためにも重要な役割を担っている。そのマスコミが、戦後に「米国の戦略」という宿命を背負って生まれてきたとしても、現在は公平かつ公正な報道がなされていると信じたい。
しかし、2000年の総選挙前の森元総理の「無党派層は選挙に行かずに、家で寝ていて欲しい」という発言のように、今でも施政者は国民が政治に対する高い意識を持つことを恐れている。ローマ帝国末期には、「パンとサーカス」と言って、施政者が民衆に食べ物と娯楽を与えることで政治から目を外らせる衆愚政治が行われ、結局、そのためにローマは衰退していった。そのような、施政者が望む愚民化にマスコミが手を貸すことが続いているとすれば、それは戦後の心理的占領下から日本が未だに抜け出せないでいる、ということであり、吉田元首相が懸念した国家的危機が現実となっている、ということだ。

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大国の利権③~環境WARS~

01 国連の「気候変動に関する国連ハイレベル会合」が、9月24日にニューヨークで開催された。世界150カ国の首脳や代表が参加した会合で、国連を挙げて気候変動問題に取り組むことが確認された。しかしこの問題で主導権を握りたい米国、発展途上国の代表として経済成長を維持しつつ温室効果ガスの排出規制を緩和したい中国など、参加国の立場はさまざまだ。

米国のブッシュ大統領は6年前の就任直後には、先進国に温室効果ガス排出量の削減を義務づけた京都議定書を「米国経済に害をなす」と切り捨て、「アンチ環境政策」(米ビジネスウィーク誌)の推進者と酷評された。
ところが、そのブッシュ米大統領は、オーストラリア・シドニーで今年9月7日に開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)ビジネスサミットでの演説で、「米国は気候変動を真剣にとらえている」と強調し、立場を転換した。

ブッシュ大統領は、今年の一般教書演説で、ガソリン消費を10年以内に20%削減させる目標を掲げ、輸入石油への依存体質から脱却すると同時に温室効果ガスの排出削減を目指す考えを示した。世界最大の石油消費国でその6割を輸入に頼る米国の現状について、大統領は「敵対国家やテロリストから見て、われわれの弱点になる」と警告した。
これは、イラクやアフガニスタンの民主化の目処が立たない中で、石油の高騰により中国やロシア、ベネズエラなどの原油産出国が資源を武器として反米政策を推進していることも強く影響している。

そんなブッシュ大統領の切り札が「バイオエタノール」だ。穀物からつくられる再生可能な燃料をガソリンに混入して、2017年までにエタノールの国内生産量を350億ガロンと現在の5倍以上に膨らませ、これでガソリン消費の15%を減らし、残りは乗用車の燃費向上でまかなう算段だ。

バイオエタノール燃料はサトウキビやトウモロコシといった「穀物」を原料とする。穀物からつくられる燃料の最大のメリットは、「無尽蔵である」ということである。また価格も安く、ガソリンの半分ほどの値段ですむ。
原油の主軸である中東への依存度を減らし、米国の埋蔵する原油を温存できる。原油価格は値上げに歯止めをかけられるのと、穀物の相場上昇で生産農家への補助金を削減できる。

01_2 バイオエタノールの原料となる穀物を栽培するには、広大な土地を持ち、農業が盛んな国ほど有利である。米国はその広大な農地をバイオエタノール用作物に利用し、年間生産されているトウモロコシの15%がエタノールになっているという。将来、いや、すでに現在の需要増加によって、バイオエタノールの生産は各国で大変盛んになっている。その原料を輸出すれば、莫大な利益が得られる可能性がある。「環境保護」と声高に主張しつつ、その裏では別の動機が働いているようだ。

エタノール輸出で世界最大手のブラジル国営石油、ペトロブラスは今年3月、伊エネルギー大手のENI(伊炭化水素公社)とバイオ燃料の共同プロジェクトをめぐる覚書に調印した。両社はバイオディーゼルやエタノールなど、バイオ燃料の生産技術の開発で協力、バイオ燃料販売の共同事業についても検討する。
ブラジル政府はアフリカでのバイオ燃料生産も視野に入れており、イタリア向けバイオ燃料をアフリカで生産するプロジェクトも話し合われている。

ブラジルのルラ大統領は、3月初旬にブラジルを訪れたブッシュ米大統領との会談で、中米やカリブ諸国などでのエタノール生産拡大や、セルロースをエタノールに加工する技術開発などを柱とする戦略的提携で合意した。
ブラジルにとっても米国との提携は、エタノールを石油と同じように世界市場で取引されるエネルギー商品に育成するうえで大きな意味がある。米国産トウモロコシ原料とブラジル産サトウキビ原料を合わせれば、世界のエタノール生産の7割を占め、国際的な主導権を握れるからだ。

既に金融投機筋によるトウモロコシ商品取引により、トウモロコシの価格が高騰しており、石油取引に依存していた投資家も、トウモロコシに移りつつあるという。また米国の農家も大豆より利潤の高いトウモロコシに生産の機軸を移しており、これが大豆不足を招くという観測から大豆の価格相場も高騰してきている。

Mexico01 米国からの輸入トウモロコシに頼るメキシコでは、この影響でトウモロコシから作る伝統的主食トルティージャが以前の3倍近くまで値上がりした。これにはメキシコ市民の怒りが爆発し、首都メキシコ市で75000人が参加する抗議デモが起きている。
また、中国ではエタノール生産など新エネルギーの導入を積極的に行ってきたが、エタノール原料となるトウモロコシの量が増加するとともに飼料価格が急騰、豚肉価格も上昇し、庶民の家計に大きな打撃を与えている。そのため、中国政府は食糧を原料とするエタノール生産は認可を停止すると発表したが、今後エネルギー需要が急増する中国は新たな対応を迫られることになる。

日本では、大豆で豆腐や納豆のほか、しょうゆやみそなどの調味料も作られている。キッコーマンでは「先物取引などで原料調達を工夫しており、当面は値上げの予定はないが、原料高が今後も続けば、影響が出かねない」と警戒する。また、トウモロコシは乳牛や肉牛に与える飼料にも使われるため、牛乳や牛肉の値上がりにつながる恐れもある。

さらに、今年5月以降果汁100%ジュースが相次いで値上げされた。値上げ幅は1割前後で、1リットルボトルなど大容量タイプが中心だが、500ミリリットルなどの中型サイズも一部製品で値上げの対象となった。値上げの理由は、ブラジルにおける転作だ。バイオエタノール原料として世界的に需要が拡大しているサトウキビの畑をつくるため、オレンジなどの畑がつぶされているという。 大手飲料メーカーの担当者は「オレンジ果汁の価格は、2年前の約3倍に高騰している」と頭を抱えている。

これらの価格上昇の影響は、カップラーメンやカレーなど、思わぬ分野にまで広がりを見せている。

地球温暖化対策のためにという名目の裏で、ポスト石油の新エネルギー資源の優位を狙う暗闘や、投資家および米国の生産農家の利権が見え隠れする一方で、世界中で連鎖的に食料危機が起こりつつある。

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政権交代前夜~'97英国との対比~

Hukuda0001 「選挙は制度の中に隠された革命である。」と英国の諺にあるが、1997年の英国総選挙はトニー・ブレア党首率いる労働党が18年ぶりに圧倒的多数で政権を奪回するという、「革命的」な政権交代劇となった。「英国病」を克服し、強い英国をよみがえらせた「鉄の女・サッチャー」で長期政権を築いてきた保守党は、あっけなく惨敗した。

2007年9月、安倍首相の突然の辞任によって、福田政権が誕生した。憲政の常道にのっとって、国民に信を問う衆議院解散~総選挙が迫ってきた。日本で本格的な政権交代が実現するかどうか、今の状況は、1997年に保守党から労働党に政権が代わった英国と酷似していて興味深い。

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英国には、伝統的な「資本家対労働者」という対立軸があり、そこに都市部の中産階級層が加わって、保守党と労働党の間で政権交代を繰り返す「二大政党制」が根付いている。
労働党の政策は、労働者階級の利益を代表して、政府が市場へ積極的に介入を行い(大きな政府)、安定的な雇用を守ることに重点が置かれてきた。不況時には国家が積極的な財政出動を行なって需要を創出する、いわゆるケインズ政策がとられてきた。また、政府は所得に高率の税金を課し、それを財源にして「揺りかごから墓場まで」といわれるような手厚い福祉政策を行なった。
こうした労働党政権の政策の下で、「英国病」と呼ばれる経済の構造的不況、国際競争力の低下、インフレの慢性化、国際収支の悪化などが深刻になり、経済のグローバル化によってその政策が行き詰まっていた。

Thatcher00011979年に誕生したマーガレット・サッチャー首相の保守党政権は、政府の役割をできる限 り小さくして、市場原理を活用することを基本とし(小さな政府)、所得税減税、財政均衡、規制緩和、国有企業の民営化など、供給サイドを刺激することで経済を活性化させようとした。一方で、国家の福祉政策は、最低限度の「セーフティーネット」を提供すれば十分だとして、福祉支出の抑制が進められた。公的年金に関しても改革が行われ、国家が関与する公的年金を縮小して、民間が運用する個人年金への移行を推進した。

サッチャーの功績は、何と言っても英国を暗黒の1970年代から脱出させたことである。サッチャーの新自由主義革命は、英国の経済を再生させ、多くの富裕層を生み出した(こうした富裕層は、首都であるロンドン周辺に集まっている)。一方、重厚長大産業で成り立ってきたイングランド中部やスコットランドはサッチャーに見捨てられた。このような地域間格差が地方の保守党離れを誘発し、サッチャー離れが少しずつ始まっていった。

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2001年、 小泉純一郎が自民党総裁選で橋本龍太郎、亀井静香、麻生太郎を抑えて第87代総理大臣に就任したとき、日本はバブル崩壊の後遺症から抜け出せずに、「失われた10年」と呼ばれる長期不況のどん底にあった。この総裁選では、「不良債権」問題で一向に回復の気配が見えない経済に対して、構造改革に重点を置くことを表明した小泉と、景気対策重視を掲げた橋本他3候補の対立軸になり、「自民党をぶっ壊す」と絶叫する小泉に喝采を送る世論に押されて、小泉政権が誕生した。

「痛みをともなう改革」「改革なくして成長なし」というキャッチフレーズを掲げた小泉政権は、1970年代に登場した英国のサッチャー政権などが採用した新自由主義(大企業の競争力を阻害する規制や制度を撤廃・緩和し、競争力を回復させることで経済発展を促す考え方)を政策のモデルとし、公共事業の削減、地方財政縮減、国民負担増という政策をとった。法人税減税による税収減の穴埋めには、社会保障の財政規模を削減し、規制緩和を進めて、労使関係の規制や地場産業、農業の保護策も撤廃した。
小泉構造改革路線を好感した外国の投資家は、徐々に日本への投資を拡大し、外国人投資家に支えられる形で株価が上昇基調に転じ、景気の緩やかな回復が始まった。こうした変化によって、株や債権などの投資で儲ける「額に汗」しない富裕層が登場した。
片や小泉政権の政策は、地方財政の悪化、企業倒産、自殺者増大、失業者・フリーター・ニートの増加、家庭崩壊増など、深刻な社会問題をひき起こした。また、米国への従属を深めたために、政府・日銀による巨額のドル買いと米国債大量購入という形で、「国の借金」である国債発行残高はますます膨れ上がってしまった。

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サッチャーを継いだ ジョン・メージャー首相は、基本的にはサッチャー改革を踏襲したが、教育、医療などの分野で公共投資を拡大し、サッチャーの財政政策を修正した。常にサッチャーと比較されるメージャーは、堅実に政権運営を遂行している割りに人気が低く、保守党内部でもメージャーは有効なリーダーシップを発揮できない、という批判が高まった。これに、保守党の政治スキャンダルが追い討ちをかけ、補欠選挙でも保守党の惨敗が続いた。こうして保守党は、1996年には議会における多数を失った。
長期政権が生み出す末期的な症状が現れたのである。経済の状況は好転していたが、政治混乱の中で政権党である保守党への支持の回復にはつながらなかった。人々は、経済の回復が短期雇用やパートタイム雇用によってもたらされていること、根本的な雇用不安を解消していないことを知っていた。富める人と貧しい人の格差、ロンドンなどの都会と地方の間の経済的格差が顕著になり、人々の保守党に対する期待は急速に冷え始めた。
そして、1997年の総選挙で、ブレア党首率いる労働党が地すべり的な勝利をおさめる。

2006年に発足した安倍政権は、英国のサッチャー政権を引き継いだメージャー政権のような位置づけであった。小泉改革を引き継ぐという立場に立ちながら、「小泉改革の負の遺産」の処理に直面していた。
「美しい国」というキャッチフレーズで、郵政選挙で獲得した圧倒的多数の衆院議席を武器に、様々な法案を強行採決で成立させた安倍政権だったが、社会保険庁のずさんな年金管理問題、閣僚の政治とカネ問題などで足元をすくわれ、2007年の参院選挙では惨敗を喫した。かつて小泉劇場に沸いた国民も冷静さを取り戻し、自民党に対する期待が急速に冷え始めていた。

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Thony0002 ブレア政権が政権交代を実現できたのは、以前の労働党政策から脱却したことが大きい。サッチャー保守党の政策の中で、認めるところは認める(特に国際競争力の強化)、という現実路線で国民に安心を与えた。しかし、自己責任というスローガンのもとで、保守党政権では放置されてきた低所得や失業など、本人の努力ではどうにも回復できないような問題は、放置せずに政府が手を差しのべることを約束した。
公的年金については、サッチャー政権は市場原理に任せるべく個人年金への移行の促進をはかったが、「失業者の4割、自営業者の3割、パートタイマーの5割が、いずれの私的年金にも加入していないという状況」になっていた。
ブレア政権の年金に対する考え方の基本は、「公的年金は、老後を自力で備えられない者に向けられるべきで、自力で行なえる者は、私的年金を利用すべき」というものである。そこで、公的年金の給付水準の引き上げ、新たな個人年金の創設の二つが主張された。
こうした、「保守党政権の政策」でもなく、「古い労働党政権の政策」でもないブレア政権の政策は「第三の道」と呼ばれ、これまで議論されてきた「政府介入か、自由市場か」という対立図式ではなくて、両者の補完関係を求めるものとして高い評価を受けた。

日本の民主党は、これまで法案の「自民党案」に対抗して「民主党案」を提出する、という対案路線を取ってきたが、この戦術は功を奏していない。現実路線を取ろうとすれば、民主党案も自民党案も同じ内容になる部分も多く、そうなると後から対案を提出する民主党案には迫力がなくなってしまう。
今国会から民主党は、多数を占める参議院を主戦場に、民主党案を先に可決する「先出し」路線に転換することを予定している。これによって、民主党が現実路線で政権運営能力があることをアピールする作戦だ。
日本で戦後初めての本格的な政権交代が実現するかどうか、民主党も正念場を迎えている。

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大国の利権②~アウンサンの長い戦い~

Demo0001 燃料費値上げに端を発したミャンマー軍事政権に対する抗議行動のうねりは日増しに大きくなり、9月23日には旧首都ヤンゴンで約二万人が参加する規模に拡大した。人口の九割が仏教徒というミャンマーで、国民に強い影響力を持つ僧侶と民主化勢力が「反軍政」で連携を強めており、国内情勢は緊迫の度を深めている。

ミャンマーは、以前は「ビルマ」という国名を持ち、その由来は「ビルマ族が支配する」という意味であった。その国家は多民族国家で、ビルマ族、チン族、カレン族、カチン族、シャン族、ラフ族などたくさんの民族で構成されている。「ビルマ族の支配」に対する他の少数民族の反抗という混乱の芽は、国の独立以来の宿命であった。
1962年に軍事クーデターで政権を奪取したネウィン政権は、各少数民族独立運動を抑えつけ、その軍政体制が現在まで続いている。

1941年、大東亜戦争(太平洋戦争)開戦と同時に日本は「英国領インド」に組み入れられていたビルマに侵攻、この地域をわずかの期間に攻略する。日本軍と手を組み、協力してビルマから英国軍を駆逐したのが若き民族主義リーダーのアウンサン将軍に率いられたビルマ独立義勇軍だった。
一度は東条英機によって独立の許可を得たビルマだったが、バー・モウが国家主席となった新政府は実際には日本の傀儡政府にすぎず、アウンサンらは英国軍側に通じ、英軍のビルマ奪回を成功に導く。こうして連合軍は日本に勝利したもののやはり英国は約束を反故にし、英領ビルマが再建される中、47年7月19日、アウンサンは凶弾に倒れ暗殺されてしまった。

1962年からのネウィン軍事政権は、ビルマ式社会主義を目指して国有企業主導の統制経済を導入し、土地の国有化などを行ったが、鎖国的な経済体制によって、かつて豊かな農業経済を持っていたビルマは世界の「最貧国」と認定される程に著しく停滞し、他のアジア諸国と大きな差をつけられる結果となった。

このような中、国民の不満は民主化運動として爆発。1988年、学生のデモをきっかけにミャンマー史上空前の国民運動が巻き起こる。そしてこの運動の最中、たまたま「母親の看病のため」に英国から帰国した一人の女性の運命が変わる。故アウンサン将軍の娘、アウンサンスーチーだった。
英国人と結婚し、2人の子どもの母のかたわら、英国で学者としての活動を行っていたアウンサンスーチーは、「建国の父の娘」として国民に熱狂的に迎えられてしまい、そのまま民主化運動のトップリーダーになってしまった。

Sukyi02アウンサンスーチーが民主化運動のリーダーという困難な役割を引き受けたのには、彼女の父親でビルマ独立の父とされるアウンサンの強い影響がある。(1985-86年には、アウンサンスーチーは京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日し、父アウンサン将軍についての歴史研究してきた)。 彼女は、父から国家・国民のために誠実さと忍耐、勇気をもって自らの使命を果たす大切さを受け継いでいる。 
彼女のもうひとつの思想の中心は、インドのマハトマ・ガンジーの仏教思想である。アウンサンスーチーは、地方遊説などで、一人ひとりが恐れから解放されることが自治の精神の基礎とされる、と訴え続けている。 アウンサンスーチーがあくまでも非暴力と不服従によって民主化の実現をめざすのは、暴力に訴えて民主化を達成できたとしても、そのような民主化はまた暴力による否定を正当化することにつながりかねない、と信じるからである。 
アウンサンスーチーがめざす政治とは、仏教による「慈悲」の実践であり、それが人権民主主義なのである。多くの国民は、ビルマの伝統・文化・価値を体現しているアウンサンスーチーの主張を支持している。

その後、三度の長期自宅軟禁という政府の圧力に屈せずに民主化を求めるアウンサンスーチーに、世界にも支援の輪が広がっていった。
1990年に行われた総選挙では、アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟(NLD)が大勝したが、軍政側は権力の移譲を拒否した。これには激しい国際的な非難が起こり、アウンサンスーチーは91年にノーベル平和賞を受賞した。賞金の130万ドルはビルマ国民の健康と教育のための基金の設立に使われた。

ところが、ミャンマーでの民主化要求運動の機運が高まった1988年以来、国際社会の動きは緩慢だった。軍事政権への非難と経済制裁は続くが、民主化された場合の少数民族の独立を求める混乱の拡大を懸念しているのだ。

そのような状況が動き始めたのは今年1月で、国連安全保障理事会決議でミャンマー軍事政権に人権状況の改善を求めた決議案が米英によって提出され、同国の「大規模な人権侵害」に「深刻な懸念」を表明、自宅軟禁中の民主化運動指導者アウンサンスーチーら全政治犯の無条件解放を要求した。しかし、この決議案は中国・ロシアの拒否権行使で否決、廃案に追い込まれた。安保理が人権・人道問題を正面から取り上げたのは事実上初めてだが、安保理が人権問題に介入する効果と必要性を主張する米欧と、これが前例となって自国内の人権問題に飛び火するのを恐れる中ロがぶつかった。中ロは「ミャンマーは(地域の)平和と安全への脅威になっておらず、安保理の所管事項ではない」と拒否権行使の理由を説明した。

Bilma01_2 今年になってミャンマー問題が国際社会で注目され始めた原因は、中国のミャンマーへの接近が東南アジアの不安定要因になり始めているためだ。
ミャンマーは中国にとって地政学的に見れば、インド洋に抜けるための要衝となる。現在、中国とミャンマー間では約1500キロのパイプライン敷設計画が進められている。台湾海峡有事など米軍がマラッカ海峡を封鎖した場合でも、中東やアフリカからタンカーで運ばれてきた石油をミャンマー経由で中国に送ることを念頭に置いてある。
また、中国が1月12日の国連安全保障理事会でのミャンマー民主化要求決議案に拒否権を投じた直後、ミャンマー軍事政権は同国最大の埋蔵量が見込まれる中部ヤカイン州沖合のシュエ天然ガス田の探査権を、中国国有エネルギー最大手、中国石油天然ガス(CNPC)に譲渡した、と発表した。
さらに、ミャンマーの軍港を中国海軍の軍港として借用することでも両国は合意しており、これにより中国はインドを包囲する軍事戦略上の優位も獲得している。軍事上も、中国の南下政策推進はインド洋の洋上覇権のありように影響を与えるため、米英が神経質になってきているのだ。

米英が「民主主義」を普遍の価値として世界戦略上の土台としているのに対し、中国は「人権、民主化は内政問題」(中国外務省)との外交原則を貫くことで国益をかなえている。そして、ミャンマーのみならず、人権問題を抱えるアフリカ諸国とも資源獲得のため関係強化を進めることで、多極化世界の中での大きなプレゼンスを獲得しようとしている。

22日ミャンマー最大都市ヤンゴンでは、軍事政権に対する僧侶の抗議行動が続く中で、自宅軟禁されている民主化運動指導者アウンサンスーチーが、自宅前を行進する僧侶らを迎えるため姿を現したところを目撃された。彼女の姿が目撃者されたのは4年ぶりとなるが、僧侶の行進が自宅前を通過する昼過ぎ、2人の女性をともなって姿を見せ、僧侶たちに泣きながら拝礼していたという。
民主化を求めるアウンサンスーチーの長い戦いは、まだ続いている。

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日本の医療もシッコに向かうのか?

Sicko01 マイケル・ムーア監督の映画「シッコ(SICKO)」が好評のうちに上映を終えた。「華氏911」で痛烈にブッシュ大統領を批判したムーア監督が、今度は米国の医療制度と保険会社にメスを入れた。

米国では、80年代に医療費が急速に高騰した。医療費高騰を後押ししたのは、医療者、患者、保険会社のどこにもコスト意識の働かない出来高払いの医療保険システムだった。医師や病院は、患者に対して過剰な医療サービスを提供しがちで、患者もそうした状況に満足していた。保険会社は医療費が高騰する分、企業に請求する保険料を引き上げることで帳尻を合わせていたのである。

こうした中で登場したのが、マネージドケアと総称される医療現場にコスト意識をもたらす医療保険システムだった。その代表的な形態であるHMO(Health Maintenance Organization)では、保険会社は患者が受けた医療サービスの量にかかわらず患者一人当たり定額を医療機関に支払う。医療機関は一定の収入の中から利益を出すために,コスト削減を余儀なくされる。値上がりする一方の保険料負担に音を上げていた企業は、次々にマネジドケアと契約を結んだ。現在では企業などで働く人の85%以上が何らかのマネジドケアに加入している。
その結果、医療分野も市場競争原理に覆われ、各医療機関は力のあるマネジドケアの傘下に入り、競争に生き残るために、値引き要求も受け入れざるを得なくなった。こうなると、医療の質は目に見えて劣化する。

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以下、映画「シッコ」より;

交通事故を起こして意識不明のまま救急車で運ばれたことのある女性が証言する。「事前に救急車を使うことを申告してなかったから、救急車の搬送費は保険でおりなかったの」。米国では、意識がなかろうが死にかけていようが、救急車を呼ぶ前にまず保険会社に電話しなくてはいけないそうだ。

作業中に指を切断してしまった工場労働者に医者が言う、「指をくっつけるなら、薬指は12,000ドル、中指なら60,000ドルだ。どうする?」。この工員は安い方を選ぶだけで精一杯だったので、いまは中指が無い。

50代の夫婦は、夫が心臓発作を起こし、妻はがんを患った。彼らが加入しているのは保険料が安い代わりに、保証の範囲も小さい保険。自己負担額を払えなくなった夫婦は、娘夫婦の家の地下室に引っ越すことを余儀なくされる。

悠々自適の生活をしていてもおかしくない年齢なのに、毎日スーパーでカートの片付け仕事をする老人。会社をやめて、保険が無くなれば、薬代が払えなくなるからだ。健康保険の資格を維持するために、彼は死ぬまで働き続ける。

骨髄移植で命が救われるかもしれない重病の夫を抱える妻。彼の家族の骨髄がマッチすると判明し、大喜びをしたのもつかの間、保険会社がなかなかお金を下ろしてくれない。待っているうちに、夫は死んでしまった。良き夫で良き父だった愛する男性の写真を手に、彼女は涙をこらえることができない。

GDP世界1位の米国が、一方では悲惨な医療環境である事が明らかになる。

最大の皮肉は、9.11テロのときにボランティアで駆けつけた多数の救護士たちのケースMmoore01 だ。彼らの多くは粉塵の中で救護活動を続けた結果、深刻な呼吸器障害を煩い、職を失い、政府の援助ももらえないまま暮らしている。一方、テロ事件を起こした犯人グループは、キューバにあるグアンタナモ基地に収監され、万全の医療体制に守られていた。
ムーアは元救護士たちを連れ、キューバに乗り込む。「この人たちに、中の囚人と同じ医療を受けさせてください!」と、基地に向かって拡声器で叫ぶムーア。キューバはラテンアメリカで最も医療制度が進んだ国で、もちろん全国民が無料で診療を受けることができる。キューバの病院は、グアンタナモで門前払いを食ったムーアたちを受け入れ、「9.11の英雄」として手厚く治療してくれた。

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ムーアのこの映画の製作目的は「民間の健康保険会社を廃止すること」である。「健康保険は、特権ではなくて基本的な人権だ。先進国の中で唯一われわれには公的な保険制度がない。目の前に治せる患者がいるのに治療を施す前に“その場に居ない医者ではない”人間(保険会社)に許可を求めなくてはならないなんて。」と、ムーアは語る。
人の健康や命にかかわるようなことを、営利最優先の民間企業などにまかせていては、悲惨な状態になるのがオチだ、と教えてくれる。

ところが、今、日本では全く逆の方向で医療改革が進んでいる。

日本も高齢化社会を迎えて、特に老人医療費の公費負担が政府の財政支出の中で巨額になってきている。「各地の医療機関の待合室は、老人たちのサロンになっている」として、「負担に見合った医療を」という声のもと、本人負担率の引き上げや健康保険の自由化が進められている。推進しているのは政治家、実業家、エコノミストを中心としたメンバーで、米国の保険会社もその中に入っている
米国のやり方が世界で一番良いと考える小泉政権によって、すでに以下のような医療改革が「構造改革」のひとつとして行われている。

2002年10月:上限付き定額制だった70歳以上の自己負担が1割の完全定率制に移行、一般所得者は1割、現役並の所得者は2割に引き上げ。

2003年4月:サラリーマン本人の自己負担を2割から3割へと引き上げ。加えて保険料負担も、算出方法がそれまでの月収ベースから、賞与も含めた年収ベースに変更され実質的に引き上げ。

2006年6月:医療制度改革関連法が成立:
①2006年10月以降、70歳以上の現役並の所得者の自己負担を2割から3割に引き上げ。「現役並の所得者」の定義自体も引き下げられ、対象者も拡大。
②2008年4月以降、70~74歳の一般所得者の自己負担を1割から2割に引き上げ。
③2008年度に新たな「高齢者医療制度」を創設。これまで配偶者や子供の扶養家族として保険料負担を免れていた人も含め、75歳以上の全ての高齢者に保険料の支払い義務を付加。
④2006年10月以降、高齢者だけでなく現役世代を含むすべての国民の「高額療養費制度」を見直し、自己負担の限度額を引き上げ。

このように、公的保険でまかなえる範囲が縮小すれば、国民は将来(年金生活になった時)の不安を持って民間の保険を頼りにしようとする。民間保険会社には大きなビジネスチャンスが訪れる。
すでに、日本の老人医療市場のチャンスを先取りしていた外資系(主に米国)の民間保険会社は国民の不安を煽るCMを流しまくる。もし、民間保険に加入できな人々はどうなるのか。映画「SICKO」のように医療格差が生まれ、治癒をするのに大金がかかる病気になった時には、破局するしかなくなる。

医療制度「改革」について、国民新党の自見庄三郎議員(医師)も警笛を鳴らしている。(『月刊/保険診療』07年1月号 特集「医療制度改革の真相」より)
■国民皆保険を崩壊させる医療制度改革

──米国でもクリントン政権のときに国民皆保険制度を導入しようとした経緯があります。つまり、米国は日本の国民皆保険制度を見習おうとしているのに、日本のほうでは逆にそれを崩壊させようとしています。

【自見】 信じられないくらい愚かなことです。日本の今の医療制度改革を進める人々は、国民の健康や命を考えてやっているのではなく、ビジネスチャンスを作ろうと思ってやっているのです。かつて、知り合いの大蔵官僚が言っていました。「どうして医療の混合診療に賛成しないんですか? ものすごくビジネスチャンスが広がりますよ。今30兆の医療費がたちまち50兆くらいになりますよ」と。 
また、厚労省の局長たちに話を聞いたときは、「今30兆の公的医療を20兆に縮小して、あとの30兆は金持ちだけでどうぞやってくださいということ。そこにものすごい落とし穴がありますよ」と言っていました。混合診療とは要するに公的責任を放棄するということであり、その穴を民間保険がビジネスチャンスとして利用するということなのです。
そろばん勘定だけで医療を律しようとするから歪んでしまうんです。私は今も医者をしてますが、例えば交通事故などで子供が救急車で運ばれてきて、「10万円しかお金ありませんから、10万円まで治療してください。10万円を超えたら殺して結構です」なんて親は一人もいませんよ。ところが、財務省や厚労省はそんな医療をしようとしている。

──混合診療的が拡大して患者負担が増えると,民間医療保険に頼らざるを得なくなりますね。

【自見】 そこが米国の狙いだから。94年に日米包括経済協議によって、外資系のみに医療保険や障害保険の販売が認められることになり、米国の保険会社にとっては、このチャンスを待っていたのです。自分たちが儲けるには、公的医療保険を崩さないといけないから、一連の医療制度改革に隠れて経済財政諮問会議や規制改革・民間開放推進会議が厚労省に圧力をかけ、マスコミを誘導しているのです。

01 確かに、日本は人類が経験したことの無い少子高齢化社会を迎えて、医療、年金、税金などの社会システムをどうするかは重要かつ急務の課題だ。しかし、すべてに市場原理を持ち込むことが良いことなのかどうか、真剣な議論が必要であろう。

米国のマネージド・ケアという仕組みは、医療サービスを効率よく管理することである。保険会社は、医療機関に毎月ほぼ一定の額を支払い、医療機関は治療にかかる費用を決められた保険額内で賄うようになる。病院はこのシステムによってコスト意識が高まると、システムの提唱者は説明する。
しかし、事実はそうではない。この制度では、低額の保険料を維持するために、医療コストを極力削減させる圧力を医療機関に強くかけるようになる。その結果、医療の質は極端に低下するようになる。また、保険のカテゴリーが、高額な保険ほど高度な医療を受けられるようになるため、金持ちは良い治療を受けられ、貧乏人はまともな治療が受けられない、という格差が生まれる(その実例は、映画「SICKO」で見られる通り)。

米国の実情を見れば、HMOはほぼ失敗したと言える。保険でカバーできる範囲が著しく狭いため、医療保険未加入者が増加の一方である(人口の15%強が医療保険未加入者である)。ところが、本国で失敗したこの悪しきシステムを、米国の医療保険会社は、日本に導入すべく日本政府に圧力を加え続けているのである。
常により大きな利益を目指す民間保険会社は、保険の加入者を増やさなければならない。そのためにも保険料を安くしなければならない。安くするために、医療機関側のコスト削減を迫る。医療機関側もコスト削減をするためには、患者を数多く紹介してくれる大手医療保険会社に頼らなければならない。医療分野で競争原理が働き、医療費の節約ができるという建前の下で、医療システムが壊れていく。
日本では、政府管掌健康保険にせよ、共済保険にせよ、民間企業の健康組合保険にせよ、医療内容は同一である。こうした状況下で、米国の大手医療保険会社が、民間医療保険分野が急成長しそうな日本市場を狙うようになったのである。

「SICKO」では、ムーアの取材は海外にも及ぶ。まずはお隣のカナダ。国境をひとつ越えるだけで、医療費無料の世界が待っている。
次に訪れたのは英国だ。日本の保険制度に近いNHSという制度を持つ英国でも、国民はいつでも無料で治療を受けることができる。病院の会計窓口を探し求めるムーアは、裏口の脇にようやく窓口を見つけるが、それは治療費を支払う所ではなく、病院に来るまでにかかった交通費の払い戻しを受ける窓口だった。そしてフランス。ここでは、病気で入院したときの休業補償費まで受けとることができることを知る。
ムーアのインタビューに患者たちは「待ち時間が長い」「愛想が悪い」と苦情を並べるが、「では、米国の医療制度と交換しようか?」と問いかけると、全員が額に皺を寄せて同じ答えを返した。「ノ~~~!」。

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市場はターミネーターだった~ドルの破滅~

2001so_2 アーノルド・シュワルツネッガー主演の映画「ターミネーター」(1984年)は、人類が作った最強の軍事用コンピューターが、人類へ攻撃を仕掛けてくる、というSF未来ストーリーだった。ウィル・スミス主演の「アイ・ロボット」(2004年)も、人間に危害を加えないはずのロボットが、最新コンピューターの反乱で人間へのクーデターを仕掛ける、というものだ。古くは、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」でも、宇宙船ディスカバリーの制御用コンピューター”HAL9000”が、突然搭乗員を攻撃してきた。

こうした映画のストーリーを思い出したのは、今、米国は自らが「普遍的な原理」として世界に広めてきた”市場原理主義”によって、絶体絶命の危機に追い詰められているように見えるからだ。
「市場に任せれば、すべてうまく行く」という米国の経済システムである市場原理主義が、グローバル化で世界に広まる中で、世界の債券市場は拡大してきた。債権の中にはハイリスク・ハイリターンのものも含まれるが、ヘッジファンドやエクィティファンドなど、高リスク債権に積極的に投資する勢力も現れ、すべては順調に進んでいるように見えた。しかし、現在の複雑なデリバティブが組み込まれた債権は、とてつもないリスクが発見されたとしても、その債権は市場で拡散してしまい、もはや対処不能になっている。
もちろん、「サブプライム・ローン(信用度の低い低所得者向け住宅ローン)」の破綻問題のことだ。

米国の経済は、2001年の9.11同時多発テロ後の景気対策で導入された低金利政策で、「お金のコストの安さ」をテコにして成長を続けた。低金利の住宅ローンで家を買い、みんなが家を買うので住宅価格が上がり、住宅を担保にして金を借りることができるので、米国民はその金で自動車や家具を買ったり、株式投資をしたりした。完全な住宅バブルの仕組みだが、そのおかげで株価は上がり、米国経済は成長した。

この低金利による好景気に支えられて、米政府は富裕層への大型減税やアフガンやイラクへの戦争の軍事費支出などで巨額の財政赤字を積み上げてきたが、このまま放置してはドルの価値が下がってしまうため、その借金の穴埋めのために海外の民間資金を引き寄せる必要がでてきた。そのためには短期金利の引き上げが有効だ。
そこで、米国は実に17回に及ぶ短期金利の引き上げを行ってきた。しかし、度重なる金利の引き上げで、今度は住宅市場など国内経済に悪影響がでてきた。
04年からの利上げによって、金利変動型の住宅ローンを組んでいた人々がローンを支払えなくなり、米国では昨年、住宅ローンを組んでいる92世帯に1世帯が破綻し、住宅ローンのノンバンクが2カ月間に22社倒産した。

今年7月頃から、米国のサブプライムローン問題が表面化し、住宅バブルの崩壊が、社債市場や株式市場の下落、ヘッジファンドの経営破綻、金融機関の不良債権の増加につながって、実体経済でも、住宅や自動車、耐久消費財の売れ行き不振、ローン破綻者の増加などが起こり始めているなど、深刻な状況にあることに人々は気がついた。

日本企業では、証券最大手の野村ホールディングスが7月25日、米国での住宅ローン債権を担保にした証券事業で、今年前半の半年間に726億円の損失を出したと発表した。大半が低所得者向け住宅融資「サブプライムローン」に絡む損失で、野村は住宅ローン関連事業からの撤退など、米国での大幅な事業見直しを迫られた。

8月1日には、ポールソン米財務長官が、米サブプライムローン問題による市場への影響Sub_prime0003 はおおむね抑制されており、現在の世界経済が、ここ数10年でみられた堅調なペースで推移している、との認識を示して、火消しに努めた。
しかし、8月3日には米不動産投資信託(REIT)大手、アメリカン・ホーム・モーゲージ・インベストメントが、米破産法の適用を申請した。同社はサブプライムローンの焦げ付き増加に伴ってリスク警戒感を強める取引金融機関から新たな融資を受けられなくなっていた。

米国を震源地とする金融市場の信用収縮は欧州に飛び火し、8月3日にドイツ中堅銀行のIKB産業銀行が、サブプライムローンに絡んだ投資で損失を出したと発表、これを受けて政府系金融機関が緊急資金支援に乗り出した。また、フランス大手民間銀行のBNPパリバがサブプライムローン関連商品に投資している傘下のヘッジファンドの資産凍結を発表した。これは、ヘッジファンドから投資家の資金流出が起きるのを防ぐための措置であった。
8月10日、欧州中央銀行(ECB)は、米国のサブプライムローン問題で揺れるユーロ圏の金融市場に1558億ユーロ(約25兆円)の資金を緊急供給した。これは、9.11同時多発テロ直後に実施された693億ユーロ(約11兆2500億円)を上回る史上最高規模で、これにより「流動性の供給は十分」だとして、EU圏内の金融市場が「正常に戻りつつある」との声明を発表したが、わずか3日後の13日には、新たに476億6000万ユーロ(約7兆6700億円)の資金を供給しなければならなかった。

8月16日、東京市場は大幅な株安とともに円高も進行した。同時にアジア各国の株式が大幅安に直面、NZドルや豪ドルなどの高金利通貨も下落した。

8月21日、米住宅ローン会社ファースト・マグナス・ファイナンシャルは、連邦破産法11条に基づく資産保全申請した。負債総額は8億1250万ドル(約930億円)。22日には大手証券リーマン・ブラザーズ傘下のローン会社と、独立系のアクレディテッド・ホーム・レンダーズが新規の融資を停止した。

FRBのバーナンキ議長は、初めはサブプライムローンが崩壊したことによる悪影響を過小評価していたことを認め、今後サブプライムローンの延滞や物件の差し押さえがさらに増えると指摘。金融機関の損失は「最も悲観的な予想をはるかに上回る」と語り、7月中旬の議会証言で明らかにした最大1000億ドル(約11兆5000億円)の試算を超えるとの見通しを示した。

N_rock02 9月14日、米国のサブプライムローン問題に端を発した世界的な金融市場の信用収縮から資金繰りが悪化した英第5位の住宅金融大手のノーザン・ロックは業績を大幅に下方修正、英中央銀行イングランド銀行が、緊急金融支援を行うと発表した。直後に同社の各店舗には預金を引き出すために顧客が殺到、取り付け騒ぎに近い様相を呈した。

サブプライムローンの問題は、直接の債権価値の下落による損失以上に、債権売買が停滞するという影響が大きい。高リスク債券には、サブプライムの住宅ローンのほかに、企業買収の資金調達のために米国の投資銀行が発行した債券がある。米国の企業買収会社が買収対象の企業の株を買うための資金を投資銀行が融資し、投資銀行はその債権を証券化して分譲販売している。これらの債券が全く売れなくなり、ゴールドマンサックス、リーマンブラザーズ、ベアースターンズといった米国の大手投資銀行は、買収資金の調達が困難になってきている。

ミートホープ社の「ひき肉」ではないが、「牛ひき肉」として売られていたものに違う肉が入っていたことが判明しても、すでにその肉は様々な食品に加工されており、どこにあるかは特定できない。こうなると、集団心理でひき肉が入っている加工食品がすべて売れなくなるようなものだ。
このまま債権が売れないと、多くの企業買収が途中で頓挫し、買収対象企業の株は下落し、投資銀行の債権の価値が大幅に下落する。一時、米国の信用格付け会社は、ゴールドマンサックスやリーマンブラザーズの格付けをジャンク債の一歩手前まで引き下げた(経営難に陥っている企業という評価)。格下げによって、これらの銀行は、より多くの金利を払わないと債券が売れなくなり、利益を出しにくくなった。

FRBは9月18日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で、4年3カ月ぶりの本格的な利下げに踏み切った。バーナンキ議長は声明で10月以降の追加利下げを慎重に判断する姿勢を示した。
しかし、世界の投資家や中央銀行がドル離れの傾向を強める中で、ドルの金利が大幅に下げられると、さらにドルの魅力が減り、投資家をますますドルから遠ざけてしまう。世界的に見ると、EUやその他の先進国の多くがインフレ懸念を抑えるために金利を上げる方向にある。その中で米国だけが大幅に利下げすることは、ドルの価値を押し下げる。日本の超低金利による「円キャリートレード」も、ドルの価値が下がって円高基調になると一斉にドルへの投資から引き上げた。
日本、中国、アラブ産油国など、ドル建てでの債権(米国債)を大量に抱えている国々は、米経済の成長が減速したりインフレになったりするとそれらを売りに出すだろう。インフレとともに、ドルが暴落することは、米国にとって最悪のシナリオとなる。

ドルと米国債の力が落ちることは、米国の覇権失墜そのものである。BRICsのような新興経済大国や、EU、上海協力機構のような地域経済協力圏など、世界が多極化する中での米国の覇権衰退は、世界の構造を大きく変える。
かつてハリウッド映画が未来物語として描いてきた悪夢が、現実になろうとしている。

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多極化世界で日中どうする?

Ozawa01 民主党の小沢代表が12月6日から10日まで中国を訪問することが決まった。民主党国会議員50人と支援者ら千人が随行する「大訪中団」で、チャーター機3機に分乗しての訪中になるという。小沢氏は胡錦濤国家主席らと会談、政権交代への布石として外交手腕をアピールする構えだ。

21世紀に入ってからの自民党政権の対中関係は、小泉前首相の米国一辺倒の追従外交と靖国参拝問題によって冷え切ってしまった。その後、昨年の安倍首相の中国訪問、今春の温家宝首相の来日などで雪解けムードが期待されたが、それでも右派的で強いナショナリズムを感じさせる安倍氏への中国側の警戒感は溶けていない。自民党政権の下で停滞したままの日本のアジア外交を動かすことで、小沢氏は政権交代の足がかりにしたい考えのようだ。

もともと自民党は、東西冷戦時代に日本を西側陣営の一員、特にアジアにおける前線基地として安定させるために生まれた政党だ。そのために、自民党政権下の日本の政治は、影に陽に米国による影響を受けてきた。やがて、ソ連の崩壊によって冷戦構造が消滅したが、日本は役割を終えた自民党にそのまま政権を委ね、米国追従一辺倒の外交を続けてしまい、世界の情勢転換に乗り遅れてしまったようだ。
90年代の世界は、グローバル化という名の米国単独覇権主義が進行する一方で、中国、ロシア、インドのような新興経済大国、アラブの石油産出国、EU(欧州連合)、などを極とする「多極化」が始まっていた。中でも、アジアにおける中国の興隆は凄まじく、日本は中国とどう付き合うのか、という重要な外交課題に向き合わなければならなかったのだ。

鄧小平時代の改革開放路線によって積極的に国際舞台に登場してきた中国だったが、大きなつまずきとなったのが89年の天安門事件だった。一般民衆のデモ隊に中国人民軍の戦車が襲いかかる光景がテレビを通じて世界中に流れたため、中国の人民弾圧が人権上の問題として世界中の批判の的となり、中国の国際的な威信が大きく失墜した。
天安門事件は、経済発展と改革解放路線の浸透で国民に民主化要求が高まった結果でTennannmon_2 あり、急成長する経済に押されてグローバル化を進めた中国にとっては不可避のものだった。欧米諸国は一斉に対中国経済制裁措置を取っが、日本は「中国を孤立させることはよくない」との判断から翌年に中国への円借款を再開、単独で対中制裁を解除した。結果的に、中国市場への参入で遅れを取りたくない欧米諸国もなし崩し的に制裁解除に向かったため、中国の受けたダメージは軽いものですんだ。(実は、日本も中国への経済的依存度が大きくなっていたために、制裁解除を行ったのだが。)

天安門事件で失脚した趙紫陽に代わって党総書記となった江沢民は、権力を強化して国 内の引き締めをはかった。江沢民時代は、鄧小平時代の近代化に対する反動の時代であった。江沢民は、自らの権力基盤の強化、共産党の権威回復、国民の団結、という国内問題対策のために日本に対して強硬姿勢をとり、歴史カードを振り回して国民の愛国心を高揚させる手法をとった。このため、日中関係は一転、最悪の状態まで悪化してしまった。
しかし、一面ではこの時期は日本が長期不況の真っ只中にあり、驚異的な経済発展を続ける中国に追いつかれ、追い抜かれる、という状況の中で、嫉妬ややっかみで日本人の方も中国に対する感情を悪化させていた、という要因も少なくない。マスコミやメディアの報道も重箱の隅をつつくような問題を大げさに取り上げる一方で、長期的な日中関係の新時代を俯瞰するような良心的な報道が少なかったことも問題であった。

2002年に胡錦濤総書記の体制になると、中国の対外姿勢は目に見えて柔軟になる。対米関係では、台湾の現状維持を認める方針に転換して、米中関係は安定の時代に入った。しかし、世界でもっとも多くの国と国境を接する中国には、国境紛争を抱える対インド、対ベトナム、対ロシア関係や、不安定な朝鮮半島情勢、歴史的に複雑な対日本関係など、外交政策上の難問が山積していた。

そのような中、中国人民日報の高級論説委員の馬立誠氏が2002年に「対日関係の新思考」(対日関係新思維)を発表、この中で「日本はアジアの誇りである」「謝罪問題は既に解決しており、文書化の形式にこだわることはない」「歴史問題は解決した。中国は古くさい対日観を捨てるべきだ」と中日関係改善の戦略的重要性を説いた。
さらに、中国人民大学国際関係学院の時殷弘教授は、「しばしば敵対する米国、敵対中の台湾、敵対の可能性のあるインドに、敵対的な日本が加われば、中国は持ちこたえられない」(2003.06)と述べて「中日接近」の必要性を指摘した(評論誌「戦略と管理」)。こうした主張は「新思考」と呼ばれ、胡錦濤の対日姿勢が柔軟なものに転換した、と理解された。(ただし、歴史問題で反日感情の強い中国世論は、馬立誠、時殷弘らを「漢奸」(売国奴)と批判する声が強かった。)

この時期、すでに世界の多極化時代の立場を固めつつあった中国は、日本との関係においても安定した友好関係を求めていたのだ。しかし、日本の小泉政権は「米国との関係が良好であれば、中国や韓国との関係もうまくいく」という楽観的な見解を持つ一方で、靖国神社参拝などで日中関係に水を差し続けた。このため、「新思考」のような中国からのシグナルに対して、日本政府が反応することが出来なかった。

Demo01 日中関係は、10年あまりに渡ってこうした不運な行き違いが続いてきた。95年からの橋本政権から2000年の森政権まで、自民党は加藤紘一や野中広務といった親中派の人物が幹事長となり、日中の友好関係を模索していたが、この時期は中国の江沢民体制が国内の求心力を求めて反日的な姿勢を演出していた。逆に、2001年からの胡錦濤体制で中国が日本に関係改善のための積極的なシグナルを送ってきたが、対米追従一辺倒の小泉政権はこれを無視し続け、中国民衆の反日感情を高めた。

いま、対米追従一辺倒の結果として、米国のネオコン派による単独覇権主義の勢いが失われ、国際政治の流れが協調主義に変わると、日本はアジアでも、国連でも、北朝鮮問題の6ヶ国協議でも、戦略的なイニシアチブが取れないばかりか、「価値観外交」とか「自由と繁栄の弧」といった外交構想でも世界に相手にされなくなっている。自公政権のおかげで国内も問題だらけであるが、外交においても待ったなしの危機的状況にある。
小沢外交が、米国と中国の間でバランスを取ることで、アジアおよび国際社会の中での日本の自立した立場を回復できるかどうか、政権交代への試金石となる。

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米朝接近と孤立する日本

Chill0001_3 ヒル国務次官補は9月2日、6ヶ国協議の米朝作業部会のあとの記者会見で「北朝鮮が年内に全ての核計画の申告と核施設の無能力化を実施することで合意した」と発表した。それに呼応して、北朝鮮外務省は3日、「無能力化など一連の措置を年内に実施する」と述べ、米側の発表を裏付けた上で、「その見返りとして、米はテロ支援国リストから我国を削除するほか、対敵通商法に基づく制裁も解除することも合意した」と付け加えた。
これに対し、米政府は「北朝鮮をテロ支援国リストからはずすかどうか、決定したわけではない」と反論している。

こうした食い違いはあるものの、米国が北朝鮮のテロ支援国指定を解除する姿勢であるのは疑う余地がないだろう。
ブッシュ大統領は7日、APEC(アジア太平洋経済協力会議)出席のためシドニーを訪問した際、韓国の盧武鉉大統領との会談で、「我々の目標は朝鮮戦争を終結するための平和協定を北朝鮮の金正日総書記と調印することだ」と述べた。
現在の朝鮮半島は、1950年に勃発した朝鮮戦争の長い「停戦」の期間中であり、「終戦」のための平和協定は締結されていない。米朝友好条約と合わせて南北朝鮮の平和協定が調印されれば、半世紀以上にわたる長い戦争に終止符が打たれる。

一方これは、拉致問題を抱えて北朝鮮との関係改善に一歩も踏み出せない日本にとって、極東アジアでの孤立に繋がりかねない。
拉致問題の強硬派として登場してきた安倍政権は、あきらかにブッシュ政権内の対北朝鮮強硬派(ネオコン派)の路線に呼応し、その支援を期待していた。しかし、最近はブッシュ政権の内部でネオコン的な単独覇権主義の戦略が勢いを失い、国際協調主義(ソフトな欧米中心主義)が勢力を伸ばしつつある。

元NYタイムズの論説委員で、現在独立系のシンクタンクの「北東アジア安全保障プロジェKim クト部長」であるレオン・V・シーガル氏は、「中央公論」07年8月号に掲載されたインタビューで、「米国と北朝鮮の間の『呼吸の一致』が目立ちはじめ、拉致問題の進展を前面に押し出してきた安倍外交の孤立化の懸念が際立ってきた」と指摘していた。
6ヵ国協議は北朝鮮の核をどうするかということで集まった会議であり、参加各国が知恵を出し合い、譲歩や圧力などの外交駆け引きを演じている。ところが日本政府は、「拉致問題が進展しなければ、話し合いの余地なし」という立場で、各国のゲームに参加できない、落ちこぼれた状態になっているというわけだ。

ところで、ブッシュ大統領が北朝鮮を「悪の枢軸」と名指ししてから5年、米国のスタンスが180度変わったのはなぜだろう?
2006年9月、北朝鮮による核実験の1カ月前、ロンドンで「朝鮮開発投資ファンド(略称、朝鮮ファンド)」が創設された。欧州、中国などの大口投資家などから総額5000万ドル(約60億円)を集めた、特定投資家だけが参加できる秘密色の強い投資ファンドだ。「金、銀、亜鉛、マグネサイト、銅、ウラン、プラチナを採掘するための設備」(同ファンド幹部)を金正日総書記系の鉱山企業に提供し、その代金は産出された鉱物で受け取る。これを国際市場で売りさばくのである。

北朝鮮に豊富な鉱山資源があることは、以前から知られていた。朝鮮半島は世界の「鉱物標本室」と呼ばれているように、200種を越える有用鉱物の存在が分かっている。代表的な鉱石に、タングステン、ウラン、マグネサイト、磁鉄鉱、黒鉛などの「レアメタル」の鉱脈がある。
1950年3月18日付のスターリンから北朝鮮の金日成にあてた書簡が、90年代にロシアのエリツィン政権が公開した旧ソ連時代の極秘文書群の中から見つかった。この書簡の中で、スターリンはソ連製の武器弾薬と引換えに、北朝鮮からウランを受け取ったことを記している。
金日成は1949年後半からの半年間にウラン鉱約9000トンをソ連に輸出。ソ連は49年8月に初の核実験を行い、北朝鮮のウランによって米国に対抗した核大国の地位を不動にした。一方の金日成は、ソ連から武器弾薬の提供を受け、50年6月に38度線を越えて韓国に侵攻、朝鮮戦争が勃発した。その後、北朝鮮が世界で孤立してしまったため、北朝鮮の鉱物資源に関する情報は、あまり明らかにされてこなかった。

実は、近年ウランの国際取引価格が急上昇している。ウランの価格は1ポンド(約0.45Kg)当たり、2000年末には7ドルであった。それが02年に10ドル、06年6月に44ドル、12月中旬に72ドルと、この6年間で10倍に達した。07年には75ドル、08年に80ドルへ上昇が見込まれている、と言うのである。地球温暖化対策として、原子力発電所が中国やインドなどで多数建設されることが影響しているようだ。
急激なウラン価格の上昇を受けて、日本政府も原子力発電に用いるウラン燃料の安定的確保を計るため産出国の探鉱開発の支援を決めているほどだ。(『産経新聞』2006/8/25)

ウランの世界の確認埋蔵量は474万トン、オーストラリアが114万トン、2位がカザフスタンで81万トン、そして3位がカナダの44万トン、米国は4位で34万トンである。一方、北朝鮮のウラン埋蔵量は400万トン(韓国統一院)という説もあるが、この根拠は不明である。日本原子力産業会議では埋蔵量2,600万トン、採掘可能量400万トンという数字を出しており、数字上では韓国統一院と一致する。これは昨年の世界での確認埋蔵量に匹敵する数字である。

米政権内でネオコン的な単独覇権主義が力を失い、国際協調路線が台頭してくると、北朝鮮の鉱山資源に対する利権獲得への動機が表に出てくる。実際に、米国の金属商社のカーギル、鉱山開発技術を持つエンジニアリング大手のベクテル、さらにゴールドマン・サックス、シティグループの金融大手は、2002年の北朝鮮の核疑惑再燃前には、対北投資に意欲をみせていた。韓国の財閥現代グループが巨額の裏金を北朝鮮政府に渡すのも、こうした利権が狙いだ。
もちろん、米政府にとっても、これだけのウランの鉱脈が米国の影響力の外で世界に拡散されることは認められない。

年初来の米朝交渉の劇的な進展は、こうした米政権内の勢力地図の塗り替えによって始まった。こうなると、拉致問題のために頑として6ヶ国協議の進展を望まない日本の立場が難しくなってくる。6ヶ国協議進展のための米国のシナリオは、「日朝は、2002年の平壌宣言の時に立ち戻って国交正常化に向けた交渉のテーブルにつく。拉致問題は、その中で合同調査などを通じて解決していく。」というものだ。
今年6月末に北朝鮮政府筋が、韓国や欧米のマスコミに「金正日は、関係機関に拉致問題の経緯について再度の徹底調査Yhukuda_2 を命じ、日本との関係改善に意欲を見せている」という情報を流した。これは匿名情報だったが、米国や中国が金正日に「北朝鮮の方からも、拉致問題の解決に努力する意思表示をしてほしい」と求めたものと思われる。北朝鮮にとっても、拉致問題をうまく処理すれば日本からの経済援助が入るので、その要求を受け入れたのだろう。しかし、日本は北朝鮮からのメッセージを無視して、その後7月に入り、日朝双方の政府が互いを非難し合う展開になってしまった。これにより、米中は、安倍政権下での拉致問題の解決はなさそうだ、と確信した。(このあたりの事情も、安倍総理の辞任に関わっているかもしれない。)

今、安倍首相の辞任を受けての総裁選で、福田康夫候補は「自分の手で拉致問題を解決したい」と、大胆に踏み込んだ発言をしている。もしかしたら、米政府筋から「日朝国交正常化交渉と、拉致問題の交渉を並行で進めるなら、そのお膳立てをしても良い」というバックアップのオファーが入っているのではないだろうか。安倍首相とともに、対北朝鮮強硬路線を先導してきた麻生太郎候補は、今回も芽がなさそうだ。

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逆上するブッシュ~安倍辞任の謎~

Bush02 逆上するブッシュに、安倍首相は追い詰められて辞任した。どうやら、そういうことのようだ。

9月8~9日にオーストラリアのシドニーで行われたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に出席するはずだった米国のブッシュ大統領は、それに先立つ3日に、特別機で隠密裏にイラクを電撃訪問した。ライス国務長官、ゲーツ国防長官など、イラク政策を司る主要な閣僚を従えた今回の電撃訪問で、ブッシュ大統領はイラクのマリキ首相に対して、「石油ガス枠組法(石油新法)」の速やかな決議を求めたと見られる。

ブッシュ米大統領は、8月21日には訪問先のカナダで、マリキ・イラク首相について「指導体制に一定の不満がある」と述べて批判していた。
一向に思うように進展しないイラク情勢に、ブッシュ大統領の苛立ちも沸点に達したのだろう。イラクへの電撃訪問で、ブッシュ大統領はマリキ首相に相当厳しく当たったと思われる。

これには、米下院本会議が7月12日にイラク駐留米軍の撤退法案を可決したことが大きく影響している。法案は08年4月を撤退完了期限とするもので、ブッシュ大統領は「戦争の遂行に、議会が口出しすべきではない」とヒステリックに叫んで、拒否権の発動をちらつかせたが、共和党内からも年内のイラク駐留米軍削減を求める法案が議会に提出され、窮地に立たされている。

ブッシュ政権がマリキ首相に成立を求めている「石油新法」は、昨年夏に米国からの提案を受けて、今年1月のイラク政権閣議で法案として決定され、その後は5月の決議を目標に議会で審議が進んでいたが、シーア派、スンニー派の強硬な反対を受けて、審議は暗礁に乗り上げている。新法案は、今後イラクで行われる新しい油田・ガス田の開発について、外国からの投資を受け入れるとともに、石油やガスの販売によって得た利益を、外資の石油会社、イラクの中央政府、地方政府(クルド自治政府など)が山分けすることを定めている。
イラクの油田は1972年に副大統領だったサダム・フセインが中心になって国有化し、それまで石油利権を握っていた欧米石油資本を追い出した。今回の新法は、その利権を米英などの外国資本に取り返し、地方政府、特に親米・親イスラエルのクルド人政府に石油の利権が分配さることを目指している。米国のイラク侵攻は石油利権獲得のためではないか、という世間の強い疑いに対して、この石油新法は「やっぱりね」という感じの話になっている。

しかし、それ以上にブッシュ大統領にとって「石油新法」が重要なのは、これによって米国がたくらむ「イラク3分割」が加速すると考えられているからだ。
3分割とは、イラクをクルド、スンニ、シーアの3地域に分割する案だ。3地域のうちクルド(キルクーク)とシーア(バスラ)の地域には大油田地帯があり、最近「スンニ派の地域からも石油が出ることが分かった」という情報が(おそらくスンニ派を説得する意図を持って)流され、各地域がそれぞれ自分達の足元の地下資源で暮らせるよ、ということだ。
イラクの3大勢力がそれぞれ油田を持ち、それぞれが勝手に自活して、イラクという統一国家が消滅すれば、米国にとっては各地域の混乱が治まり、米軍を撤退させられるし、各地域の石油利権は手に入れられるし、という妙案なのだ。

ところが、フセイン政権の崩壊以来「イラク人」という単一性を失い、宗派や部族間の対立Saddle03 に終始していたイラクの人々は、ここに来て「反米」という軸を得て一気に団結してきた感がある。
イラクの混乱の最大の原因だったイスラム教シーア、スンニー両派対立は、和解の方向に進んでいる。8月末から4日間にわたってフィンランドで行われた極秘会合では、シーア派の反米指導者ムクタダ・サドル師が率いるサドル師派やスンニ派最大勢力の各代表らが参加して、宗派間対立を緩和する枠組み作りを目指すことで合意した。

今や反米勢力の英雄になりつつあるサドル師は、米国の世論や政界で厭戦気運が高まり、来年の米大統領選挙にかけて、米軍が撤退・縮小を開始するという状況の中で、イランの支援も受けて、米軍の撤退に合わせて反米運動を起こそうとしていると見られている。サドル師は、イラク国内のナショナリズムを復活させることで、スンニ派・シーア派・クルド人の分裂状態を乗り越えてイラクを再統合し、米軍撤退後のイラクで、サドル派が与党になって、スンニ派やクルド人との連立政権を作ろうとしているのだという。イラク情勢は、3つの勢力が一致団結して反米で立ち上がる、という、米国にとっての最悪のシナリオに向かいつつある。

Kaiji02 イラクでマリキ首相を怒鳴りつけてからオーストラリアに入ったブッシュ大統領は、逆上おさまらないという状態であったようだ。ここで、安倍首相から日本の「テロ特措法」の延長が難しい、という話を聞き、「何が何でも、延長させろ!」と一喝したのは想像に難くない。
日米首脳会談後の安倍首相の虚ろな目、「テロとの戦い」という言葉を繰り返す記者会見、ついには「職を賭す」という決定的な文言を口にする尋常なさ。ブッシュ大統領との会談で、大きなショックを受けたことは明らかだった。

小泉前首相の米国追従の方針で一気に突入した対アフガン、対イラクの「テロとの戦い」の支援活動だが、米国の目算の狂いによって、日本も抜き差しならない状況に追い込まれたようだ。日本にとっての「アフガン問題」「イラク問題」とは何なのか。日本は、どういう立場に立つべきなのか。その場合の、自衛隊の海外派遣の原則となる法律は、どういうものであるべきか。
安倍首相の辞任で、はからずも自衛隊の海外派遣に関する本質の議論が見えてきた。

【参考】
「イラク石油利権をめぐる策動」 田中 宇

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角福戦争の呪縛

Kakuei01 1972年の自民党総裁選は7年8ヶ月という戦後最長の内閣となった佐藤栄作総裁の後継を選ぶ選挙で、佐藤の実兄の岸信介が後見人をしていた福田赳夫が最有力候補だった。
対抗する田中角栄は、政治家としての力量は抜きん出ていたが、何しろこの時は54歳であり、67歳の福田に比べて一回り以上も若かったので、「今回は福田」というのが大方の世間の見方だった。

しかし、その総裁選で、党総裁(=すなわち首相)の座に意欲を燃やす田中は、水面下で大掛かりな買収工作を進めて、佐藤派内のみならず、中曽根派の支持も取りつけていた。総裁選決選投票では、大平派、三木派も田中支持に回り、田中角栄287票、福田赳夫197票という完全勝利で福田を退けた。世に言う「角福戦争」は、この時から始まる。

「列島改造計画」として知られる田中内閣の政策は、公共事業を核とした積極財政政策で、高度経済成長期に最も適合するものであった。
それまでの日本は欧米に追いつくことを目標として、輸出振興による経済再建政策を取ってきた。貿易で得られた富は殆どが産業開発に再投資され、都市に集中していった。農村はその反動で利益を受けることはなく、むしろ犠牲だった。雪に閉ざされた寒村から、毎年都市の労働力不足を補うために出稼ぎに出る地方の人々の、静かな怒りと悲しみを知っていたのが田中であった。
田中は大都市に集積された富を公共事業を通じて地方に配り、豊かさの平準化を目指したのである。この田中政策によって、日本列島の隅々まで豊かさが実感できる社会が創られていった。

一方で派手に政治資金を集め、派閥の勢力拡大を行っていた田中角栄の直接の命取りになったのは、その金脈問題だった。マスコミに煽られ、批判を強める世論に抗しきれずに田中内閣は総辞職に追い込まれる。
この頃は政党助成金などはなく、すべての派閥は何なりかの資金集めをしていたため、金権批判を強める世論に配慮する形で副総裁椎名悦三郎が指名したのは、弱小派閥の「クリーン」な三木武夫だった。

政権基盤の弱い三木内閣は、1976年に行われた総選挙で自民党が過半数割れの敗北を喫すると総辞職し、念願かなった福田赳夫が自民党総裁(および日本国首相)の座に就く。
大蔵官僚OBの福田赳夫は緊縮財政論者である。「モノ・カネの横行は好ましくない」と考Takeo_fukuda02 える福田は、田中の手法や政策に厳しい見方をしていた。福田内閣の成立に当たって田中派と福田派は協力関係を結ぶものの、田中角栄の不倶戴天の敵である福田政権では、田中派の要望する政策はことごとくはねつけられ、やがて田中派は非主流派に追い込まれていった。「角福戦争」は再燃し、田中派は打倒福田内閣に動く。
田中派は、福田寄りだった中曽根派を切り崩し、田中と盟友関係にあった大平正芳を担いで総裁選に勝利し、福田政権は、わずか2年間で退陣に追い込まれた。
福田赳夫の秘書をしていた若い小泉純一郎は、福田が田中に負けた夜、福田のもとに駆けつけてワーワーと泣いたという。直情径行の小泉は、この日、田中も中曽根も許さないと誓った。(後に首相になった小泉は、旧田中派に壊滅的打撃を与え、中曽根康弘を政界から引退させた。)

大平内閣は波瀾の内閣だった。最初から非主流の福田派との反目を抱えていた上に、1979年の衆院選で、自民党は前回を下回る敗北を喫したからだ。当然福田派、三木派は大平に退陣を迫った。しかし、大平は辞めず、自民党の両院議員総会の総裁指名では「大平」と「福田」の二人が指名される異常事態となった。
この1979年の総選挙~反大平派による大平首相退陣要求~両院議員総会での大平・福田の分裂指名投票、とつづく自民党内の暗闘を「40日抗争」という。

「角福戦争」は、同じ時期に権力の最短距離にいた二人の稀代の政治家の角逐だった。
□ 小学校しか出ていない田中角栄と、東大卒大蔵省OBの福田赳夫。
□ 政界では若くして頂点に立った田中角栄と、壮齢に達してから頂点に立った福田赳夫。
□ ブルドーザーのように自らぐいぐい引っ張る「動」の田中角栄と、インテリで冷静に状況を分析する「静」の福田赳夫。
□ 政府の財政支出で地方まで富を配分して日本の活力を高めようと考える積極財政主義の田中角栄と、緊縮財政主義で小さな政府を目指す福田赳夫。

あらゆる点で大きく相違する二人の争いは、時を越えて現在に至る。

Jkoizumi 「構造改革」とは、1980年代半ばから日本の市場開放を求める米国との日米構造協議において使われた言葉だが、森-小泉-安倍と3代続く「清和会」(旧福田派)政権で使われる「カイカク」とは田中角栄的な手法の否定、すなわち公共事業を核とする富の配分方式の否定として使われている。小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」と言ったときに標的にしたのは、族議員の仲介によって霞ヶ関と各業界をリンクした「田中派的な」システムであり、橋本派(=旧田中派、現津島派)そのものだった。
一方で、3代の清和会政権では福田赳夫の生涯の理念だった緊縮財政路線が金科玉条のごとく優先され、小泉政権では急激な支出削減のために金融恐慌直前まで景気が悪化することすらあった。
30年の時を超えた「角福戦争」の私怨は、必要な時に必要な政策が取れない呪縛となり、日本の政治・経済・社会システムを破壊している。

今、「田中角栄的な手法」は民主党の小沢一郎に引き継がれ、「教育への補助」、「子育て支援」、「農家への個別補償」などの財政支出による格差是正政策が提唱されている。それぞれの政策の効果と財源については慎重に検討されるべきだが、少なくとも、自民党が反射的に「バラマキ」と批判するのは、田中角栄的手法へのDNA的拒否反応であり、「角福戦争」の怨念と呪縛によるところが大きいことを、私たちは冷静に見極めなければならない。
幸いなことは、現在の「角福戦争」は、自民党内の派閥抗争ではなく、自民党対民主党という政党間対立となっている。このため、どちらの政策が真に国民と国家の利益に適っているか、私たちはその判断を選挙の投票を通じて彼らに意思表示できる、ということだ。

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自民党派閥政治の終焉

03 安倍首相の突然の辞任で急遽党総裁選挙を実施することとなった自民党では、町村派(森派)の福田康夫氏に支持が集まっている。(9月16日現在)
自民党の中では穏健左派と目される福田氏への雪崩式の支持拡大は、自民党の政権維持の原動力である「振り子の原理」が働いた、と見られている。

「振り子の原理」とは、自民党内で政権が振り子のように振れ、あたかも政権交代が起こったような新たな期待感を国民に与えながらも、自民党そのものは政権与党として権力を維持していくという「生存装置」だ。過去には、強権姿勢の岸内閣から「寛容と忍耐」の池田内閣へ、金権政治の田中内閣からクリーンな三木内閣へ、などの総裁交代劇で、自民党が政権を手放すことなく世論の批判、反感をかわしてきた。今回はタカ派的右派の小泉-安倍から、ハト派的左派の福田への振り子の振り戻しとなる。

自民党がこのような生き残りの術を身につけたのは、この政党の生い立ちからの宿命であった。
55年体制とは当時の米ソ冷戦構造を反映し、「日本をアメリカ陣営」に組み込むために、日本民主党(鳩山一郎)と自由党(吉田茂)が保守合同をしたことによって成立した。その内情は、吉田派・反吉田派、党人派・官僚派、戦前派・戦後派など複雑な人間関係および思想対立を飲み込んだ集合体であり、別の言い方をするなら、財界とアメリカの資金と支援で結成された、寄り合い所帯、すなわち、自民党そのものが連立政権だった。

その寄り合い所帯の自民党が長期単独政権を維持できた大きな要因は、自民党がつくり上げた「派閥」というシステムの効用が大きい。これにより、意見の異なる者が敵対しても、党が分裂するようなことにはならず、派閥単位での党内でのぶつかり合いになり、これが党の活力となった。派閥とは、志を同じくするものが集まる政策研究グループであり、他の派閥と角逐して自分たちの領袖を党総裁につけるための勢力集団であり、小さな擬似政党だった。

中選挙区制度の下では、選挙に巨額の資金が必要であったため、派閥の領袖はカネ集めの才に優れていることが求められ、派閥構成議員にカネを配ることでさらに派閥の勢力を拡大する。カネ集めのためには、様々な利権と結びつき、利益誘導政策を行い、それが地方や斜陽産業にも流れることで、日本中に平等に富の配分が行われた(これを本当の意味での「バラマキ」という)。利益誘導政策を実行するには政権与党の座にあることが必要であり、したがって各派閥はどんなに深刻な抗争があっても「自民党」という利益共同体を壊すことはなかった。

各利益集団から集金→選挙で政権与党獲得→各利益集団に利益誘導→(繰り返し)・・・

この自民党システムが有効に機能するには、基本的に経済が右肩上がりで、税収もそれに比例して年々増加することが前提となる。80年代以降の赤字財政やゼロシーリングといった、「パイが減っていく」、すなわち縮小均衡路線の中で、自民党は自らの生存のための足場を失っていく。これが、90年代以降、自民党が単独で政権を担えなくなった最も大きな理由だ。

「自民党をぶっ壊す!」と登場した小泉政権は、決定的に自民党システムを破壊した。  Jimin01
官邸機能の強化によって、首相の権力が強まった(政策提案権、内閣官房強化、経済財政諮問会議、政党助成金の分配権など)。また、中選挙区制から小選挙区制になったことで、首相が「選挙の顔」として重要な役割を担うようになった。そして、小泉首相は「劇場型」と言われるパフォーマンス政治で国民世論を味方に付けて、派閥の力学を封じた。人事でも、徹底的に平成研究会(旧田中派)潰しを行い、中曽根、宮沢といった長老へ引退を勧告し、派閥は官邸に対する影響力を大きく削がれた。
経済政策では、株式市場や外為市場を通じて税金が海外(主に米国)に流れる仕組みが導入され、地方の第一次産業(農業)や多くの第二次産業(中小企業)が瀕死の淵へ追い込まれ、自民党派閥の支持基盤は崩壊した。

02 小泉政権以降の自民党の派閥は、悲しいかな自民党という存在を維持することが最大の目的となっている。
小泉後継の総裁選で安倍指示へ雪崩現象が起こったのは、国民的人気の高い安倍氏で選挙を戦うことが有利だという判断に過ぎない。(各派閥では、「バスに乗り遅れるな」という声が飛び交った。)
そして、首相の権力が派閥の力を大きく上回った結果、安倍政権では首相個人の思い入れに過ぎない「憲法改正」、「教育改革」、「戦後レジュームの脱却」などが暴走し、各派閥はそれを追認することしかできなかった。
代議制民主主義である以上、政党は有権者の意見を国政に反映するように行動しなければならない。しかし、今の自民党では有権者の意見よりも自らの生き残りのための行動が優先される状態である。安倍辞任を受けての2日間の自民党の動きは、またしても党の存続のためのうわべだけの結束により、福田支持への雪崩現象が起こった。

いよいよ自民党という派閥政治の幕が下り始めている。

【参考】
「世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL164」 江田島孔明

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自民党崩壊!

Abe01 安倍首相が電撃辞任した。7月29日の参院選大敗直後は続投を宣言し、8月27日には第二次安倍内閣を組閣したばかりだった。直前にはシドニーで行われていたAPEC(アジア太平洋経済協力機構)に出席、米国ブッシュ大統領らと会談していくつかの首脳外交による約束をした直後であり、国会を召集して所信表明演説を行った翌日、という前代未聞の不可解な辞任となった。

健康問題、求心力低下、新たなスキャンダルなど、辞任の理由について様々な憶測がでているが、筆者としては、時系列の流れから、オーストラリアのAPECの場で何かがあったと考える。当然、影響力の大きさから言って、ブッシュ大統領との会談で大きな課題を背負ったのだろう(「テロ特措法」延長よりもっと大きな課題では?)と思うのだが、現時点では個人的憶測に過ぎない。

これを機に、50年以上続いた自民党という政党の崩壊が始まるであろう。

明治維新の市民革命で議会制民主主義の国政体制となった近代日本の政党の系譜は、1940年に大政翼賛会という大合同となり、太平洋戦争へと突き進んで一度途絶える。そして、戦後の政党復活で生まれた自由党(吉田茂)と日本民主党(鳩山一郎)の二大保守政党が合同して、1955年に「自由民主党」が成立した。

世界は、米ソ東西冷戦という緊張した情勢下で、西側陣営のアジアの拠点という役割を担う日本を安定させるために、米国は常に自民党に支援を続けてきた。自民党が結成から1965年頃まで、日本の共産主義勢力を押さえ込むために、米国のCIAから支援を受けていたことは知られている。
自民党政権は、米国の支援を受けて日本を経済成長路線に乗せることに成功する。1961年からの池田勇人首相の「国民所得倍増計画」、佐藤栄作首相の「昭和元禄」と続いた高度経済成長は、田中角栄首相の「列島改造計画」で頂点に至る。

自民党の政策は、地方の建設業界(ゼネコン)に対して一定の公共事業を発注するなどニューディール政策的な富の再配分政策だった。伸び続けるGNPによって、公共事業のための国債発行はまったく問題視されなかった。こうして地方の経済を活性化し、一億総中流といわれる「平等」社会を作り上げ、農村や漁村、小都市など地方に安定した政権基盤を確立した。。
都市部では日本共産党や日本社会党と票の奪い合いが続いたが、親米民主主義社会が出来上がったことで、イデオロギーの異なるこれらライバル政党が政権を脅かすことはなかった。

米国は、極東~東アジアの西側陣営の拠点という日本の役割を重視し、親米安定政権として自民党を援助し続けた。当初、日本の経済成長は、米国の進めるアジア政策への資金負担や、在日駐留米軍の費用負担などで利用できるため、米国は歓迎していた。しかし、急速な日本の経済成長と洪水のような輸出で、米国の対日貿易赤字が膨れ上がり、米国内の製造業者から激しく突き上げられ、米政権にとって日米貿易摩擦という問題が無視できなくなってきた。
ベルリンの壁が取り払われ、ソ連という国家が崩壊して東西冷戦構造が消滅すると、米Berlin01国の対日政策は大転換した。米国は、日米の貿易不均衡改善のために日本の市場開放を求める政策に転じ、1980年代半ばから始まった日米構造協議では、規制緩和という言葉で代表される構造改革が迫られた。

このような日本を取り巻く環境の劇的変化の中で、日本の政界の大変動が始まった。
その頃になると、自民党には長期単独政権の膿ともいうべき、官僚との癒着(族議員)や業界との癒着から数々のスキャンダルが生まれた。ロッキード疑獄、リクルート事件、東京佐川急便事件など、自民党はダーティーな政党というイメージが拭えなくなっていた。このため、クリーンな政治を取り戻そう、という政治改革の動きに国民が拍手を送ったのは当然だった。
政治改革の機運は一気に高まり、武村正義や鳩山由紀夫ら自民党若手議員が離党して新党を結成した。それに続いて、自民党政治に批判を強める世論に押されて新党ブームが起きた。武村、鳩山の新党さきがけ、細川護煕が立ち上げた日本新党、そして羽田孜と小沢一郎らが旗揚げした新生党。。。この動きの中で、旧態依然の社会党は没落していった。
国民の支持を失った自民党は、1993年7月の衆院選で単独過半数を失い、結党以来初めて政権の座を失った。新しく政権を取ったのは、小沢一郎が国民的人気の高かった細川護煕を押し立てた連立政権だったが、社会党やさきがけのようなリベラル左派から新生党のような保守右派まで集めた無理な組合わせによって内部崩壊し、1994年6月には、社会党と連立して村山委員長を首相に担ぐ、という奇策に打って出た自民党に政権復帰を許した。

東西冷戦構造が終わった時点で、戦後復興とアジアの民主主義を守るという自民党の役割は終わっていた。日本国民にとって、この時期に自民党が完全に分裂して、保守とリベラルの政治理念に基づく政界の大再編があれば、その後の10年間もの不幸な時代は避けられたであろう。しかし、40年もの長い自民党単独政権の影響で、この時の政界再編は、誰が誰を好きだ嫌いだ、という低い次元の意識のもとで進んだため、もはや派閥の寄せ集めに過ぎない理念無き自民党に、21世紀に向かう大切な時期の国政を再度任せることになってしまった。そして、その結末は悲惨以上のものであった。

Bush01 一極支配となった米国のクリントン政権は、経済面、金融面での世界の「米国化」を進めた(「グローバリゼーション」とも言う)。日本に対しては、「年次改革要望書」を毎年のように突きつけるようになり、1996年の橋本政権以降は、米国の「要望」に添った規制緩和、「官から民へ」の政策が実行された。日本の実情を十分に検証することなく、日本的なやり方では駄目だ、米国式にしなければいけない、ということが叫ばれた。正社員をリストラして、派遣や請負、パートに置き換えるということが進んだため、最近では若者の半分近くが非正規社員になっている。
2001年4月以降、小泉=ブッシュの日米首脳コンビが誕生すると、日本の米国化はスピードを上げていった。労働の規制緩和、地方交付税のカット、庶民への増税の一方で、企業への優遇税制、05年には年次改革要望書に基づき郵政民営化が強行された。多くの伝統ある企業が、外資の手に渡った。医療さえも市場原理を導入する方向に向かい、せっかくの安くて安全な日本の医療を、世界一高い米国の医療に合わせることになって、儲かるのは民間の保険会社、病院に進出する企業だけで、結局国民は食い物にされてしまうだろう。(マイケル・ムーア監督の映画「SICKO」では、コメディー調ながら米国の悲惨な医療事情が紹介されている。)

中南米では、「米国化」を一足先に1980年代に進めたが、アルゼンチンなどは10年に渡って社会と経済の荒廃を経験した。現在、中南米では左派政権が主流になっているし、ブラジルなどは、国益を守るために米国とのFTA(自由貿易地域協定)に消極的である。
日本に増税と緊縮財政を強要したその米国は、景気を回復させるために減税や軍事支出を行っている(アフガン、イラクからは撤退するつもりもないように見える)。しかも、その財源には、日本が購入した米国債のお金が使われている(最近は中国からの資金の流入も著しい)。

安倍首相の辞任によって、遅きに失してしまったが、自民党は崩壊して行くだろう。そして、自民党に代わる政権党と見られている民主党も、実は保守-リベラル混合の実情である。必然的に、民主党の分裂も予想される。今度こそ、ゼロから始まるような高い理念に基づく政界大再編を行って、保守とリベラルが他国の干渉に強いられることなく、国民と国家の利益を最優先する自立した政治を行えるような二大政党制の政治のフレームを作り上げて欲しい。
何より大切なことは、今回の自民党崩壊劇が、これまで日本の政治をあきらめていた選挙民の一票から始まった、ということだ。そして、これから始まる政界大再編劇でも、選挙民ひとりひとりの一票が、その行方を決める、ということだ。

【参考】
「アメリカ化する日本と野党の課題」 JANJAN NEWS さとうしゅういち

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かくも長き不在~小泉外交の創痕~

Mahathir01_3 中国の急速な経済成長と、日本の経済の長期停滞は、アジアの経済勢力図を大きく塗りかえた。EU(欧州連合)やNAFTA(北米自由貿易地域)という経済の地域化(リージョナリゼーション)の動きに遅れていたアジアにおいても、「東アジア共同体」へのプロセスが現実化してきたが、その主導権争いで日本に代わって中国の発言力が強まったのだ。

「東アジア共同体」の基本構想は、マレーシアのマハティール首相(当時)が唱えた日本の成功例を参考にする「ルックイースト政策」を土台に、日本に続く新興工業国(ニックス)による雁行型経済発展を目指した東アジア経済協議体(EAEC)が起点となっている。日本をリーダーにして、ASEAN6ヶ国(マレーシア、シンガポール、タイ、インドネシア、フィリピン、ブルネイ)、インドネシア3国(ベトナム、ラオス、カンボジア)、さらに中国、韓国、香港が団結して地域共同体を作ろうという壮大な構想は、92年10月に香港で行われた欧州・東アジア経済フォーラムにおいて提唱された。

マハティール・ビン・モハマドは、インド人の父とマレー人の母の9人兄弟の末っ子として生まれた。1941年、16歳の時に、日本軍がマレーを支配していた英国軍を打ち破ったのを目の当たりにし、日本兵の規律の正しさに強く感動した、という逸話がある。「我々にもその意思さえあれば、日本人のようになれる、自分たちの手で自分たちの国を治め、ヨーロッパ人と対等に競争できる能力がある」と考えるようになったというくらい、彼の日本に対する評価は高い。

マハティールの欧州・東アジア経済フォーラムでの「日本なかりせば」という演説は、今も語り継がれている。

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   「日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本なかりせば、欧州と米国が世界の工業国を支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押しつけられていただろう。・・・
       
       貧しい南側諸国から輸出される原材料の価格は、買い手が欧米諸国しかないので最低水準に固定される。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。・・・
       
       南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかっただろう。多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せざるをえなかったからにほかならない。日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。・・・
       
      また日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。欧米が開発、完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じ続けていただろう。・・・
       
     もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側の欧米は、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。

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この演説を聴いていた欧米の記者の中には、怒って席を立つ人もいたそうだ。しかし、この演説は単なる日本への賞賛ではない。南側諸国が「発展する権利」を発揮するには、欧米支配の近代世界システムを脱して、自由な国際競争を実現する必要がある、という政策展望を示したものととらえるべきだろう。欧米の世界経済支配を排し、自由貿易体制を守るためには、アジア諸国が結束して、強い発言権を持たなければならない、という信念だった。

しかし、これに強硬に反対したのが米国だった。ブッシュ(父)政権のべーカー国務長官(当時)は、東京で宮沢首相相手に気色ばんで「どんな形であれ、太平洋に線を引くことは認められない。マハティールの提唱する構想は太平洋を二つに分け、日米を分断させるものだ」とまくし立ててた。アジア市場での権益を失いたくない米国は、日本が参加しなければEAEC構想をつぶせると考え、強硬に圧力をかけたのである。日本政府は米政府の圧力に屈して、EAEC参加を見送ってしまう。

93年にスタートした米国のクリントン政権は、1988年に創設されたが、ほとんど機能していなかったAPEC(アジア太平洋経済協議体)を土台にして、米国から東アジアまでのアジア太平洋諸国をすべてカバーする巨大な経済ブロックを作ろうとする構想を発表し、米国がその盟主の座についた。日本は米国との協力を重視して、APECを推進する政策に軸足を置いた。
この後、EAEC構想は米国の画策によりつぶされたが、97年のASEAN結成30周年を期に、10ヶ国に拡大したASEANに日中韓の3ヶ国を加えた形で東アジアの結束は命脈を保ち、東アジアの地域経済にはASEAN+3とAPECという2つのフォーラムが並存するという状態が続いている。

そして、97年のアジア通貨危機を経て、アジア各国は地域のより強い結びつきの必要性を痛感し、「東アジア共同体」構想は現実味を増してきた。21世紀に入って、アジア経済のV字型の回復と合わせて、アジア経済の主導権をめぐって中国が急速に台頭してくる。
地域経済統合は核となる国を必要とする。EUにおける独仏、NAFTAにおける米国のように、圧倒的な存在感のある国の影響力を抜きにして、地域経済の統合は機能しない。アジアにおいては、日本と中国がその任を背負うことになるのは、衆目の一致するところだろう。
しかし、2001年から発足した小泉政権は、こうした東アジアの地域経済の主導権に関して全く無頓着であった。

小泉政権は、発足直後から「歴史教科書問題」、「靖国参拝問題」、「(尖閣諸島や竹島をYasukuni01 巡る)領土問題」で中国、韓国と衝突する一方で、米国追従一辺倒の外交政策を取った。靖国神社参拝問題では、中国、韓国が批判のトーンを強め、小泉首相はそれに対して意固地になって毎年の参拝を繰り返し、在任5年間で日中首脳会談がついに一度も開かれない、という前代未聞の状況になった。この間の首相の問題意識は、3点に要約される。(巷間の議論も概ね同じようなものだった。)
1)中国・韓国が不愉快であると反発しているから靖国参拝するべきではない、という意見の是非。
2)A級戦犯が合祀されているから靖国参拝するべきでない、という意見の是非。
3)憲法違反だから靖国神社を靖国参拝してはいけない(政教分離)、という意見の是非。

ところが、日本国内がこのような靖国問題で揺れている間に、中国は東アジアのリーダー争いで日本を出し抜くことに成功していた。2001年に中国がASEANとのFTA(自由貿易圏)成立に向けた交渉を開始する、というニュースは日本に深刻な危機感をもたらした。ASEAN+3(日中韓)から、ASEAN+1(中国)が抜け出して地域化を進めるということである。中国とASEANとのその後の経済交流の発展は目覚しく、日本のそれを上回るものであった。2004年のASEAN10+3会議で、長期的目標として東アジア共同体を構築するとした。その背景には、マレーシアと中国が積極的に提携したということがあり、米国の関与を排除した、欧州のEU、北中米のNAFTAに対抗できうるアジア経済圏構想が現実味を増してきた。

中国主導の東アジア共同体構想に危機感を持つ日本だったが、小泉首相は中国の挑発に乗って、好戦的で独裁的なイメージを作られてしまった。小泉純一郎という人物は、人一倍の頑固さ、意地の強さ、負けん気を持っているが、首相在任中のアジア外交では、その性格を上手く利用されたようだ。小泉首相はアジア・アフリカ会議(2005年4月)という国際会議の場で過去の戦争について謝罪と反省を表明する、という、歴代首相が踏み込まなかった積極的な行動を見せたが、参加国の態度は総じて冷淡だった。アジアにおける日本の発言力は大きく後退した。

そして、小泉純一郎という人物は、物事が膠着すると投げ出してしまう、という悪癖があった。停滞するアジア外交の状況を指摘されると、小泉首相は「日米関係が緊密であればあるほど、中国や韓国、国際社会との良好な関係を築くことができる」と開き直り、「時間がたてば理解される」と、ついに中国、韓国との関係改善を放棄してしまった。

「日本なかりせば」の演説から10年、2002年に来日したマハティールは、ビニールシートで暮らす失業者の姿に胸をつかれたという。そこには、マハティールが尊敬してきた、情熱と勤勉さを持ち、自信に満ちた日本人の姿はなかった。10年にわたって経済問題を克服できない日本の現状について、彼は「米国の言うなりに盲目的に追従してきたからだ」と指摘する。
 「大企業は外国企業に買われ、外国企業は効率化のためにまず最初に手をつけるのが解雇と工場閉鎖である。これがビジネスを再生する解決法だと主張するかもしれないが、しかしそれは自分で自分の首をしめることに他ならない」。ルック・イースト路線は、今や発展する中国に向けられ、日本に対しては「今後は日本が進めている誤った政策や失敗を学ぶ。我々が何をすべきでないかが分かるからだ」と辛口の批判を口にした。

Singapore それでも、日本での講演でマハティールは、「日本が欧米のシステムに変革したがっていることは理解する。しかし、システムを急速に変えれば、深刻な混乱に至る。これまでうまく機能してきたシステムを継続する方がはるかによい。日本のシステムは日本人にとってこれまで非常にうまく機能してきた。もし、変えなければならないのであれば、それは混乱を避けるためにゆっくりと変えなければならない。」と述べて、「我々は日本の失敗ではなく、成功から学びたいと考える。日本人は目覚めて、今直面している惨事は自らが作り出したものであることを認めなければならない。戦後の復興を自らのやり方でなし得たように、正に今、自らの方法で立ち直ることができよう。」、と激励を込めたスピーチを行った。東アジア共同体構想に関しては、「日本は国力も技術もある。東アジアは、そして世界は日本を必要としている。」と期待を込めて表明した。

2003年10月、22年間務めた首相の座を降りたマハティールが著した書の最後の言葉は、「日本人よ自分の足で立ち上がれ」、だった。

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立ち上がる巨ゾウ~安倍外交のお粗末~

Ind_03 21世紀に世界経済を席巻すると言われるBRICs(ブリックス=新興経済大国、B=ブラジル、R=ロシア、I=インド、C=中国を指す)4ヶ国。現時点で世界のGDPの約8%を占めるに過ぎないその経済規模は、2039年にG7(米、日、独、英、仏、伊、加)の合計を上回り、2050年でのGDPは中、米、印、日、ブラジル、露の順になると予想されている(米ゴールドマンサックス証券2003年レポート"Dreaming with BRICs: the path to 2050")。
これにより、米国による一極支配が崩れる可能性があると指摘され、ホワイトハウスも神経を尖らせている。

2028年に日本を超え中国、米国に次ぐ世界第3位の経済大国となると言われるインドは、すでにIT産業ではソフト開発力で世界一を誇り、さらに中国を上回る人口を武器に、これからの世界の工場となると見られていて、いま、最も世界の投資家・政治家・そして人々の注目を熱く集めている国である。

7月の参議院選挙で惨敗した自民党の安倍首相が、国内での政治の大混乱の中、8月21日~23日まで、当初から予定されていた通りインド訪問を強行したのは、対インドとの政治、経済の関係強化への強い意思の表れだった。経済面では、韓国や中国、EU企業に先行されている経済交流の地位挽回を目指し、このために、御手洗経団連会長をはじめとする250名近くもの経済ミッション団が安倍首相に同行し、精力的にビジネス交流のための活動を行った。

一方、安倍首相にはもうひとつの大きな思い入れがあった。今回の訪印で安倍首相は「自由と民主主義、基本的人権の尊重といった基本的価値と、戦略的利益とを共有する」と述べ、首相自論の「価値観外交」「自由と繁栄の弧」構想を披露した。Data207_3

安倍首相の「価値観外交」は、そもそも米国の新保守主義陣営(ネオコン)が提唱する「Value&Interest Sharing Alliance」と同義で、「民主主義」を世界共通の普遍的価値とし、その価値の共有を同盟の根拠、或いは敵対の根拠とするものだ。
安倍首相の提唱は、具体的には「オーストラリア、インド、日本、米国4か国の戦略的・経済的協力体制強化」を骨格としたものだが、インドのマンモーハン・シン首相は、あからさまではないものの、やんわりとその提唱を退けた。
「民主主義」をキーワードにした連携は対中国包囲網という色彩が強く、中国が敏感に反応することが明白である。シン首相が慎重に距離を置いたのは、当然であった。

政府、官邸が積極的に訴える「価値観外交」だが、本来こういうものは国内での政策として語られるべきもので、外国の首脳に対して言葉あらわに伝えるべきものではないだろう。
この点では、同じ時期にワシントンを訪問した小池百合子防衛大臣(当時)がライス国務長官と会談した際も、安倍首相らが提唱する「日米にオーストラリア、インドを加えた4カ国戦略対話」の枠組みについて、「中国に対して予期しないシグナルを送る可能性もある。慎重に進める必要がある」と否定的な見解を示された。
防衛省の説明によると、会談で小池氏が「日米は価値観を共有しており、豪印との連携が進めばさらに安全保障が強化される」と説明。これに対しライス氏は「インドとは個別の具体的協力を進める中で関係づくりをすることが適切だ」と述べ、2カ国間関係の強化にとどめるべきだとの考えを示したという。
新防衛大臣として、ライス長官と女同士の緊密な関係確立を期待していた小池氏には、さぞショックな返答であったであろう。

この一件でも露呈したが、安倍外交は言葉ばかりが踊り、現実の複雑な政治経済の利害関係への具体的戦略が無いのではないだろうか、という不安が募る。米欧日が世界をリードするという戦後の枠組みはすでに過去のものとなり、中国、ロシアは政治的プレゼンスを強め、インド、ブラジルという大国がそれに続く。アラブ諸国は原油高を背景に経済力が強まり、東南アジア諸国も統一経済圏構想を具体化しつつある。

高度なパズルのように複雑な世界情勢の中で、日本の政治はあまりに内向きであり、海外との階層的なアプローチが出来ていない。はっきりと言えば、巧妙なバランスオブパワーを築く構想力、情勢変化に俊敏に反応する機動力、相手の立場や状況を深く読む洞察力が未熟である。これも、米国追従一辺倒でここまで来たことによる結果であろう。

インドは戦略核の保有国でありながら、核拡散防止条約(NPT)に加盟しておらず、現行の原子炉についてもIAEA(国際原子力機関)の査察を受けていない。このため、国際社会では孤立した立場だった時期が長い。
中国とはチベット独立問題で紛争を抱え、パキスタンとはカシミール地方で戦時体制下にある。同じ南アジアにあるイスラムの大国イランとの関係や、急接近してくる英仏などのEU諸国、ロシア、米国との付き合い方では極めてデリケートな立場にあり、「全方位外交」を掲げて苦労して立ち回っている。世界各国は、このインドの置かれている状況を理解し、うまくアプローチしようとしている。

実際に、2004年7月以来、欧州理事会(EU首脳会議)の議長をも務める英国のブレア首相、ロシアのプーチン大統領、フランスのシラク大統領、オーストラリアのハワード首相が次々とインドを訪問した。当然ながら、外交の目的は自国のために最大な利益を求めるところにある。これらの首脳が長い旅を厭わず、ニューデリーに行ったのは、今まさに躍進しているインドが世界舞台で重要な役割を果たす前に、良い関係を結ぶことによって、政治や経済的な利益を獲得できるという狙いをもっている。

インドの核保有を厳しく非難していた米国のブッシュ大統領でさえ、2003年4月に初めて訪印し、「インドは世界最大の民主主義国」というおだて文句を連発して、経済発展への協調を提唱した(その後、2国間協定「原子力平和利用協力協定」を締結した)。
インドは現在、2ヵ所の原発を営業稼動させようとしている。近未来、全土に22ヵ所の原発を設置しようと計画している。この大プロジェクトに米国企業を参画させようというのが、米国政府の意図なのである。そのためには、NPTもIAEA査察問題も、すべて特例化してまで進めようというのである。

Koizumi これに対して、日本は2005年4月に小泉首相(当時)が訪印し、シン首相との間で両国関係強化で合意をみたが、日本出発時の「訪印の最大の目的は、本場のカレーを堪能したい」という小泉首相の発言は冗談ではなかったようで、インド財界人たちとのランチではカレー料理にたいそう満足したものの、その後の日印経済交流は芳しい進展はなかった。

2006年1月には、麻生外相(当時)が訪印したが、この期間、ニューデリーにはインドの重要閣僚はほとんどいなかった。シン首相をはじめ閣僚たちは、ハイデラバード開かれていた第四回インド旅行観光祭に出席していたのだ。なんともタイミングの悪い時期に訪印した麻生外相は、記者会見で「インドは世界最大の民主主義国であり市場経済という共有できる価値観をもっている。」と語った。
 麻生氏が力を込めた「世界最大の民主主義国」というフレーズは、これまで何度もブッシAso ュ大統領が使ったものだ。「アジアの友人」と言いながら、これほどまでに米国の言うことをなぞるだけの日本に、インドも困惑しているのではないだろうか?

日本にとって、対中国の外交はタフなものである。そのために、「価値観外交」も「自由と繁栄の弧」も良い。日印関係の緊密化は中国への圧力になる。しかし、外交戦略ともいうべき意図をあからさまにするようなあけすけな態度は国際センスを疑う。インドだって、困ってしまうだろう。
日印関係を中国への牽制、圧力とするためには、政治・経済・民間の各レベルで両国の関係が進展し、中国にとって無視できない状況をつくりだしてはじめて言えることではないだろうか。

インドの新聞では日中関係の現状を紹介し、経済発展する中国は日本をアメリカの戦略のなかに閉じ込め、日本独自の活動を押さえ込もうと意図している、と論じている。むしろ、インドの方が冷静に東アジア情勢を見極めているようだ。

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ネイサンと平蔵

Nathan 1777年、ナタン・マイヤー・ロートシルトは、銀行家の三男としてドイツのゲットー(ユダヤ人街)で生まれた。21歳で英国のマンチェスターに移住した彼は、英語読みでネイサン・メイアー・ロスチャイルドと呼ばれ、現在のロスチャイルド財閥の基礎を築いた。

1793年にフランス革命でルイ16世が処刑されると、市民革命が飛び火することを恐れた英国、ドイツ、ロシアなど列強は対仏同盟を結んでフランスを封じ込めようとした。一方のフランスには、ナポレオンという戦争の天才が現れ、同盟軍を各地で撃破していった。
長引く戦争に、各国政府は軍事費用が激増し、「戦争債」を発行して銀行家たちから出資を募らなければならなかった。

1812年のロシア遠征で大敗したナポレオンは、一旦はエルバ島に幽閉されるが、すぐにそこを脱出して復位を遂げる。これに対して、同盟国側はウェリントン将軍率いる英蘭連合軍がワーテルローでナポレオン軍に決戦を挑み、欧州の覇権を賭けた一戦が行われようとしていた。

ロンドンでは、英国企業に出資している貴族や銀行家たちが、この戦いの結果を伝えるニュースを息を殺して待っていた。同盟軍が勝てば、自分たちの持っている株券はプラチナを超える価値になる一方、ナポレオン軍が勝てば、それは紙くずと化してしまうのだ。

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2003年5月、東京株式市場でも世界の目がりそな銀行に関するニュースに注がれていた。

2001年、小泉政権が発足すると、慶応大学教授だった竹中平蔵は、経済財政政策担当大臣とTakenaka して入閣した。小泉首相は、経済政策に「緊縮財政」と「企業の破綻処理推進」の2つの基本方針を示し、「国債を絶対に30兆円以上発行しない」、「退出すべき企業を市場から退出させる」と拳を突き上げて叫んだ。
財政再建と景気回復のためのエンジンとして「市場原理主義」を導入したのは、竹中大臣の主張に従ったものだった。

竹中改革の要諦は、緊縮財政のもとで不良債権を抱えた企業処理を加速した後に、ITなどのニュービジネスにより景気の回復、経済の成長を図ればよい、というものだった。これを「サプライサイド(供給側)の改革」と呼んだ。
(しかし、この政策に対しては、サプライサイドの改革に重点が置かれ過ぎているため、不良債権は少なくなるだろうが、デフレは止まらないし、景気回復もない。不況が深まれば企業の売上げが落ち、価格競争は一段と激化する。デフレの悪循環は税収を落とし、国や地方財政を一層苦しめる。経済を縮小均衡させるだけで、かえって失業者を増やし、雇用不安をあおり、日本経済にマイナス効果をもたらすだけだろう、という批判が起こった。そして、まさにその懸念の通りとなった。)

2002年9月、小泉改造内閣で竹中経財相が金融相を兼務した。日本の銀行の不良債権処理を求める米国の意向に添った人事だという噂が飛び交った。
竹中金融相は「金融再生」を最重要課題とし、不良債権処理のために銀行の自己資本査定ルールの厳格化を試み、「繰延税金資産5年計上」を変更しようとした。株価、地価の暴落で、すべての銀行が自己資本不足に直面している最中の会計ルールの変更は、「政府が大銀行倒産を容認する」との政府の意思表示と受け取られ、日経平均株価は4月28日に7,607円まで暴落した。小泉政権の景気悪化促進政策と大銀行破綻容認のスタンスは、金融大恐慌を予感させた。

2003年3月期のりそな銀行の決算は、この「繰延税金資産計上」でもめていた。従来通り「5年」が認められれば自己資本比率4%の基準を満たし、りそな銀行は無事に決算を終えることができる。しかし、「ゼロか1年」の場合、りそな銀行の自己資本比率はマイナスに陥り、りそな銀行は「破綻処理」される。(「預金保険法102条第1項第3号措置」
その場合は、日本は金融大恐慌に突入すると見られていた。

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ロスチャイルド家は、5人の兄弟がドイツ、オーストリア、英国、イタリア、フランスの5カ国に分かれていて、お互いに堅く結びついて情報を交換していた。銀行家(投資家)にとって「情報」が最も貴重な武器であることを熟知していたのだ。
ロスチャイルド家専用の郵便船は常に出港準備完了の態勢を保ち、ひとたび何事かがあれば、乗客を乗せずに「情報」だけを誰よりも早く運んだ。

Royalexchange ワーテルローの戦いは、ロスチャイルド家の配置した監視役によって見守られ、ウェリントン将軍勝利のニュースは伝達船と早馬によってロンドンのネイサンのもとにいち早く届けられた。
その日の午後、ネイサンはロンドン市場で真っ青な顔をして大量の株を投売り始めた。それを見た投資家や銀行家たちは、慌ててわれ先にと株を投売りした。「ネイサンは、何か情報を摑んだ。ウェリントン将軍は負けたのだ」、と誰もが思ったのだった。当然、株は大暴落した。
翌日、ナポレオンが負けた、という正しいニュースが初めてロンドンに伝わったが、昨日紙くず同然にまで値を下げた株のほとんどは、ネイサンの手の者がすべて買い占めていた。

この日、英国の多くの銀行が破産し、名門の貴族家系が滅びた一方、ロスチャイルドは近代経済史上空前絶後の利益を上げて、後世の世界政治を動かすまでの力を得た。

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2003年5月5日、監査法人はりそな銀行の繰延税金資産を5年でなく3年とする案を決定し、りそな銀行に伝えた。
りそなの場合、「繰延税金資産」計上が他の銀行と同等の5年ないし4年だったなら基準を満たした。「繰延税金資産」計上がゼロか1年の場合、りそな銀行の自己資本比率はマイナスに陥り、りそな銀行は「破綻処理」された。その場合はりそな銀行の株価がゼロになり、日本は「金融恐慌」に突入しただろう。
繰延税金資産が「3年」計上されると、りそな銀行の自己資本比率は2.07%となり、4%の基準を満たさないが債務超過ではなくなり、預金保険法第102条第1項第1号措置の「抜け穴規定」を適用できる。公的資金で救済される規定があったのだ。

りそな銀行は政府によって救済された。実施されたのは経営陣交代と巨額の公的資金投Resona01 入だった。りそな銀行には1兆9600億円の公的資金が注入された。自己資本比率は一気に12.2%に上昇した。

小泉政権の「退出すべき企業を市場から退出させる」基本方針が放棄され「税金による銀行救済」が実行されるなら、株価は猛烈に上昇する。日経平均株価は政府がりそな銀行救済策を発表した3か月後の8月18日に1万円台を回復した。

この一連の流れの中で、おかしなことがいくつか起こった。
小泉政権が基本方針を放棄したのが5月17日で、この結果、株価が猛烈に上昇するのが自然だろう。しかし、現実には株価の上昇は4月28日から始まっており、株価急騰局面で外資系ファンドが莫大な利益を獲得したと見られている。一部の国会議員も株式購入に狂奔したという。…情報を事前に入手した勢力が存在する可能性が高い。

2003年2月7日に見過ごせない出来事があった。竹中経財相兼金融相が閣議後の閣僚懇談会で、日経平均株価指数連動型株式投資信託(ETF)について「絶対に儲かる」、「私も買います」と発言した。証券取引法では証券投資の勧誘などにおいて「絶対儲かる」などの断定的表現を禁じている。発言が問題になり、竹中大臣は厳重注意を受けた。
しかし、「絶対儲かる」発言の3か月後の5月17日に「りそな処理」が発表され、株価が高騰に転じたので、本当に買っていた人は大儲けしたことだろう。竹中金融大臣が、何を根拠に「絶対儲かる」と発言したか、背景が問題だ。

2006年12月18日の朝日新聞は「りそな銀、自民へ融資残高3年で10倍」のニュースを一面トップで伝えた。2002年末から05年末にかけて東京三菱、UFJ、みずほ、三井住友などの大銀行が自民党への融資を減少させたなかで、りそな銀行は02年末に4.75億円だった自民党への融資残高をりそな処理のあった03年末に24億円、05年末に54億円へ激増させた。
りそな銀行が自民党の機関銀行と化したことを暴露した朝日新聞記事が掲載される前日に、この記事に関わった同紙の敏腕記者が自殺したと伝えられた。

早稲田大学教授だった植草一秀氏は、この問題を厳しく指摘し、りそな処理に関係する巨大な「インサイダー取引疑惑」が存在する、その疑惑解明のために証券取引等監視委員会(日本版SEC)が徹底調査すべきだ、とテレビなどで何度も訴えた。しかし、証券取引等監視委員会は動かなかった。
りそなインサイダー疑惑への追求姿勢を強める植草氏は、2004年4月、東京都迷惑防止条例違反(痴漢容疑)で逮捕された。そして、検察側の不自然かつ非合理な起訴状内容にもかかわらず、罰金刑が確定した。
さらに、一連の事件と不当逮捕について全貌解明の本の出版を用意していたところ、2006年9月に再び痴漢容疑で逮捕された。この件も、無実を主張して現在も裁判係争中である。

【参考】
「赤い盾」 広瀬隆著 集英社
日本人が知らない恐るべき真実
「知られざる真実~拘留地から~」 植草一秀著 イプシロン出版企画
りそな銀行の闇(「副島隆彦の学問道場」)

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米国債はアヘンか?

Qv0001 英国で「アフタヌーンティー(Afternoon tea)」という奇妙な習慣が生まれたのは、19世紀のヴィクトリア女王の時代だった。
当時のイギリス上流社会では、たっぷりと朝食を食べたので昼食は軽く済ますのが通常で、そのうえ、晩餐は午後8時頃からと遅いので、午後に空腹を感じることが少なくなかった。

1840年にベッドフォード公爵夫人のアンナ・マリアが、空腹を満たそうとメイドにお茶とパンやケーキを運ばせ、友人を招いて優雅な食器を披露したり、歓談するようになると、「アフタヌーンティー」という習慣はまたたく間に貴族の社交の場として広まっていった。

ところが、英国をはじめ欧州では茶樹が生育しないため、年々需要が伸びる紅茶は、もっぱら中国(清)から輸入されていた。当時は銀本位制によって、輸入された紅茶の代金は銀で支払われたので、大量の銀が英国から中国に流出した。

この事態を懸念した英国は、何とか対中国貿易でバランスを取ろうとしたが、英国の誇る陶器製品もそもそも英語で「ボーンチャイナ」と呼ばれるように中国が本場だったし、労働コストで中国の6倍の英国から中国に輸出できるものは何もなかった。
そこで、英国は植民地インドに設立していた東インド会社を通じてインドで産出されるアヘンを中国へ輸出し、その代金を銀で受け取るという策を講じた。
英国の資本で設立された東インド会社は、中国から獲得した銀を、英国本国へ配当として送金したので、結局、英国本国には紅茶の代金がそっくり還流する仕組みとなった。

図:「徹底歴史研究同盟」様Photo_3

ヴィクトリア女王が没して100余年、現代の日米貿易は、品質で優る日本製製品が米国市場に浸透し、慢性的な日本の貿易黒字となっている。今はドルが世界の基軸通貨であるので、日本には貿易黒字分のドルが年々増えていく。
かと言って、外国為替市場でドルを円に換えれば円高となって、輸出貿易の条件を悪くするので、日本政府は外貨準備高として膨らみ続けるドルに困っていた。
そこで、米財務省は日本政府に米国債を買うことを奨めた。米国債は、日本より高い金利で運用できるので、将来大きな利益を生む、というわけだ。こうして、米国には対日貿易で支払ったドルがそっくり還流する仕組みとなった。
(最近では、日本より大きな貿易相手国となった中国も、大量の米国債を買わされている。)

Photo_2

話は戻ってヴィクトリア時代、英国船が運んでくるインド産のアヘンのために、中国国内にはアヘン吸引の悪弊が広まっていき、健康を害する者が多くなり、風紀も退廃していった。ついに、道光帝は林則徐を特命大臣に任命してアヘンの取締りに当たらせた。林則徐の厳しい取締りに怒った英国は、1839年、大艦隊を中国に派遣してアヘン戦争が勃発Ahen_war した。結果は軍備で勝る英国軍の完勝で、講和条約で割譲された香港は、1997年に返還されるまで英国に占領された。

1997年と言えば、6月に橋本総理(当時)が米コロンビア大学での講演で「本当のことを申し上げれば、われわれは、大量の米国債を売却しようとする気になったことは、幾度かあります。米国債を保有することは、われわれにとって唯一の選択肢ではないのです。むしろ、米国債を売却して、金を購入することも、もうひとつの選択肢なのです。」との発言をしたとたんにNY市場が大暴落し、「大恐慌を起こしかけたハシモト」と米メディアにコテンパンに叩かれた。この一件があった後、日本保有の米国債売却の話は、日米間でタブー視されることとなった。

話は再び戻って、アジア地域で強力な軍事力を保持するヴィクトリア女王時代の英国は、何とインドに25万ものインド常備軍を持っていた。25万と言えば、英国本国の常備軍よりも大きな軍隊だったが、その抜きん出て大きな軍隊の維持費は、インド国民から徴収された税金でまかなわれていたので、英国政府の財政負担は無かった。

さて、現代の日米関係に戻ると、日本の在日駐留米軍にかかる費用の一部は、日米地位協定および在日米軍駐留経費負担特別協定によって30年間に渡って日本が負担している(なぜか「思いやり予算」と呼ばれている)。その額は毎年約2,500億円に上るが、額Usaf01 の多さから日本は「世界一気前のいい同盟国」と米国民に揶揄されている。そればかりか、在沖縄海兵隊のグアム移転費も、日本側が59%(約7000億円)を負担することで合意している。

ここで再度ヴィクトリア時代のインドだが、英国の支配によって中世的社会構造から近代化への改革に向かったインドは、しかし現地の人々に多大な苦痛をもたらした。原因は現地の実状を理解しない支配層が勝手に自分たちの利益のために、安易な税金増収を行ったからである。中世時代のインドの税システムが遅れたものであったのは事実だが、それが社会の実状にあっており、農民に過重な負担をかけないように弾力性を持たせたものになっていたのだ。それを無思慮に一律の税をかけることによって、農民は疲弊し、社会そのものを破壊し、混乱させることになった。

またまた現代の日本に戻ると、「カイカク」を掲げた小泉内閣は、「日本的」と言われた戦後の社会システムをすべて否定し、無思慮に米国流の「市場原理主義」を導入した。この為、一億総中流と言われ、世界で一番豊かで安全だった日本の社会は様変わりし、格差社会で貧困に苦しむ国民が激増し、生活苦に起因する犯罪や自殺が増加して、社会そのものが破壊されてしまった。

ヴィクトリア時代の大英帝国と中国、インドの植民地支配の関係と、現代の米国と日本の関係に類似点が多いというのはどういうことだろう。日本保有の膨大な米国債は、外貨準備高として「資産」に計上されているので、その価値は失われないが、もし、ある日ドルの価値が崩壊することになれば、中国(清)が買わされたアヘンのように、灰のような無価値のものになってしまう危険をはらんでいる。

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大国の利権 ~ダルフールの悲劇~

0001 国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長は9月3日、スーダン西部ダルフール地方の人道危機の改善を目指して、スーダンの首都ハルツームに到着した。国連安全保障理事会が7月末に派遣を決めた平和維持活動(PKO)のための国連・アフリカ連合(AU)合同部隊(UNAMID)へのスーダン政府の全面的な協力を取り付けることを目指す。

日本の報道ではあまり触れられない「ダルフール問題」だが、世界では今世紀最大の虐殺、ジェノサイド問題として人々の関心が高まっている。

Darfur_map_2 ダルフールとはスーダンの西部地方、チャドと国境を接する地帯の総称で、アラブ系住民 と黒人系住民がほとんど慢性的と言ってもいい内戦を断続的に繰り広げてきた。2003年2月、黒人系部族を中心とした、反政府勢力による政府機関襲撃をきっかけに紛争が激化、国軍とアラブ系民兵(ジャンジャウィード=「馬に乗った悪魔」と恐れられている)は、豊富な武器と軍用ヘリなどの大型兵器を使用して黒人系住民の村々を次々と襲撃した。
国連によれば2006年2月までにダルフールの黒人系住民18万人が殺された。(一方、英国議会の報告書では30万人となっている。)

こうしたダルフール問題が世間に知らされ始めたのは2004年頃からで、4月3日の米ワシントンポスト紙の記事("Crisis in Darfur ")では、スーダン北西部ダルフール州におけるイスラム教徒の民族浄化(大量虐殺・レイプ・略奪)を、現在世界における最大の人道上の問題の一つ、と伝えた。 さらに、ワシントンポストは、この問題が報道されないのは、イラク問題やパレスチナ問題のような利益代表が米国内にいないからだと皮肉っている。

2004年、国連のアナン事務総長(当時)は、この状況を「ぞっとさせられるぐらい現実的な大量虐殺の危機」と警告。さらに踏み込んで、「国際的な軍事介入もあり得る」とスーダン政府を非難した。米国のパウエル国務長官(当時)もダルフールを訪れ、スーダン政府にジャンジャウィードへの支援を止めるよう求めた。

国連安全保障理事会では、スーダン政府に対する経済制裁などの措置を協議したが、常任理事国である中国は棄権してこれに応じなかった。中国はスーダンから産出量の70%以上の石油を輸入しており、多くの武器を輸出している。その武器がダルフールの虐殺に使用されている。

中国がスーダンに豊富な油田があると想定し、最初にその発掘に乗り出したのは1973年のことである。その後1983年に、スーダンにはイランとサウジアラビアを足した分よりも大きな油田が横たわっていることが確認された。以後この国では石油利権を巡って、熾烈な利権獲得紛争が繰り返され、欧米からもアメリカやフランスの石油メジャーが触手をのばしていたが、その後アメリカはスーダンをテロ国家として名指して国交を断絶、目下、中国はスーダンにおける石油利権で、一人勝ちといわれている。

スーダンのアラブ系住民の背後にある中国と、大国の利権によって紛争が絶えない未開発国という図式は、かつての帝国主義植民地時代を彷彿とさせる。(中国は、以前は侵略される側だったのだが。)

これに対し、米国議会下院の議員108人が5月、中国の胡錦濤国家主席あてに書簡を送り、スーダンのダルフールでの虐殺を続ける勢力への支援の停止を求め、中国側が十分な対応をしない場合には2008年の北京五輪のボイコットにもつながると警告した。フランスでも4月の大統領選挙のテレビ討論会の中で、社会党のロワイヤル候補がダルフール紛争における中国側の対応を非難し、オリンピックのボイコットを呼びかけた。北京オリンピック組織委員会芸術顧問を務める映画監督のスティーブン・スピルバーグも、中国の胡錦濤主席に書簡を送り、中国がダルフール紛争を収拾させる行動を取らない場合は、北京オリンピックの顧問を辞する、と伝えた。

イラクとアフガニスタンで泥沼に落ち込んでいる米国政府の動きは鈍いが、民間レベルでの平和運動と、スーダンの背後にいる大国中国に対する批判が高まっている。
ここで懸念されるのは、2007年1月から新しく国連事務総長に就任した韓国の潘基文のリーダーシップである。アジア人として初めて国連の頂点に立った潘基文は、中国の力に頼り切っていて、公平な舵取りができないように見える。潘基文はダルフール問題の原因について「ダルフールの内紛は、中央アフリカの気候変動が原因」と断言したのだ。確かに気候変動がもたらした凶作は、貧困層の多いダルフール地方に大打撃を与えた。しかしながら、中国の経済制裁拒否や石油利権、武器売買に全く言及することなく、ことさら貧困問題を強調するのは不自然であろう。

では、日本政府の立場はどうなっているのだろう?

2007年6月13日の参議院「政府開発援助等に関する特別委員会」で、安倍首相は、次のようにな発言をしている。
「私も先般、4月来日をされました温家宝総理に対しまして、中国におきましては、(特にスーダンに対しての)海外援助の在り方、その透明性、そしてまた国際規範に沿った支援を行うように求めてまいりたいと考えております。(中略)スーダンにおける虐殺、そしてその関連において、中国が来年オリンピックを開催するにもかかわらず、スーダンへの支援を行っているという議論があるのは十分承知をいたしております。しかし、日本の立場は、
スポーツはあくまでもスポーツであり、政治とは分けて考えるべきだろうと、このように思っているところでございます。」(国会議事録より)

・・・世界中が批判のトーンを高める中で、何と言う温度差であろう。これは事実上、中国のスーダン政策に理解を示していると受けとられかねない国際的政治感覚を欠いた発言でさえある。おそらく安倍首相は、小泉政権によって冷え切った対中国、韓国外交関係を好転させたい、というような配慮が抑制として働いたのだとは思うが、およそ世界の中のリーダーとしての資質を疑いたくなる間抜けな発言と言わざるをえない。

日本が国連常任理事国入りを目指し、真の意味で世界のリーダーたらんとするのであれば、ダルフール問題のような無差別虐殺に自ら手を貸すような政府や、後ろで利権を貪っているような国への批判はきちんと表明するべきであろう。

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対テロ戦争の裏側

Bush0001 フランスの公共テレビ局、FRANCE3が「断片からの確信」(2001年10月放映)という番組のなかで明らかにしたところによると、2001年7月(アメリカ同時多発テロの50日くらい前)に、ある秘密裏の会合がドイツのベルリンで数度開催されていたらしい。その会合に参加していたのは米国、ロシア、パキスタン、ドイツの高官で、アフガニスタン内戦を終わらせ、タリバン政権の国際的孤立に終止符を打つ和解案を練っていたという。

米国はそこで、アフガニスタン国内に巨大なパイプラインを敷設するかわりに、何十億ドルもの土地使用料を支払うという提案を行っていたが、タリバン側は結局最後までその会合に参加することを拒否し続けた。

米国は、クリントン政権時代から石油資本(メジャー)が中央アジア諸国に埋蔵される莫大な量の石油や天然ガスを掘削、搬出し、アジア諸国などに売りさばくと言う戦略をもっていた。ただ、それらの石油、天然ガスをイラン国内にパイプラインを敷設してアラビア海、インド洋に搬出するには軍事、政治的にリスクが大きすぎることを懸念していた。政情不安となれば、いつ何時、苦労して得た権益が相手国側に行かないとも言えない。したがって、米国はパイプラインを親米国であるパキスタン経由で搬出することを計画していた。

中央アジアに埋蔵される膨大なエネルギー資源は、米石油資本にとって何としても手に入れたいものだった。

Afgan_map 1995年、トルクメニスタンなどカスピ海諸国からアフガニスタンを経由しアラビア海に天然ガスを搬出する大規模なパイプライン計画が米石油資本大手のユノカル社によって計画され、関係当事者との交渉が始められた。交渉窓口のユノカル社最高顧問は、ハミド・カルザイ氏(現アフガニスタン大統領!)だった。米国の中央アジアのエネルギー資源獲得の野望は、しかし目前で振り出しに戻ってしまう。アフリカ北部諸国における米大使館連続爆破事件の首謀者とされたビンラディン容疑者の引渡しを求めて、米軍がアフガニスタン内のテロリスト訓練キャンプに巡航ミサイル「トマホーク」を撃ち込んだため、アフガニスタン側交渉窓口だったタリバンが態度を硬化させたのだった。

米国の中央アジアのエネルギー資源獲得計画が頓挫する一方で、トルクメニスタンの天然ガスは、1997年にイランへのパイプラインが完成し、輸出が始まっている。また、2000年から、ロシア向けに大規模な輸出が始まっている。更に、中国へのパイプライン敷設計画や、トルコに向けたカスピ海海底パイプライン計画もあって、このまま行けば、トルクメニスタンの天然ガスは、ロシア、イラン、そして中国に抑えられてしまう。しかも、トルクメニスタンに限らず、中央アジアには、手つかずの膨大な石油と天然ガスが埋蔵されている。早急にアフガニスタン・パキスタンルートのパイプラインを完成させなければ、米国はこの膨大な宝の山を失うことになる。

ブッシュ政権の副大統領のリチャード・B・チェイニーは、10万人の社員を擁する石油関連企業、ハリバートン社のCEOを歴任しており、ライス安全保障担当大統領補佐官も石油関連産業に関与していた。彼らの属していた石油関連会社は東南アジアの油田開発も積極的に行っており、中央アジアに眠るエネルギー資源を垂涎の思いで見ていたことだろう。

ベルリンでの秘密会合で米国のアフガニスタン石油パイプライン交渉が決裂した直後、偶然にも(?)2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが起こると、米国は間髪入れずにアフガニスタンに侵攻してタリバン政権を倒し、大統領選挙でカルザイ氏を新大統領に押したてた。そして、一気にアフガニスタンの治安を回復するれば、米国石油資本と親密なカルザイ大統領によってパイプラインをパキスタン経由で完成させることができて、90年代後半の失敗は取り戻せる、というのが米国のシナリオだったのだろう。

しかし、実際には周辺諸国からイスラム義勇軍が続々とアフガニスタンに集まり、紛争は泥沼化してしまった。民衆も米国を中心とする多国籍軍を必ずしも支持せず、タリバン勢力は国土の半分を制圧するほど回復してきている。

小泉政権も、米国のシナリオを信じて、短期間で「不朽の自由作戦」は終了すると考えていたのであろう。しかし、「不朽の自由作戦」に協力するための「テロ特措法」はすでに3回の延長を繰り返し、4回目の延長が求められている。「テロ撲滅」が目的なのか、「中央アジアの石油利権」が目的なのか、いずれにしても米国のシナリオが破綻している以上、日本の「テロ特措法」を支える前政権の政治判断も破綻したと考えるべきだろう。

余談だが、ロシアのプーチン大統領は、カザフスタンなど中央アジア諸国とカスピ海諸国を結ぶパイプライン敷設の障害となっていたチェチェンを対テロとして攻めたて、中央アジアを傘下に収めた。彼もまた、「チェチェンのテロリストとの戦い」を唱えながら、まんまと中央アジアのエネルギー資源を手にし、ロシアを超大国に復活させる野望を推し進めている。

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パキスタンとテロ特措法

020001 民主党の「テロ特措法」延長に反対の意向を受けて、自民党からは「海上自衛隊の海外給油活動が止まると、アラビア海で海上監視活動をしているパキスタンは活動継続が困難になる。多国籍軍参加国の中で唯一のイスラム教国のパキスタンが離脱すると、対アフガニスタン平和回復活動が「キリスト教国」対「イスラム教国」という図式に変質してしまい、中央アジアから中東地域の混乱を増幅する。」という見解が主張されるようになった。
要するに、対米追従で「テロ特措法」を延長するのではない、対アフガニスタンの平和活動のために自衛隊の参加が不可欠なのだ、という論理で、だから反対する民主党は無責任だ、というわけだ。

たしかに、8月に小池百合子前防衛相がパキスタンのアジズ首相らと会談した際、アジズ首相は「日本が活動を中止すると国際社会にネガティブなメッセージを与えることになる」と強調。イクバル国防相は「日本の支援がなければパキスタンが活動を続けることは難しい」と述べた。

しかし、政治の裏側の真実を追究する当ブログでは、この自民党の主張の不確かさを追求したい。

パキスタンはイスラム教国であるが、歴代親米政権が続いてきた。これは、パキスタンが英領インドから独立した時にさかのぼって、インドと三度の戦争を含む緊張関係にあるという歴史的な背景により、政権は常に米国の後ろ盾を必要としてきたことによる。

1998年の核開発を強行したことで、米国の経済制裁により米・パキスタン関係は悪化していたが、2001年米国同時多発テロ事件によって米国がアフガニスタン攻撃への協力をパキスタンに要請したのを機に好転し、現在、米国はパキスタンを「テロとの闘いの協力国」及び「非NATO主要同盟国」に指定している

ところが皮肉なことに、アフガニスタンのイスラム過激勢力に対する米国の制圧作戦と、これに共同するパキスタン軍による国境沿いのアルカイーダ、タリバン残存勢力掃討作戦は、イスラム宗教勢力を中心とするパキスタン国内の反米感情を高揚させ、これが反ムシャラフ政権の気運に連動している。この秋、3度目の大統領選挙と総選挙を控えるムシャラフ大統領は、支持率の急落によって危機感をつのらせている。

パキスタンに反米政権ができることを恐れる米国は、国民に人気のある亡命中のブット前首相とムシャラフ大統領と手を結ばせて、新しい政権を作らせようと画策しているが、まだ二人の合意には至っていないようだ。一方、反ムシャラフで立候補を狙っているのは、7年間の国外追放を終えたシャリフ元首相で、亡命先のロンドンからの帰国がパキスタンの最高裁で認められた。シャリフ元首相が総選挙に立候補すれば、野党勢力が結集して反ムシャラフ政権の実現も不可能ではないほど、政情は緊迫している。

つまり、事ほどさように政治状況は複雑であり、パキスタンが、高まる国民の反米意識の中で来年以降の多国籍軍への参加を継続できる保証はない。そして、パキスタンが離脱した後の米国および協力国の対アフガニスタンへの武力介入が「反イスラム」という位置づけになれば、イスラム諸国に比較的友好的に見られてきた日本も、その立場が難しくなる。

米国追従の小泉政権によって決められた「テロ特措法」は、米国の対テロ戦争の泥沼化ですでに限界に達している。やはり、自衛隊の海外派遣については、しっかりとした日本の原則を確立する必要があるのである。

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米国追従の日本

01 無所属の江田憲司衆議院議員がテレビ番組(9月1日テレビ朝日放送「朝まで生テレビ」)で「米海軍中央司令部&第五艦隊」のオフィシャルウェブサイト(「United States Naval Forces Central Command and 5th Fleet」)の「イラクの自由作戦」(今はアクセス不能)というところの記事において「日本政府は、不朽の自由作戦の開始以来、86,629,675ガロン以上の燃料(7,600万ドル以上相当)を貢献した」と書かれていたことを公表した。

米軍の軍事行動にはそれぞれ固有作戦名がつけられていて、対アフガニスタンの軍事行動が「不朽の自由作戦」であり、対イラクの軍事行動が「イラクの自由作戦」である。
米海軍中央司令部のオフィシャルウェブサイトの「イラクの自由作戦」の項目において、日本の海上自衛隊の海上給油活動に言及したということで、これまで、インド洋の給油が、実はイラク戦争に展開する艦船に「間接給油」されているのではないかとの疑惑が深まった。

イラク攻撃に向かう米艦艇への燃料補給が行われているとすれば、戦争への事実上の参加につながり、 海外での武力行使を禁じた憲法違反ではないかと批判の対象となる。

9月2日のテレビ朝日のサンデープロジェクトに出演した石原伸晃政調会長はこの事実を把握しておらず、司会者から意見を求められて、「米軍は軍事ミッションとして行動しているので、インド洋からアフガンの作戦に向かったり、イラクの作戦に向かったりするのは、仕方が無い」というような説明に終始していた。(同時に出演していた防衛問題に詳しいはずの額賀財務大臣も、意見を聞かれて何を言っているのかわからなかった。)

たしかに、海上給油を受ける米海軍の艦船がアフガンの作戦に従事しているのか、イラクの作戦に従事しているのか、あるいは重複しているのか、特定は難しいであろうし、また分かったとしても、それによって給油を拒否することも出来ないであろう。

問題は米軍ではなく、日本の法律にある。現在日本の自衛隊の艦艇がアフガン攻撃の多国籍軍である米英など10カ国の艦船に対し無償の燃料補給をする行動は「テロ特措法」(2001年9月11日アメリカ同時多発テロに対応して行われる特別措置法)に基づいており、イラクに関しては「イラク特措法」(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法)という別の法律がある。

「イラク特措法」は非戦闘地域において人道復興支援活動・安全確保支援活動を行うことを目的としていおり、サマワという地方都市で道路の整備や飲料水の供給を行った。また現在は、航空自衛隊が空輸活動を行っているが、インド洋上での海上自衛隊の海上給油活動は含まれていない。

結論を言えば、イラクへの軍事行動に参加する多国籍軍の艦艇へ給油するのであれば、テロ特措法もイラク特措法も内容を改正しなければならない。しかし、そもそも時限立法である「特別措置法」の改正ということはおかしいのであって、新しい法律を作るというのが正しい考え方であろう。

現在のところ、民主党はテロ特措法の延長に反対していて、それに対して自民党は「国際社会への責任を果たさなくて良いのか」と批判しているが、問題の本質を正しく国民に知らせていない。そもそも、対米追従の小泉内閣によって施行された、対米追従の法律について、引き続き対米追従で延長すれば良いのか、(海上給油活動を続けるにせよ、止めるにせよ)日本独自の原則を持つのか、という議論なのである。

自民党代議士のレベルの低さは辟易させられるが、国民の側も事の本質を理解して国会議論を注目したい。

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一方は菅直人だろう

Kan001_2 日本に「保守」と「リベラル」の明確な政治姿勢に立つ二大政党制が出来上がるまでに、いったいどれくらいの時間がかかるかわからないが、今そのような状況になるとすれば、リベラルの側の旗手は菅直人(民主党代表代行)であろう。

菅直人と言えば、「さあ、これから」と期待が高まるときに「不倫疑惑」や「年金未納問題」などで自分から転んでしまうひ弱さがあるが、日本の政治家の中では社会市民運動というリベラルの中心で育ってきた代表的な人物であることは間違いない。

戦後の日本は東西冷戦構造の中に組み込まれ、政治においては親米自由主義の自民党と、マルクス・レーニン主義を掲げる社会党が議会の二大勢力だったが、日本は西側陣営の一員だったから政権は常に自民党が取り、社会党が何でも反対するという「55年体制」が出来上がっていた。

1970年代後半には、30年間にも及ぶ自民党の長期政権下で政治腐敗がすすみ、76年には「ロッキード事件」が発覚して「ピーナッツ」だの「灰色高官」だのという言葉が新聞紙面を賑わして国民の政治不信を加速させた。
しかし、選挙といえば相変わらず全国区候補者を大企業の系列ごとに割り当てる自民党の「企業ぐるみ選挙」「金権選挙」と、大企業・官公庁の労組に依存する野党の「労組選挙」であって、一般の国民には縁遠いものであったから、都会ではそんな政治に白けて背を向ける「支持なし層」(現在の無党派層にあたる)が増えていった。「支持なし層」の中心は、学生時代に安保闘争に参加した世代だった。

それでも、一部に積極的に政治に参加しようとする「支持なし層」が現れ、74年の参院選挙では前回落選した市川房枝前参議院議員をかつぎ出し、東京七区に若き菅直人を立候補させた。この時の選挙では、菅直人は次点で落選するが、「看板、地盤、鞄」とういう選挙の三種の神器を持たない理想選挙としては多数の票を獲得して善戦した。

その後、菅直人は「参加民主主義をめざす市民の会」を結成して細々と政治活動を続けるが、社会党を離脱して「社会市民連合」を組織していた江田三郎に見出されて、中央政治の舞台に登場することになる。

「社民連」は、自民党一党支配によってはびこる腐敗政治(利益誘導、汚職、不正資金など)で沈滞し、行き詰った日本の政治を、市民の政治参加によって打破しようという理念を掲げ、漸進的な社会改革を目指した革新政党だった。
具体的には、産業発展優先社会の中で生じた環境汚染、資源・エネルギー問題の解決、「公開」「分権」「自治」「参加」による公正な民主主義政治の確立、南北格差問題の解決や第三世界の正当な権利を守る国際民主主義への貢献、世界に誇る日本国憲法の原理である平和主義の堅持、などを目指した。

日本の「リベラル」の原点は、ここにある。
1)平和憲法の堅持 (保守の対立軸は「憲法改正による軍事力行使の原則の確立」)
2)弱者保護や地域格差是正による公平な福祉社会の実現 
(保守の対立軸は「市場原理による効率的で競争力のある社会と小さな政府の実現」)
3)世界平和と共存のために国際機関の役割を重視する 
(保守の対立軸は「愛国主義、国家主義を重視する」)
4)自然や環境との共存意識を重視する 
(保守の対立軸は「産業技術の発展による高度経済社会を重視する」)

残念ながら、日本におけるこれらのリベラルの主張は理想的過ぎて、なかなか現実の政権担当能力を国民に認めてもらうことができないままである。

社民連は細川連立政権への参加を機に発展的に解消し、菅直人は94年にさきがけ(武村代表)に合流する。

菅直人が全国的に大きく知名度や評価を上げたのは、96年に橋本政権(さきがけも連立で参加していた)で厚生大臣を務めた時のことだろう。
厚生省が認可した血液濃縮製剤が原因でHIV、エイズに感染する薬害エイズ問題に対して積極的に原因解明に乗り出し、厚生省官僚が「無い」と言いはっていた濃縮製剤認可時の資料を引っぱりださせて、薬メーカーや国の責任を認めて患者との和解に導いた。

この時のリーダーシップの印象が強いので、その後、鳩山由紀夫と民主党を結党後、その代表まで務めた。民主党は野党第一党として、自民党政治の対抗勢力となったが、未だに現実の政権担当能力は多くの国民に疑われていて、政権奪取はできない。

自由党が民主党に合流して、菅直人が小沢一郎と組むことになったとき、自民党保守本流の申し子である小沢一郎と、リベラルの本流の菅直人との組み合わせは、なんとも奇異に見えた。しかし、都会育ちの民主党のリーダーたちは、泥臭い政治の現場や国会での駆け引きには未熟であったので、小沢一郎の選挙戦術、政局対術、国会対応術などは、彼らにとってたいへん勉強になっているのではないだろうか?

小沢一郎から盗むべきものを盗み、保守対リベラルの二大政党制の実現のために、菅直人にはリベラルの旗手としてもう一度立ち上がってもらいたい 。

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小沢一郎最後の勝負

0001 参院で民主党が多数の議席を獲得して、政界再編を目指す小沢代表にとっては最後の勝負となるだろう。

小沢一郎は憲法改正論者だ。しかし、今は安倍首相が「憲法改正」を政治スローガンに掲げているので、「憲法改正」の語句は封印している。「占領軍によって作られた今の憲法を日本人の手に取り返さなければならない」という安倍首相の憲法観と、「自立した”普通の国”を作るには、軍事力の行使に関する憲法上の明確な原則を持つべきだ」と考える小沢代表の憲法観は次元が違うので、みそくその憲法論議に巻き込まれたくないと考えているのであろう。
来日したドイツのメルケル首相との一昨日の会談で、小沢代表は「日本の最大の問題点は、軍事力を海外に派遣する原則がないことだ」と語った。明らかに、憲法上の制約を指しての発言である。

小沢代表が目指す究極の二大政党制とは、現在の自民党対民主党のスキームではない。「保守」対「リベラル」の政治理念、政治原則がぶつかり合う二大政党制である。英国の保守党対労働党も、米国の共和党対民主党も、「保守」対「リベラル」の対立軸になっているが、現在の日本の自民党対民主党では、そのようにならない。

「戦後政治と言うが、辛辣に言えば、戦後に政治は必要なかった。政治はすべてアメリカがやってくれたのである。日本は経済に専念すればよかった。」これは、1999年2月にプレジデント誌のインタビューに答えた小沢一郎(当時自由党党首)の言葉だ。

東西冷戦構造の下では、日本は極東における西側陣営の橋頭堡であり、米国との一心同体の関係は変えることのできない大前提であった。すなわち、戦後50年間の自民党による長期政権は必然であった。この間の社会党や共産党はイデオロギー政党であって、決して政権を取る可能性はなかったし、公明党は言わずもがなの創価学会の代弁者である。

自民党はリベラルの左派から保守の右派までの代議士を擁し、したがって、保守対リベラルの対立は政党間対立ではなく、自民党内の派閥対立になった。自民党代議士であればほぼ選挙では当選できたので、政治家の力は政策理念や実行力で国民の票を獲得することではなく、派閥にカネを引っ張ってくることで計られ、族議員が増殖し、利権政治が蔓延した。
このような政界構造だったので、行政が政治主導になるはずがなく、官僚主導の行政体制が確立された。

東西冷戦の終焉によって、この日本の戦後政治のパラダイムが大きく変わった。もはや米国は同盟国として日本を無条件に保護してくれる存在ではなくなり、むしろ経済的脅威として敵対する関係になった。中東地域や中央アジアの混乱に対して、カネで解決することはもう許されない(小沢一郎は、自民党幹事長当時の湾岸戦争支援で130億ドルもの支援金を拠出しながら、世界から「日本は血を流さずにカネで解決するのか」と厳しく非難されたことを忘れられないだろう)。
経済面でも、官僚主導の行政体制では国際経済競争に勝ち抜けない。外交面では米国追従ではなく、独立した見識が求められる。

残念ながら、この15年間の日本は、この大きな外部環境の変化に対応できずに、役割の終わった自民党政治を存続させ、いたずらに不況を長引かせて、対米追従に終始した。

日本を自立した「普通の国」にすることが、自民党離党以降の小沢一郎の生涯目標であることは明確である。この間、新生党結党~新進党結党~自由党結党~民主党合流と変遷し、一時は日本新党と手を結んで連立政権樹立に成功した。しかし、リベラルの「さきがけ」や社会党まで巻き込んだ連立政権は内部対立から崩壊し、この頃から小沢一郎は究極の「保守」の核を作る長期戦略に転じたと思われる。

自民党の保守勢力と民主党の小沢代表周辺グループが集まる一方、自民党のリベラル勢力と民主党のリベラルが集まることで、「保守」対「リベラル」の対立軸による二大政党制が完成する。その際、明瞭な政治理念を持たないどっちつかずの政治家や、二世三世のバカボン議員は、政治の舞台からはじき出されるかもしれない。(郵政ドタバタ選挙で間違えて当選した一部の小泉チルドレン議員などは論外)。

どのようなロードマップを用意しているのか、小沢一郎の最後の勝負に注目したい。

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