« 米朝接近と孤立する日本 | トップページ | 市場はターミネーターだった~ドルの破滅~ »

多極化世界で日中どうする?

Ozawa01 民主党の小沢代表が12月6日から10日まで中国を訪問することが決まった。民主党国会議員50人と支援者ら千人が随行する「大訪中団」で、チャーター機3機に分乗しての訪中になるという。小沢氏は胡錦濤国家主席らと会談、政権交代への布石として外交手腕をアピールする構えだ。

21世紀に入ってからの自民党政権の対中関係は、小泉前首相の米国一辺倒の追従外交と靖国参拝問題によって冷え切ってしまった。その後、昨年の安倍首相の中国訪問、今春の温家宝首相の来日などで雪解けムードが期待されたが、それでも右派的で強いナショナリズムを感じさせる安倍氏への中国側の警戒感は溶けていない。自民党政権の下で停滞したままの日本のアジア外交を動かすことで、小沢氏は政権交代の足がかりにしたい考えのようだ。

もともと自民党は、東西冷戦時代に日本を西側陣営の一員、特にアジアにおける前線基地として安定させるために生まれた政党だ。そのために、自民党政権下の日本の政治は、影に陽に米国による影響を受けてきた。やがて、ソ連の崩壊によって冷戦構造が消滅したが、日本は役割を終えた自民党にそのまま政権を委ね、米国追従一辺倒の外交を続けてしまい、世界の情勢転換に乗り遅れてしまったようだ。
90年代の世界は、グローバル化という名の米国単独覇権主義が進行する一方で、中国、ロシア、インドのような新興経済大国、アラブの石油産出国、EU(欧州連合)、などを極とする「多極化」が始まっていた。中でも、アジアにおける中国の興隆は凄まじく、日本は中国とどう付き合うのか、という重要な外交課題に向き合わなければならなかったのだ。

鄧小平時代の改革開放路線によって積極的に国際舞台に登場してきた中国だったが、大きなつまずきとなったのが89年の天安門事件だった。一般民衆のデモ隊に中国人民軍の戦車が襲いかかる光景がテレビを通じて世界中に流れたため、中国の人民弾圧が人権上の問題として世界中の批判の的となり、中国の国際的な威信が大きく失墜した。
天安門事件は、経済発展と改革解放路線の浸透で国民に民主化要求が高まった結果でTennannmon_2 あり、急成長する経済に押されてグローバル化を進めた中国にとっては不可避のものだった。欧米諸国は一斉に対中国経済制裁措置を取っが、日本は「中国を孤立させることはよくない」との判断から翌年に中国への円借款を再開、単独で対中制裁を解除した。結果的に、中国市場への参入で遅れを取りたくない欧米諸国もなし崩し的に制裁解除に向かったため、中国の受けたダメージは軽いものですんだ。(実は、日本も中国への経済的依存度が大きくなっていたために、制裁解除を行ったのだが。)

天安門事件で失脚した趙紫陽に代わって党総書記となった江沢民は、権力を強化して国 内の引き締めをはかった。江沢民時代は、鄧小平時代の近代化に対する反動の時代であった。江沢民は、自らの権力基盤の強化、共産党の権威回復、国民の団結、という国内問題対策のために日本に対して強硬姿勢をとり、歴史カードを振り回して国民の愛国心を高揚させる手法をとった。このため、日中関係は一転、最悪の状態まで悪化してしまった。
しかし、一面ではこの時期は日本が長期不況の真っ只中にあり、驚異的な経済発展を続ける中国に追いつかれ、追い抜かれる、という状況の中で、嫉妬ややっかみで日本人の方も中国に対する感情を悪化させていた、という要因も少なくない。マスコミやメディアの報道も重箱の隅をつつくような問題を大げさに取り上げる一方で、長期的な日中関係の新時代を俯瞰するような良心的な報道が少なかったことも問題であった。

2002年に胡錦濤総書記の体制になると、中国の対外姿勢は目に見えて柔軟になる。対米関係では、台湾の現状維持を認める方針に転換して、米中関係は安定の時代に入った。しかし、世界でもっとも多くの国と国境を接する中国には、国境紛争を抱える対インド、対ベトナム、対ロシア関係や、不安定な朝鮮半島情勢、歴史的に複雑な対日本関係など、外交政策上の難問が山積していた。

そのような中、中国人民日報の高級論説委員の馬立誠氏が2002年に「対日関係の新思考」(対日関係新思維)を発表、この中で「日本はアジアの誇りである」「謝罪問題は既に解決しており、文書化の形式にこだわることはない」「歴史問題は解決した。中国は古くさい対日観を捨てるべきだ」と中日関係改善の戦略的重要性を説いた。
さらに、中国人民大学国際関係学院の時殷弘教授は、「しばしば敵対する米国、敵対中の台湾、敵対の可能性のあるインドに、敵対的な日本が加われば、中国は持ちこたえられない」(2003.06)と述べて「中日接近」の必要性を指摘した(評論誌「戦略と管理」)。こうした主張は「新思考」と呼ばれ、胡錦濤の対日姿勢が柔軟なものに転換した、と理解された。(ただし、歴史問題で反日感情の強い中国世論は、馬立誠、時殷弘らを「漢奸」(売国奴)と批判する声が強かった。)

この時期、すでに世界の多極化時代の立場を固めつつあった中国は、日本との関係においても安定した友好関係を求めていたのだ。しかし、日本の小泉政権は「米国との関係が良好であれば、中国や韓国との関係もうまくいく」という楽観的な見解を持つ一方で、靖国神社参拝などで日中関係に水を差し続けた。このため、「新思考」のような中国からのシグナルに対して、日本政府が反応することが出来なかった。

Demo01 日中関係は、10年あまりに渡ってこうした不運な行き違いが続いてきた。95年からの橋本政権から2000年の森政権まで、自民党は加藤紘一や野中広務といった親中派の人物が幹事長となり、日中の友好関係を模索していたが、この時期は中国の江沢民体制が国内の求心力を求めて反日的な姿勢を演出していた。逆に、2001年からの胡錦濤体制で中国が日本に関係改善のための積極的なシグナルを送ってきたが、対米追従一辺倒の小泉政権はこれを無視し続け、中国民衆の反日感情を高めた。

いま、対米追従一辺倒の結果として、米国のネオコン派による単独覇権主義の勢いが失われ、国際政治の流れが協調主義に変わると、日本はアジアでも、国連でも、北朝鮮問題の6ヶ国協議でも、戦略的なイニシアチブが取れないばかりか、「価値観外交」とか「自由と繁栄の弧」といった外交構想でも世界に相手にされなくなっている。自公政権のおかげで国内も問題だらけであるが、外交においても待ったなしの危機的状況にある。
小沢外交が、米国と中国の間でバランスを取ることで、アジアおよび国際社会の中での日本の自立した立場を回復できるかどうか、政権交代への試金石となる。

-

Banner_01

←宜しければ、応援クリックお願いします。

人気blogランキングへ

|

« 米朝接近と孤立する日本 | トップページ | 市場はターミネーターだった~ドルの破滅~ »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/135811/8032057

この記事へのトラックバック一覧です: 多極化世界で日中どうする?:

« 米朝接近と孤立する日本 | トップページ | 市場はターミネーターだった~ドルの破滅~ »