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一方は菅直人だろう

Kan001_2 日本に「保守」と「リベラル」の明確な政治姿勢に立つ二大政党制が出来上がるまでに、いったいどれくらいの時間がかかるかわからないが、今そのような状況になるとすれば、リベラルの側の旗手は菅直人(民主党代表代行)であろう。

菅直人と言えば、「さあ、これから」と期待が高まるときに「不倫疑惑」や「年金未納問題」などで自分から転んでしまうひ弱さがあるが、日本の政治家の中では社会市民運動というリベラルの中心で育ってきた代表的な人物であることは間違いない。

戦後の日本は東西冷戦構造の中に組み込まれ、政治においては親米自由主義の自民党と、マルクス・レーニン主義を掲げる社会党が議会の二大勢力だったが、日本は西側陣営の一員だったから政権は常に自民党が取り、社会党が何でも反対するという「55年体制」が出来上がっていた。

1970年代後半には、30年間にも及ぶ自民党の長期政権下で政治腐敗がすすみ、76年には「ロッキード事件」が発覚して「ピーナッツ」だの「灰色高官」だのという言葉が新聞紙面を賑わして国民の政治不信を加速させた。
しかし、選挙といえば相変わらず全国区候補者を大企業の系列ごとに割り当てる自民党の「企業ぐるみ選挙」「金権選挙」と、大企業・官公庁の労組に依存する野党の「労組選挙」であって、一般の国民には縁遠いものであったから、都会ではそんな政治に白けて背を向ける「支持なし層」(現在の無党派層にあたる)が増えていった。「支持なし層」の中心は、学生時代に安保闘争に参加した世代だった。

それでも、一部に積極的に政治に参加しようとする「支持なし層」が現れ、74年の参院選挙では前回落選した市川房枝前参議院議員をかつぎ出し、東京七区に若き菅直人を立候補させた。この時の選挙では、菅直人は次点で落選するが、「看板、地盤、鞄」とういう選挙の三種の神器を持たない理想選挙としては多数の票を獲得して善戦した。

その後、菅直人は「参加民主主義をめざす市民の会」を結成して細々と政治活動を続けるが、社会党を離脱して「社会市民連合」を組織していた江田三郎に見出されて、中央政治の舞台に登場することになる。

「社民連」は、自民党一党支配によってはびこる腐敗政治(利益誘導、汚職、不正資金など)で沈滞し、行き詰った日本の政治を、市民の政治参加によって打破しようという理念を掲げ、漸進的な社会改革を目指した革新政党だった。
具体的には、産業発展優先社会の中で生じた環境汚染、資源・エネルギー問題の解決、「公開」「分権」「自治」「参加」による公正な民主主義政治の確立、南北格差問題の解決や第三世界の正当な権利を守る国際民主主義への貢献、世界に誇る日本国憲法の原理である平和主義の堅持、などを目指した。

日本の「リベラル」の原点は、ここにある。
1)平和憲法の堅持 (保守の対立軸は「憲法改正による軍事力行使の原則の確立」)
2)弱者保護や地域格差是正による公平な福祉社会の実現 
(保守の対立軸は「市場原理による効率的で競争力のある社会と小さな政府の実現」)
3)世界平和と共存のために国際機関の役割を重視する 
(保守の対立軸は「愛国主義、国家主義を重視する」)
4)自然や環境との共存意識を重視する 
(保守の対立軸は「産業技術の発展による高度経済社会を重視する」)

残念ながら、日本におけるこれらのリベラルの主張は理想的過ぎて、なかなか現実の政権担当能力を国民に認めてもらうことができないままである。

社民連は細川連立政権への参加を機に発展的に解消し、菅直人は94年にさきがけ(武村代表)に合流する。

菅直人が全国的に大きく知名度や評価を上げたのは、96年に橋本政権(さきがけも連立で参加していた)で厚生大臣を務めた時のことだろう。
厚生省が認可した血液濃縮製剤が原因でHIV、エイズに感染する薬害エイズ問題に対して積極的に原因解明に乗り出し、厚生省官僚が「無い」と言いはっていた濃縮製剤認可時の資料を引っぱりださせて、薬メーカーや国の責任を認めて患者との和解に導いた。

この時のリーダーシップの印象が強いので、その後、鳩山由紀夫と民主党を結党後、その代表まで務めた。民主党は野党第一党として、自民党政治の対抗勢力となったが、未だに現実の政権担当能力は多くの国民に疑われていて、政権奪取はできない。

自由党が民主党に合流して、菅直人が小沢一郎と組むことになったとき、自民党保守本流の申し子である小沢一郎と、リベラルの本流の菅直人との組み合わせは、なんとも奇異に見えた。しかし、都会育ちの民主党のリーダーたちは、泥臭い政治の現場や国会での駆け引きには未熟であったので、小沢一郎の選挙戦術、政局対術、国会対応術などは、彼らにとってたいへん勉強になっているのではないだろうか?

小沢一郎から盗むべきものを盗み、保守対リベラルの二大政党制の実現のために、菅直人にはリベラルの旗手としてもう一度立ち上がってもらいたい 。

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