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大国の利権②~アウンサンの長い戦い~

Demo0001 燃料費値上げに端を発したミャンマー軍事政権に対する抗議行動のうねりは日増しに大きくなり、9月23日には旧首都ヤンゴンで約二万人が参加する規模に拡大した。人口の九割が仏教徒というミャンマーで、国民に強い影響力を持つ僧侶と民主化勢力が「反軍政」で連携を強めており、国内情勢は緊迫の度を深めている。

ミャンマーは、以前は「ビルマ」という国名を持ち、その由来は「ビルマ族が支配する」という意味であった。その国家は多民族国家で、ビルマ族、チン族、カレン族、カチン族、シャン族、ラフ族などたくさんの民族で構成されている。「ビルマ族の支配」に対する他の少数民族の反抗という混乱の芽は、国の独立以来の宿命であった。
1962年に軍事クーデターで政権を奪取したネウィン政権は、各少数民族独立運動を抑えつけ、その軍政体制が現在まで続いている。

1941年、大東亜戦争(太平洋戦争)開戦と同時に日本は「英国領インド」に組み入れられていたビルマに侵攻、この地域をわずかの期間に攻略する。日本軍と手を組み、協力してビルマから英国軍を駆逐したのが若き民族主義リーダーのアウンサン将軍に率いられたビルマ独立義勇軍だった。
一度は東条英機によって独立の許可を得たビルマだったが、バー・モウが国家主席となった新政府は実際には日本の傀儡政府にすぎず、アウンサンらは英国軍側に通じ、英軍のビルマ奪回を成功に導く。こうして連合軍は日本に勝利したもののやはり英国は約束を反故にし、英領ビルマが再建される中、47年7月19日、アウンサンは凶弾に倒れ暗殺されてしまった。

1962年からのネウィン軍事政権は、ビルマ式社会主義を目指して国有企業主導の統制経済を導入し、土地の国有化などを行ったが、鎖国的な経済体制によって、かつて豊かな農業経済を持っていたビルマは世界の「最貧国」と認定される程に著しく停滞し、他のアジア諸国と大きな差をつけられる結果となった。

このような中、国民の不満は民主化運動として爆発。1988年、学生のデモをきっかけにミャンマー史上空前の国民運動が巻き起こる。そしてこの運動の最中、たまたま「母親の看病のため」に英国から帰国した一人の女性の運命が変わる。故アウンサン将軍の娘、アウンサンスーチーだった。
英国人と結婚し、2人の子どもの母のかたわら、英国で学者としての活動を行っていたアウンサンスーチーは、「建国の父の娘」として国民に熱狂的に迎えられてしまい、そのまま民主化運動のトップリーダーになってしまった。

Sukyi02アウンサンスーチーが民主化運動のリーダーという困難な役割を引き受けたのには、彼女の父親でビルマ独立の父とされるアウンサンの強い影響がある。(1985-86年には、アウンサンスーチーは京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日し、父アウンサン将軍についての歴史研究してきた)。 彼女は、父から国家・国民のために誠実さと忍耐、勇気をもって自らの使命を果たす大切さを受け継いでいる。 
彼女のもうひとつの思想の中心は、インドのマハトマ・ガンジーの仏教思想である。アウンサンスーチーは、地方遊説などで、一人ひとりが恐れから解放されることが自治の精神の基礎とされる、と訴え続けている。 アウンサンスーチーがあくまでも非暴力と不服従によって民主化の実現をめざすのは、暴力に訴えて民主化を達成できたとしても、そのような民主化はまた暴力による否定を正当化することにつながりかねない、と信じるからである。 
アウンサンスーチーがめざす政治とは、仏教による「慈悲」の実践であり、それが人権民主主義なのである。多くの国民は、ビルマの伝統・文化・価値を体現しているアウンサンスーチーの主張を支持している。

その後、三度の長期自宅軟禁という政府の圧力に屈せずに民主化を求めるアウンサンスーチーに、世界にも支援の輪が広がっていった。
1990年に行われた総選挙では、アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟(NLD)が大勝したが、軍政側は権力の移譲を拒否した。これには激しい国際的な非難が起こり、アウンサンスーチーは91年にノーベル平和賞を受賞した。賞金の130万ドルはビルマ国民の健康と教育のための基金の設立に使われた。

ところが、ミャンマーでの民主化要求運動の機運が高まった1988年以来、国際社会の動きは緩慢だった。軍事政権への非難と経済制裁は続くが、民主化された場合の少数民族の独立を求める混乱の拡大を懸念しているのだ。

そのような状況が動き始めたのは今年1月で、国連安全保障理事会決議でミャンマー軍事政権に人権状況の改善を求めた決議案が米英によって提出され、同国の「大規模な人権侵害」に「深刻な懸念」を表明、自宅軟禁中の民主化運動指導者アウンサンスーチーら全政治犯の無条件解放を要求した。しかし、この決議案は中国・ロシアの拒否権行使で否決、廃案に追い込まれた。安保理が人権・人道問題を正面から取り上げたのは事実上初めてだが、安保理が人権問題に介入する効果と必要性を主張する米欧と、これが前例となって自国内の人権問題に飛び火するのを恐れる中ロがぶつかった。中ロは「ミャンマーは(地域の)平和と安全への脅威になっておらず、安保理の所管事項ではない」と拒否権行使の理由を説明した。

Bilma01_2 今年になってミャンマー問題が国際社会で注目され始めた原因は、中国のミャンマーへの接近が東南アジアの不安定要因になり始めているためだ。
ミャンマーは中国にとって地政学的に見れば、インド洋に抜けるための要衝となる。現在、中国とミャンマー間では約1500キロのパイプライン敷設計画が進められている。台湾海峡有事など米軍がマラッカ海峡を封鎖した場合でも、中東やアフリカからタンカーで運ばれてきた石油をミャンマー経由で中国に送ることを念頭に置いてある。
また、中国が1月12日の国連安全保障理事会でのミャンマー民主化要求決議案に拒否権を投じた直後、ミャンマー軍事政権は同国最大の埋蔵量が見込まれる中部ヤカイン州沖合のシュエ天然ガス田の探査権を、中国国有エネルギー最大手、中国石油天然ガス(CNPC)に譲渡した、と発表した。
さらに、ミャンマーの軍港を中国海軍の軍港として借用することでも両国は合意しており、これにより中国はインドを包囲する軍事戦略上の優位も獲得している。軍事上も、中国の南下政策推進はインド洋の洋上覇権のありように影響を与えるため、米英が神経質になってきているのだ。

米英が「民主主義」を普遍の価値として世界戦略上の土台としているのに対し、中国は「人権、民主化は内政問題」(中国外務省)との外交原則を貫くことで国益をかなえている。そして、ミャンマーのみならず、人権問題を抱えるアフリカ諸国とも資源獲得のため関係強化を進めることで、多極化世界の中での大きなプレゼンスを獲得しようとしている。

22日ミャンマー最大都市ヤンゴンでは、軍事政権に対する僧侶の抗議行動が続く中で、自宅軟禁されている民主化運動指導者アウンサンスーチーが、自宅前を行進する僧侶らを迎えるため姿を現したところを目撃された。彼女の姿が目撃者されたのは4年ぶりとなるが、僧侶の行進が自宅前を通過する昼過ぎ、2人の女性をともなって姿を見せ、僧侶たちに泣きながら拝礼していたという。
民主化を求めるアウンサンスーチーの長い戦いは、まだ続いている。

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