« 自民党派閥政治の終焉 | トップページ | 逆上するブッシュ~安倍辞任の謎~ »

角福戦争の呪縛

Kakuei01 1972年の自民党総裁選は7年8ヶ月という戦後最長の内閣となった佐藤栄作総裁の後継を選ぶ選挙で、佐藤の実兄の岸信介が後見人をしていた福田赳夫が最有力候補だった。
対抗する田中角栄は、政治家としての力量は抜きん出ていたが、何しろこの時は54歳であり、67歳の福田に比べて一回り以上も若かったので、「今回は福田」というのが大方の世間の見方だった。

しかし、その総裁選で、党総裁(=すなわち首相)の座に意欲を燃やす田中は、水面下で大掛かりな買収工作を進めて、佐藤派内のみならず、中曽根派の支持も取りつけていた。総裁選決選投票では、大平派、三木派も田中支持に回り、田中角栄287票、福田赳夫197票という完全勝利で福田を退けた。世に言う「角福戦争」は、この時から始まる。

「列島改造計画」として知られる田中内閣の政策は、公共事業を核とした積極財政政策で、高度経済成長期に最も適合するものであった。
それまでの日本は欧米に追いつくことを目標として、輸出振興による経済再建政策を取ってきた。貿易で得られた富は殆どが産業開発に再投資され、都市に集中していった。農村はその反動で利益を受けることはなく、むしろ犠牲だった。雪に閉ざされた寒村から、毎年都市の労働力不足を補うために出稼ぎに出る地方の人々の、静かな怒りと悲しみを知っていたのが田中であった。
田中は大都市に集積された富を公共事業を通じて地方に配り、豊かさの平準化を目指したのである。この田中政策によって、日本列島の隅々まで豊かさが実感できる社会が創られていった。

一方で派手に政治資金を集め、派閥の勢力拡大を行っていた田中角栄の直接の命取りになったのは、その金脈問題だった。マスコミに煽られ、批判を強める世論に抗しきれずに田中内閣は総辞職に追い込まれる。
この頃は政党助成金などはなく、すべての派閥は何なりかの資金集めをしていたため、金権批判を強める世論に配慮する形で副総裁椎名悦三郎が指名したのは、弱小派閥の「クリーン」な三木武夫だった。

政権基盤の弱い三木内閣は、1976年に行われた総選挙で自民党が過半数割れの敗北を喫すると総辞職し、念願かなった福田赳夫が自民党総裁(および日本国首相)の座に就く。
大蔵官僚OBの福田赳夫は緊縮財政論者である。「モノ・カネの横行は好ましくない」と考Takeo_fukuda02 える福田は、田中の手法や政策に厳しい見方をしていた。福田内閣の成立に当たって田中派と福田派は協力関係を結ぶものの、田中角栄の不倶戴天の敵である福田政権では、田中派の要望する政策はことごとくはねつけられ、やがて田中派は非主流派に追い込まれていった。「角福戦争」は再燃し、田中派は打倒福田内閣に動く。
田中派は、福田寄りだった中曽根派を切り崩し、田中と盟友関係にあった大平正芳を担いで総裁選に勝利し、福田政権は、わずか2年間で退陣に追い込まれた。
福田赳夫の秘書をしていた若い小泉純一郎は、福田が田中に負けた夜、福田のもとに駆けつけてワーワーと泣いたという。直情径行の小泉は、この日、田中も中曽根も許さないと誓った。(後に首相になった小泉は、旧田中派に壊滅的打撃を与え、中曽根康弘を政界から引退させた。)

大平内閣は波瀾の内閣だった。最初から非主流の福田派との反目を抱えていた上に、1979年の衆院選で、自民党は前回を下回る敗北を喫したからだ。当然福田派、三木派は大平に退陣を迫った。しかし、大平は辞めず、自民党の両院議員総会の総裁指名では「大平」と「福田」の二人が指名される異常事態となった。
この1979年の総選挙~反大平派による大平首相退陣要求~両院議員総会での大平・福田の分裂指名投票、とつづく自民党内の暗闘を「40日抗争」という。

「角福戦争」は、同じ時期に権力の最短距離にいた二人の稀代の政治家の角逐だった。
□ 小学校しか出ていない田中角栄と、東大卒大蔵省OBの福田赳夫。
□ 政界では若くして頂点に立った田中角栄と、壮齢に達してから頂点に立った福田赳夫。
□ ブルドーザーのように自らぐいぐい引っ張る「動」の田中角栄と、インテリで冷静に状況を分析する「静」の福田赳夫。
□ 政府の財政支出で地方まで富を配分して日本の活力を高めようと考える積極財政主義の田中角栄と、緊縮財政主義で小さな政府を目指す福田赳夫。

あらゆる点で大きく相違する二人の争いは、時を越えて現在に至る。

Jkoizumi 「構造改革」とは、1980年代半ばから日本の市場開放を求める米国との日米構造協議において使われた言葉だが、森-小泉-安倍と3代続く「清和会」(旧福田派)政権で使われる「カイカク」とは田中角栄的な手法の否定、すなわち公共事業を核とする富の配分方式の否定として使われている。小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」と言ったときに標的にしたのは、族議員の仲介によって霞ヶ関と各業界をリンクした「田中派的な」システムであり、橋本派(=旧田中派、現津島派)そのものだった。
一方で、3代の清和会政権では福田赳夫の生涯の理念だった緊縮財政路線が金科玉条のごとく優先され、小泉政権では急激な支出削減のために金融恐慌直前まで景気が悪化することすらあった。
30年の時を超えた「角福戦争」の私怨は、必要な時に必要な政策が取れない呪縛となり、日本の政治・経済・社会システムを破壊している。

今、「田中角栄的な手法」は民主党の小沢一郎に引き継がれ、「教育への補助」、「子育て支援」、「農家への個別補償」などの財政支出による格差是正政策が提唱されている。それぞれの政策の効果と財源については慎重に検討されるべきだが、少なくとも、自民党が反射的に「バラマキ」と批判するのは、田中角栄的手法へのDNA的拒否反応であり、「角福戦争」の怨念と呪縛によるところが大きいことを、私たちは冷静に見極めなければならない。
幸いなことは、現在の「角福戦争」は、自民党内の派閥抗争ではなく、自民党対民主党という政党間対立となっている。このため、どちらの政策が真に国民と国家の利益に適っているか、私たちはその判断を選挙の投票を通じて彼らに意思表示できる、ということだ。

Banner_01

←宜しければ、応援クリックお願いします。

人気blogランキングへ

|

« 自民党派閥政治の終焉 | トップページ | 逆上するブッシュ~安倍辞任の謎~ »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/135811/7973062

この記事へのトラックバック一覧です: 角福戦争の呪縛:

« 自民党派閥政治の終焉 | トップページ | 逆上するブッシュ~安倍辞任の謎~ »