« かくも長き不在~小泉外交の創痕~ | トップページ | 自民党派閥政治の終焉 »

自民党崩壊!

Abe01 安倍首相が電撃辞任した。7月29日の参院選大敗直後は続投を宣言し、8月27日には第二次安倍内閣を組閣したばかりだった。直前にはシドニーで行われていたAPEC(アジア太平洋経済協力機構)に出席、米国ブッシュ大統領らと会談していくつかの首脳外交による約束をした直後であり、国会を召集して所信表明演説を行った翌日、という前代未聞の不可解な辞任となった。

健康問題、求心力低下、新たなスキャンダルなど、辞任の理由について様々な憶測がでているが、筆者としては、時系列の流れから、オーストラリアのAPECの場で何かがあったと考える。当然、影響力の大きさから言って、ブッシュ大統領との会談で大きな課題を背負ったのだろう(「テロ特措法」延長よりもっと大きな課題では?)と思うのだが、現時点では個人的憶測に過ぎない。

これを機に、50年以上続いた自民党という政党の崩壊が始まるであろう。

明治維新の市民革命で議会制民主主義の国政体制となった近代日本の政党の系譜は、1940年に大政翼賛会という大合同となり、太平洋戦争へと突き進んで一度途絶える。そして、戦後の政党復活で生まれた自由党(吉田茂)と日本民主党(鳩山一郎)の二大保守政党が合同して、1955年に「自由民主党」が成立した。

世界は、米ソ東西冷戦という緊張した情勢下で、西側陣営のアジアの拠点という役割を担う日本を安定させるために、米国は常に自民党に支援を続けてきた。自民党が結成から1965年頃まで、日本の共産主義勢力を押さえ込むために、米国のCIAから支援を受けていたことは知られている。
自民党政権は、米国の支援を受けて日本を経済成長路線に乗せることに成功する。1961年からの池田勇人首相の「国民所得倍増計画」、佐藤栄作首相の「昭和元禄」と続いた高度経済成長は、田中角栄首相の「列島改造計画」で頂点に至る。

自民党の政策は、地方の建設業界(ゼネコン)に対して一定の公共事業を発注するなどニューディール政策的な富の再配分政策だった。伸び続けるGNPによって、公共事業のための国債発行はまったく問題視されなかった。こうして地方の経済を活性化し、一億総中流といわれる「平等」社会を作り上げ、農村や漁村、小都市など地方に安定した政権基盤を確立した。。
都市部では日本共産党や日本社会党と票の奪い合いが続いたが、親米民主主義社会が出来上がったことで、イデオロギーの異なるこれらライバル政党が政権を脅かすことはなかった。

米国は、極東~東アジアの西側陣営の拠点という日本の役割を重視し、親米安定政権として自民党を援助し続けた。当初、日本の経済成長は、米国の進めるアジア政策への資金負担や、在日駐留米軍の費用負担などで利用できるため、米国は歓迎していた。しかし、急速な日本の経済成長と洪水のような輸出で、米国の対日貿易赤字が膨れ上がり、米国内の製造業者から激しく突き上げられ、米政権にとって日米貿易摩擦という問題が無視できなくなってきた。
ベルリンの壁が取り払われ、ソ連という国家が崩壊して東西冷戦構造が消滅すると、米Berlin01国の対日政策は大転換した。米国は、日米の貿易不均衡改善のために日本の市場開放を求める政策に転じ、1980年代半ばから始まった日米構造協議では、規制緩和という言葉で代表される構造改革が迫られた。

このような日本を取り巻く環境の劇的変化の中で、日本の政界の大変動が始まった。
その頃になると、自民党には長期単独政権の膿ともいうべき、官僚との癒着(族議員)や業界との癒着から数々のスキャンダルが生まれた。ロッキード疑獄、リクルート事件、東京佐川急便事件など、自民党はダーティーな政党というイメージが拭えなくなっていた。このため、クリーンな政治を取り戻そう、という政治改革の動きに国民が拍手を送ったのは当然だった。
政治改革の機運は一気に高まり、武村正義や鳩山由紀夫ら自民党若手議員が離党して新党を結成した。それに続いて、自民党政治に批判を強める世論に押されて新党ブームが起きた。武村、鳩山の新党さきがけ、細川護煕が立ち上げた日本新党、そして羽田孜と小沢一郎らが旗揚げした新生党。。。この動きの中で、旧態依然の社会党は没落していった。
国民の支持を失った自民党は、1993年7月の衆院選で単独過半数を失い、結党以来初めて政権の座を失った。新しく政権を取ったのは、小沢一郎が国民的人気の高かった細川護煕を押し立てた連立政権だったが、社会党やさきがけのようなリベラル左派から新生党のような保守右派まで集めた無理な組合わせによって内部崩壊し、1994年6月には、社会党と連立して村山委員長を首相に担ぐ、という奇策に打って出た自民党に政権復帰を許した。

東西冷戦構造が終わった時点で、戦後復興とアジアの民主主義を守るという自民党の役割は終わっていた。日本国民にとって、この時期に自民党が完全に分裂して、保守とリベラルの政治理念に基づく政界の大再編があれば、その後の10年間もの不幸な時代は避けられたであろう。しかし、40年もの長い自民党単独政権の影響で、この時の政界再編は、誰が誰を好きだ嫌いだ、という低い次元の意識のもとで進んだため、もはや派閥の寄せ集めに過ぎない理念無き自民党に、21世紀に向かう大切な時期の国政を再度任せることになってしまった。そして、その結末は悲惨以上のものであった。

Bush01 一極支配となった米国のクリントン政権は、経済面、金融面での世界の「米国化」を進めた(「グローバリゼーション」とも言う)。日本に対しては、「年次改革要望書」を毎年のように突きつけるようになり、1996年の橋本政権以降は、米国の「要望」に添った規制緩和、「官から民へ」の政策が実行された。日本の実情を十分に検証することなく、日本的なやり方では駄目だ、米国式にしなければいけない、ということが叫ばれた。正社員をリストラして、派遣や請負、パートに置き換えるということが進んだため、最近では若者の半分近くが非正規社員になっている。
2001年4月以降、小泉=ブッシュの日米首脳コンビが誕生すると、日本の米国化はスピードを上げていった。労働の規制緩和、地方交付税のカット、庶民への増税の一方で、企業への優遇税制、05年には年次改革要望書に基づき郵政民営化が強行された。多くの伝統ある企業が、外資の手に渡った。医療さえも市場原理を導入する方向に向かい、せっかくの安くて安全な日本の医療を、世界一高い米国の医療に合わせることになって、儲かるのは民間の保険会社、病院に進出する企業だけで、結局国民は食い物にされてしまうだろう。(マイケル・ムーア監督の映画「SICKO」では、コメディー調ながら米国の悲惨な医療事情が紹介されている。)

中南米では、「米国化」を一足先に1980年代に進めたが、アルゼンチンなどは10年に渡って社会と経済の荒廃を経験した。現在、中南米では左派政権が主流になっているし、ブラジルなどは、国益を守るために米国とのFTA(自由貿易地域協定)に消極的である。
日本に増税と緊縮財政を強要したその米国は、景気を回復させるために減税や軍事支出を行っている(アフガン、イラクからは撤退するつもりもないように見える)。しかも、その財源には、日本が購入した米国債のお金が使われている(最近は中国からの資金の流入も著しい)。

安倍首相の辞任によって、遅きに失してしまったが、自民党は崩壊して行くだろう。そして、自民党に代わる政権党と見られている民主党も、実は保守-リベラル混合の実情である。必然的に、民主党の分裂も予想される。今度こそ、ゼロから始まるような高い理念に基づく政界大再編を行って、保守とリベラルが他国の干渉に強いられることなく、国民と国家の利益を最優先する自立した政治を行えるような二大政党制の政治のフレームを作り上げて欲しい。
何より大切なことは、今回の自民党崩壊劇が、これまで日本の政治をあきらめていた選挙民の一票から始まった、ということだ。そして、これから始まる政界大再編劇でも、選挙民ひとりひとりの一票が、その行方を決める、ということだ。

【参考】
「アメリカ化する日本と野党の課題」 JANJAN NEWS さとうしゅういち

Banner_01

←宜しければ、応援クリックお願いします。

人気blogランキングへ

|

« かくも長き不在~小泉外交の創痕~ | トップページ | 自民党派閥政治の終焉 »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/135811/7925833

この記事へのトラックバック一覧です: 自民党崩壊!:

« かくも長き不在~小泉外交の創痕~ | トップページ | 自民党派閥政治の終焉 »