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文明の黙示録(3)

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                      序章 (3)

                   【 1879年 バクー 】

0001 中央アジアのカスピ海西岸に突き出したアブシェロン半島に位置するバクーは、現在はアゼルバイジャン共和国の首都になっている。
バクーに関する最古の記録は、885年のものであり、その頃にはすでに油田の存在が知られていた。拝火教(ゾロアスター教)の発祥の地で、太古の時代から屋根に突き出た竹筒から燃え上る炎の拝火教の寺院が多くあった。昔から自然に地表に噴出した天然ガスがフレアー(炎)となって燃え続いているのだ。
カスピ海西岸の地は16世紀以来ペルシャの領土であったが、ロシア帝国との戦争の結果、19世紀に入ってロシアの統治下に入った。バクーの油田は小規模鉱区が多く、石油掘削ヤグラが乱立していてカスピ海に原油が流れ込み、悪臭が立ち込めるほど悪環境だったが、ロシアは財政難で開発資金が無かったので、この地の開発を民間資本に許可した。

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Baku0001_21873年、スェーデンの発明家イマヌエル・ノーベルの長男ロバート・ノーベルがバクーを訪れた。
ノーベルと言えば、今日のノーベル賞で知られるノーベル基金を設立した三男のアルフレッドが有名だが、アルフレッドとロバート、次男のルードウィッヒの三兄弟は仲が良く、父の仕事を受け継いでロシアのサンクトペテルスブルグで軍事産業を営んでいた。
ロバートがバクーを訪れたのは、ライフルの銃床となるクルミ材の買い付けのためだったが、そのころ、バクーは既に小規模ながら石油産業で街は栄えていた。彼は、たちまち石油の虜になり、弟から預かった木材買い付け用の資金を使って1875年に小さな製油所の権利を手に入れた。その後、次弟のルードウィッヒもアメリカでの石油産業の急成長を知り、自らも石油産業に乗り出す。
発明家として化学の分野の素養を備えていたルードウィッヒは、連続蒸留装置の技術改良などたちまち製油所を効率的に改造し、掘削業者、輸送業者を傘下に入れ、油井と製油所との間にパイプラインを敷設するなど一大石油産業を確立した。1879年に設立した「ノーベル兄弟石油生産会社」は、すでにダイナマイトの発明(1867年)とその特許の取得(1871年)で大きな富を築いていた末弟のアルフレッドの出資もあって、国際石油会社としての地位を築いていった。

当時の石油の輸送手段は、木製の樽を使用してカスピ海を600マイル北上し、そこから小船に積み替えてボルカ川を遡ってロシア国内に運んでいたが、ルードウィッヒは、船倉に大きなタンクを取り付けた特別タンカー「ゾロスター号」を建造し、1878年にカスピ海に就航さすことに成功した。大型タンカー船隊が航行するようになると、バクーの石油産業は急速に近代化し、中東の油田地帯が発見される20世紀初頭まで世界最大規模となり、世界の石油産出量の半分を占めるほどになった。

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ノーベル兄弟の革新によって、バクーの石油産業はかつてない繁栄を迎えたが、ロシア帝国国内での石油需要はそれほど大きくなかったために、石油業者たちは市場を外国に求めた。カスピ海を北上するノーベルのタンカー・ルート対抗して、ライバルたちは黒海の町までの輸送手段として鉄道建設(バクーからバツーム)を計画した。これに出資したのがパリ・ロスチャイルド家のアルフォンソ・ド・ロスチャイルドだった。ロスチャイルド財閥も、ノーベルの成功に刺激されて1886年に「カスピ海・黒海会社」を設立、バクーの原油を鉄道輸送でヨーロッパ各地に売る事業に乗り出した。
カスピ海から黒海までは約850キロ、黒海の港町バトゥーミに備蓄された石油は、船でオデッサ、イスタンブール、あるいはドナウ河口港へ運び、あとはヨーロッパ大陸をほぼ網羅した鉄道によって各地に運ばれた。

1889年、英国のユダヤ人通信王、ジュリアス・ロイター男爵が、60年間の石油採掘権を獲得し、同時にペルシャ帝国銀行を設立して石油産業が発展する基盤を作った。この銀行、ペルシャの名前がつくが本社はロンドンにあり、後に、イラン帝国銀行、中東英国銀行、HSBC(香港上海銀行)中東銀行と名前を換える。現在、株式時価総額で銀行としてはシティグループに次ぐ世界第二位の、ロスチャイルド財閥のHSBCである。
こうしてロスチャイルド財閥は、またたくまにアゼルバイジャン石油ではノーベル兄弟社につぐ第二の勢力となった。

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目をアメリカ合衆国に向けると、南北戦争後めざましい発展をとげた工業生産高は、1860~90年までの30年間に5倍に達し、1890年頃までには英国を追い抜いて世界一の工業国となっていた。
石油産業では、ジョン・D・ロックフェラーのスタンダードオイル社がアメリカ合衆国内で原油生産から石油精製、小売に至る石油に関する全部門の支配権を獲得していたが、巨大な利益を消費者に還元せず高価格で販売し続けたそのビジネス手法が厳しく批判され始めていた。世論の「反独占」「反トラスト」の声は年々高まり、1890年に反トラスト法が成立すると、スタンダードオイルに対しての批判や訴訟が相次いだ。
すでに国内市場を制し、巨大な組織となっていたスタンダードオイルは、さらに海外での拡大を狙って合理的な会社組織に変身する必要があった。そのために、創立者で初代社長のジョンは、50歳代前半ですでに引退し、二代目社長の座をジョン・アーチボルドに譲り、近代的な企業体になった。注目されるのは、引退後のジョンは、まだ自社株の25%を所有していたが、ジョン・アーチボルドの持ち株比率は0.6%、そして第一次大戦中から第二次大戦直前まで社長を務めた三代目のウオルター・ティーグルの持ち株は0.002%にすぎなかった。つまり、スタンダードオイルでは、所有からの経営の分離が劇的に進行したのだ。また、これによって巨大な株式市場が創出されたことも、その後の経済界に大きな影響を与えた。

Uchicago_2 ところで、ジョンは、1889年の母エリザの死をきっかけに、母、そして本人が信仰したバプティスト派の大学をシカゴに設立(シカゴ大学)するという最初の大型社会貢献事業を行った。これを皮切りに、ロックフェラー財閥系企業の急激な拡大と並行して、ロックフェラー財団による社会貢献事業、社会慈善事業が積極的に行われ、現在のロックフェラー大学の前身である「ロックフェラー医学研究所」の設立、メトロポリタン美術館への美術品の寄贈、近代美術館の創設、国連本部の土地寄贈など、アメリカの発展に重要な役割を果たす公共資産が残された。
ロックフェラーによって作られたシカゴ大学では、やがて、フリードリヒ・ハイエクによって経済理論の見直しが行われると、ミルトン・フリードマンらによって「シカゴ学派」と呼ばれる経済学派が築かれる。シカゴ学派が主張する自由な価格機能、市場機能の絶対視、通貨供給量の重視など市場原理至上主義を中心とする「新自由主義」は、1980年代の規制緩和政策から始まる経済のグローバル化の理論的基盤となって、現代の世界の政治経済に決定的な影響を与えるようになるが、シカゴ学派の誕生は半世紀ほど後のことになる。

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バクーでは、主にロシア国内向けに販路を築いたノーベル兄弟社と、ヨーロッパに向けて販路を拡大しつつあるロスチャイルドの二大石油資本が市場の棲み分けで共存していたが、ヨーロッパ市場ではアメリカ産の石油製品を販売するスタンダードオイルとの激しい競合が始まった。また、ノーベル兄弟社もタンカーを利用した輸送力の優位を利用してヨーロッパ市場へ進出してきたため、ロスチャイルドは新たな販路開拓の必要性に迫られた。そんなロスチャイルドが興味を持ったのは、シェル・トランスポート・アンド・トレーディング社を作ってアジアとの貿易を成功させていたマーカス・サミュエルだった。
シェルは、生産地と販売地を最短距離で結ぶ経路としてスエズ運河を通る航路を新たに開拓し、1892年8月にバクー産の灯油をスエズ運河を通って目的地のバンコクに運ぶことに成功した。ロシア産の石油がアジアに広まると、ここでもアメリカのスタンダードオイルとの衝突が起こった。
やがて、ロスチャイルドはバクーの石油事業をロイヤルダッチ社に売却し、ロイヤルダッチ社の大株主となり、実業ではなく金融資本として裏からビジネスに関与するようになると、そのロスチャイルドの斡旋でロイヤルダッチとシェルは統合され、ロイヤルダッチ・シェルが誕生する。ロスチャイルド財閥のロイヤルダッチ・シェルと、ロックフェラー財閥のスタンダードオイルは、石油をめぐって激しい競争に突入する。
その舞台となる中東では、1908年にペルシャで油田が掘り当てられ、広大な地下資源の存在が知られ始めていた。世界は、工業生産力の拡大によって、市場を求めての帝国主義的拡大が勢いを増し、各地で緊張が高まっていた。

序章(4) 【1904年 ロンドン】 につづく。

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