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文明の黙示録(7)

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                   第一章 帝国の興亡 (3)

                   【 1919年 ベルサイユ 】

Versille01 これまでの戦争は、限られた範囲での戦闘で決着し、勝者は賠償金によって損失を取り戻すことが出来た。戦争で多くの物資を消耗するため、戦後には戦争特需が起こり、その好景気によって敗者もやがて損失を取り戻すことが出来た。金融家はリスクヘッジのために、相争う両方の陣営に資金を用立てしたが、長い目で見ればそれらは回収され、利益をもたらした。
しかし、第一次世界大戦でヨーロッパが被った被害は甚大で、また膨大な犠牲者を生み出した。戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1,000万人、負傷者は2,200万人と推定されている。国土の多くが荒廃し、その損害補償はもはや敗戦国に負わせられるようなものではなかった。戦争特需は、戦争に直接関わらないアメリカや日本を潤すだけで、ヨーロッパ経済は大きく落ち込んだ。
莫大な資源と国富の消耗、そして膨大な死者を生み出した戦争は人々に強い憎悪を残し、敗戦国に過酷な条件を突きつけることとなった。

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1919年1月18日、第一次世界大戦の講和会議であるパリ講和会議が32カ国の参加のもとに開かれた。
6月28日、パリ郊外のベルサイユ宮殿で連合国とドイツとの間にベルサイユ条約が調印されたため、新しい国際秩序はベルサイユ体制と呼ばれている。ヨーロッパでは、講和会議で合意された民族自決の原則に従って、旧オーストリア=ハンガリー帝国とロシア帝国の領内からフィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリー、セルビア=クロアチア=スロヴェニア王国(1929年にユーゴスラビアと改称)が独立した。しかし、民族自決の原則はヨーロッパ以外には適用されず、アジア・アフリカでは植民地支配が続いた。
ドイツには、総額が1320億金マルクという天文学的ともいえる巨額の賠償金が課せられた。
トルコに属していた中東地域の戦後処理では、大戦中にアラブ人に独立を約束したフセイン・マクマホン協定と、ユダヤ人国家の創設を約束したバルフォア宣言はともに無視され、イラク、ヨルダン、パレスチナは英国の、シリア、レバノンはフランスの委任統治領とされた。

アメリカのウィルソン大統領の提唱した14カ条に基づいて、世界史上最初の本格的な国際平和機構である国際連盟が創設された。設立時に42カ国の加盟国せスタートした国際連盟には、1934年には最多の58カ国が加盟したが、提唱国のアメリカは上院でベルサイユ条約批准が否決されたために参加せず、敗戦国のドイツと社会主義体制になったソ連は排除された。

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ドイツに多額の貸付けを行っていたパリ・ロスチャイルド家は、ドイツが所有していたトルコ-シリア間のバグダッド鉄道の営業権を獲得した。ロンドン・ロスチャイルド家は、トルコに対して1億ポンドに近い貸付けを行っていたが、トルコ政府が崩壊するとパレスチナに対する権利を要求した。ロスチャイルド家は、後のイスラエル国家建国のための足場を獲得した。

Romanov01 ロスチャイルド家は、ロシアのロマノフ家にも多額の貸付けがあったが、これは金塊や財宝で取り戻した。その中で、帝政ロシア中央銀行本店(サンクトペテルスブルグ)には、外貨準備のためロマノフ金貨およそ1000トン(現在価値1兆2千億円相当)が保管されていたが、これらは10月革命時にボルシェビキの手に移り、その後、ソ連中央銀行カザン支店に移された。この時点で金の量は約500トンに減少していたが、1918年8月5日、チェコ軍がカザン市を占領した際にこの金塊全部を奪った。
その後の金塊の行方について、1920年5月4日のペトロパウロフスクの労民会報は、英米日仏などへの支払いに102トン、チェコ軍に移管されたもの317トン、亡命したセミョーノフ軍に奪われたもの33トン、ウラジオストックに送ったもの15トンと報道した。(合計すると30トン程度行方不明である。)
チェコ軍に渡った317トンはその後ウラジオストックに運ばれ、日本海軍の護衛のもとバンクーバーでカナダ政府に手交され、英仏の借款返済のために使われた。こうして、ロマノフ王家が保有していた莫大な金塊と財宝は、かなりの部分がロスチャイルド家に流れた。

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帝政が倒れて共和国となったドイツでは社会民主党を中心とするワイマール国民議会はベルサイユ条約を承認したが、その賠償金の支払い額はドイツの経済力をはるかに超えていたため、国民生活を極度に圧迫した。そのためドイツは連合国に賠償金支払いの猶予を要請したが、フランスは強硬に反対した。
1914年7月には1ドル=4.2マルクであったが、1923年11月には1ドル=4,200,000,000,000マルクとなった。この破局的なインフレによってマルクは紙くず同然となり、給料生活者の生活は破滅状態となったため、大量の失業者で街は溢れかえった。

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Tank01 第一次世界大戦中、日本では、軍需品の輸出が急増した。アジア地域への輸出も大きな伸びをみせ、重工業も急速に発展して、日本は大戦景気とよばれる空前の好景気をむかえた。三井、三菱、住友などの財閥は、金融や貿易、造船といった多角経営で急速に力をのばし、国力は大幅に底上げされた。
そこに、アジアでは戦争で疲弊した英国とフランス、敗戦したドイツ、革命で体制が転覆したロシアの勢力が著しく後退し、アメリカも国内世論が以前の孤立主義に回帰したために、ぽっかりと勢力の真空状態が生まれた。その隙を突いて日本があっという間にアジア大陸深くまで進出し、アジアの大国への野心をあらわにした。
しかし、一方で日本は大きな犠牲を払わずに大戦を終えたために、これからの近代戦争が物資、エネルギー、資金のすべてを投入する総力戦になる、という戦争の質の転換に十分な認識を持たなかった。

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ハイパーインフレで苦しむドイツでは、1923年11月、銀行家シャハトの協力によるレンテンマルク紙幣(1レンテンマルク=4兆2千億旧マルク)の発行により、なんとかインフレを抑えることに成功した。しかし、この頃の社会情勢不安の中で、ベルサイユ体制の打破を訴えて現れたアドルフ・ヒトラーがミュンヘンでクーデターを起こした。ヒトラーのこのクーデターは失敗したが、ドイツはこれ以降右傾化を強めていく。
世界に再び暗雲が漂い始めていた。

第一章(4) 【1929年 ニューヨーク】 につづく。

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