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文明の黙示録(8)

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                   第一章 帝国の興亡 (4)

                   【 1929年 ニューヨーク 】

01 第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは戦争特需によって発展した重工業へのさらなる投資、帰還兵による消費の拡張、ベルトコンベア方式でマスプロダクションが可能になったフォード車によるモータリゼーションのスタート、家電電化製品の開発、流通革命などで、空前の好景気となった。一方のヨーロッパ諸国が戦争で疲弊し、対外競争力を失っていたこともあり、貿易輸出も急拡大し、「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的栄光を手に入れた。

この時期に、金融家は興隆するアメリカへのシフトを開始する。ドイツは巨額な戦争賠償金の負担にあえぎ、賠償金を得られないフランスも低迷していた。革命後のソ連は世界市場から離脱しており、オーストリアは旧領域から多くの独立国が生まれ、小国に転落していた。
英国は戦争を通じてアメリカの債務国となり、戦前の経済的地位を失った。1926年、第2次ボールドウィン保守党内閣は「英国と自治領は、相互に平等であり、内治外交いずれの面でも互いに従属することなく、王に対する共通の忠誠によって結ばれ、イギリス連邦の一員として自由に連合している。」という宣言を行なった。こうして世界を覇した大英帝国は姿を消し、英国連邦が事実上成立した。
もはや投資家にとってヨーロッパは魅力を失っており、アメリカという新しい市場に大きな期待が集まった。

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ロスチャイルド家に代表される金融家がその基盤を英国からアメリカに移転する中で、世界の利権の支配者は、「ロスチャイルド家」というような一族および閨閥から、資本の論理で儲ける人々のネットワーク(「国際金融資本」)へと進化していく。今まで政治家の後ろに見え隠れしていた金融家の陰は見えにくくなり、利益のみを求める資本の野望は、平常の政治活動や経済活動の中に紛れ込んでいった。しかし、経済の発展とともにその野望は確実に大きくなっていた。
その代表例がFRB(連邦準備制度)である。金融と経済の安定のために設立されたFRBは、ドルを発行し、加盟銀行に通貨を供給し、小切手を決済し、政府の財務機関の役目を果たすことを目的にしている。しかし、その連邦準備法は、1913年、ウッドロー・ウィルソン大統領によって多くの上院議員がクリスマス休暇で不在だった12月23日に抜き打ちで可決させられ成立した。主導したのはジョン・D・ロックフェラー、J・Pモルガン、ポール・ウォーバーグ、エドワード・ヘンリー・ハリマン、ロスチャイルド家の代理人であったジェイコブ・シフといった財界トップたちで、こうして彼ら「国際金融資本」は、自分達で経営できる中央銀行を作ってしまった。

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1920年代後半に入ると、膨張したアメリカの生産力に市場の需要が追いつかず、農業不況に加えて鉄道や石炭産業部門も不振になっていた。しかし、史上空前の経済発展にあおられた投機熱は冷めることなく、株式市場の長期上昇トレンドは衰えなかった。
この間、FRBは通貨の供給を増やし続け、だぶついた資金が株式市場に流入、さらに投機熱は高まり、ダウ平均株価は5年間で5倍に高騰、1929年9月3日にはダウ平均株価381ドル17セントという最高価格を記録した。
このように実体経済と株式市場の乖離が大きくなったとき(バブル経済)が、金融資本家にとっての最大のチャンスであることは、すでにナポレオン戦争時以来のヨーロッパで幾度も実証されてきたことだった。

01_2 1929年8月、連邦準備制度理事会は金利を6%に引き上げた。今度は外国資金が証券投資と高い利子率を目的にアメリカに流入しはじめ、株式ブームに拍車をかけることになった。バブル経済がはじける日が近づいた。
J・P・モルガンとクーンローブ商会は、「選別リスト」に載った選ばれた顧客(銀行家仲間、大手事業家、有力政治家、共和党及び民主党の全国委員会委員、及び外国の指導者たち)に「通知」を出した。これが来るべき暴落の通知だと理解していた彼らは、一流銘柄株を除いた他の株を全て売却した。
そして、ついに1929年10月24日、ゼネラルモーターズの株価下落を発端に、株式市場は売り一色となり株価は大暴落した。「暗黒の木曜日」である。一旦平静に戻った株式市場だったが、10月29日、さらなる大暴落が発生した。この日一日で時価総額140億ドルが消し飛び、週間では300億ドルが失われた計算になったが、これは当時の米国連邦年間予算の10倍に相当し、アメリカが第一次世界大戦に費やした総戦費をも遥かに上回った。この日は、歴史に残る「暗黒の火曜日」と呼ばれるようになった。
一方で歴史は繰り返し、ウォール街と外国の相場師たちは、確実優良な一流証券を格安の価格で手に入れた。
マリーン・ミッドランド・コーポレーション、リーマン・コーポレーション及びエクイティ・コーポレーションのように、割安な債券や証券を手に入れた巨大な持株会社の形成も見られた。J・P・モルガン商会は、スタンダード・ブランズという巨大食品トラストを組織した。トラスト経営者にとっては、彼らの持株を増やす又とない機会であった。

1929年の大恐慌は、アメリカの全ての権力を少数の巨大なトラストが手に入れるために引き起こされた、という陰謀論も生まれたが、真実は闇の中である。ひとつだけ言えるとすれば、バブルが膨張し大恐慌に突入する過程で、FRBは適切な金融政策をとらなかった。大恐慌の結果、ほとんどの一般国民の生活は苦難の淵に突き落とされたが、大手企業や投資家の中には大きな利益を得たものが存在した。

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大恐慌によってアメリカはヨーロッパから資本を引き上げたので、戦後アメリカ経済に頼っていたヨーロッパ諸国は大打撃を受けた。特に莫大な賠償金の支払いに苦しみながらもアメリカ資本によって立ち直りかけていたドイツ経済は再び破綻し、その結果賠償金を受け取れなくなった英国、フランスなども恐慌に見まわれ、恐慌はソ連を除く全世界に広がって世界恐慌となった。
Hoover01_2  アメリカのフーバー大統領は、1931年6月にドイツの賠償金や連合国の戦債の支払いを1年間停止するというフーバー・モラトリアムを提唱した。ドイツの戦争債務の繰り延べは、ドイツが再軍備の資金を得る機会を与え、第二次世界大戦への伏線になった。
大恐慌が起こってからも均衡予算を堅持し、景気対策のための財政出動を拒んできたフーバー大統領だったが、1931年12月、起死回生の法案として復興金融公社法案を議会に提出した。この法案は、政府が5億ドルの資本を投下して復興金融公社を設立し、銀行、保険会社、鉄道、農業不動産会社などに救済貸付をおこなうことを目的としていた。
しかし、結局は、大銀行や大企業を救済するのに役立っただけで終わった。翌年7月、復興金融公社の貸出状況を議会に報告する義務を負わせる法律が出来て、それにもとづいて調査したところ、総額1億2600万ドルの貸出のうち半分以上が三大銀行への貸出しであることが判明した。
経済繁栄の継続を約束して、歓喜の祝福の中で大統領に就任したハーバード・フーバーだったが、いまや大統領フーバーは、貧困の象徴へと転落した。結局フーバーは、世界恐慌に対して有効な政策が取れないまま、1933年の任期満了をもって大統領職を退き、政界から引退した。

第一章(5) 【1933年 ベルリン】 につづく。

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