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文明の黙示録(14)

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                   第二章 資本の野望 (3)

                   【 1969年 北京 】

Intifada 第二次世界大戦後の世界は、政治、経済、軍事、イデオロギーなどあらゆる側面での米ソ間、そして東西間の二極構造が現出した。その一方で、アジア、中東地域、南米、アフリカなどの、いわゆる第三世界と呼ばれていた地域では民族自決、独立国家建設の動きが激しくなった。戦後世界は、新しい秩序を作り上げる必要に迫られていた。

第一次中東戦争の敗北でイスラエルの脅威を認識したエジプトは、西側諸国に近代兵器の供給を求めたが、中東への武器供与を制限する条約を口実に拒否されたため、ナセル大統領はソ連に兵器供給を要請、これによりエジプトとソ連が親密になっていった。このエジプトの動きに対し、アメリカ、英国はアスワンハイダム建設資金の援助を打ち切るという政治的圧力をかるが、逆にナセルはスエズ運河の国有化を宣言、スエズ運河の収入をダム建設費に充てるという方針を打ち出し、西側諸国とエジプトは真っ向から対立することになった。
1956年、スエズ運河の利権と中東での威信を取り戻したい英国とフランスは、イスラエルと共同して第二次中東戦争(スエズ動乱)を引き起こした。これに対して親エジプトのソ連が強い批判を表明し、アメリカも非難の立場をとったため、英仏は国連の停戦決議を受諾せざるを得なくなり、スエズ侵攻は失敗した。この時はアメリカは中東での英仏の政治力の復活を阻止するために、ソ連と同調する立場を選び、英仏の中東地域における威信は失墜した。

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アジアに目を向けると、日本軍の撤退した後のインドシナ地域では、ソ連および中国が支援する北ベトナムと、共産化を阻止したいアメリカの支援する南ベトナムとの間で激しい戦争となっていた。1963年11月のケネディの暗殺によって大統領に就任したリンドン・B・ジョンソンは、ケネディのベトナムへの援助縮小の方針を覆して軍事介入に方針を転換し、1964年8月にトンキン湾でアメリカ海軍の駆逐艦が北ベトナム海軍の魚雷艇に魚雷攻撃を受けたことを口実に(トンキン湾事件)、ベトナム戦争への本格的な軍事介入を行った。
なお、1971年6月にニューヨーク・タイムズの記者が、ペンタゴン・ペーパーズと呼ばれるアメリカ政府の機密文書を入手し、トンキン湾事件は、ベトナム戦争への本格的介入を目論むアメリカが仕組んだ自作自演であったことを暴露した。これは、当時国防長官だったロバート・マクナマラも、1995年に同様の内容を告白している。
アメリカが海外政情に介入する時に、自作自演の事件を仕組むやり方は、これ以降も様々な形で増加していく。

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西側諸国において戦後の経済が目に見えて発展してくると、東欧諸国の経済力は相対的に低下し、ワルシャワ条約体制の中で民主化改革を望む声が高くなった。これに対しソ連は、対東欧の影響力低下を恐れて、時には軍事力をちらつかせながら、政治的な引き締めを強化した。逆に、アメリカとソ連の関係は、中東問題での協力、核兵器不拡散条約交渉の推進などを通じて、共存関係が確立されていった。

Plag0002 1968年、チェコスロヴァキアでアレクサンデル・ドゥプチェクが第一書記に就任してから始まった、社会制度および政治制度全般の民主化を目指した「改革」運動は、「プラハの春」と呼ばれた。東欧地域における民主化運動の高揚に危機感を抱いたソ連は、ワルシャワ条約軍約5万人で国境を越えてチェコスロヴァキアに侵攻、ドゥプチェクを武力で排除してチェコスロバキアの社会主義体制を確保した。この時のソ連の論理は、「1国の社会主義の危機は社会主義ブロック全体にとっての危機であり、他の社会主義諸国の利益を守ために1国の主権は優先しない」というもので、ソ連共産党書記長の名前に因んで「ブレジネフ・ドクトリン」と呼ばれた。
西側陣営、とくにアメリカは、ドゥプチェク指導部による改革運動に共感を寄せていたが、結局、具体的な行動をとることはなかった。すでにその枠組みが固まってきた冷戦構造下のヨーロッパで、、米ソのそれぞれの勢力圏に対する相互不干渉という暗黙のルールが出来上がっていった。

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1966年8月に開かれた中国共産党第8期中央委員会第11回全体会議以後、中国では全土にわたっていわゆる「プロレタリア文化大革命」(文革)が広がり、社会、政治、経済、治安にわたる秩序の混乱が起きていた。
当時、毛沢東が推進していた「大躍進政策」は、人海戦術で世界最大規模の製鉄産業を興し、農村を人民公社に移行して食料の大増産と工業化を一気に進めようというものであったが、実際には、製鉄工場は実用不可能な屑鉄を大量に生み出し、食料は自然災害なども加わったため、多くの餓死者を出すような悲惨な状態になってしまった。
こうして、壮大な失敗に終わった大躍進政策だが、実はこの間に中国は核兵器開発では1964年の最初の核実験成功、1967年の水爆実験成功と、大きな成果を上げていた。米ソの超大国に追いつくために、毛沢東は急激な工業化と核開発政策を並行して進めていたのだ。全国の農村に作られた人民公社は、単なる農業生産組織ではなく、政治、経済、文化、軍事など国家と社会のあらゆる機能を兼ね備えた一種の「小国家」であり、もし非常事態で中央政府が壊滅しても、やがて中国を再生させる核となる存在だった。毛沢東は、中国が核攻撃を受けて、中国の人口の半分が死んでも、半分は生き残って、また元に戻っていくと、と発言して世界を驚かせたが、その根拠は人民公社の存在にあったわけだ。

Mao01 毛沢東は、1957年にソ連のスターリンから核兵器開発の技術援助を受ける協定を結んだ。以後、中国の核兵器開発は、ソ連の技術援助により進められた。中国は19世紀に帝国主義強国の侵略を受けた経験から、アメリカを中心とする西側陣営を帝国主義勢力として恐れ、対抗できるだけの軍事力を持つ必要性を強く感じていた。
しかし、キューバ危機で核戦争の危機に直面したばかりのフルシチョフは、こうした毛沢東の覇権志向と核武装路線を警戒し、ソ連は1959年に中国に対する核開発技術援助供与を一方的に打ち切った。これ以降、中国とソ連の関係は悪化し、毛沢東はソ連との同盟関係を反故にして、ソ連の社会主義陣営を離脱した。

劉少奇国家主席は、毛沢東の政策による混乱と民衆の生活の荒廃に心を痛め、毛沢東批判を強めた。これに対し、毛沢東は劉少奇や鄧小平などの批判勢力を、社会主義を裏切り資本主義に走る「走資派」と呼んで反撃し、若者を集めて紅衛兵を組織し、彼らを扇動して劉らを共産党から除籍した。周恩来は、毛沢東の核武装による国家建設の方針に賛成ではなかったが、表立って反抗するよりも、同士の立場で毛沢東の行過ぎにブレーキをかける役割を選んだ。 
劉少奇を失脚させ、実権を取り戻した毛沢東は、さらに高性能の核ミサイル開発を推進した。一方のソ連は、中国が核大国になる前に叩こうという考えに傾いていった。こうして、中ソの対立は双方のイデオロギー上の非難合戦の裏側で、軍事的衝突、すなわち戦争に向けて緊張が高まっていった。

1968年のワルシャワ条約機構軍のチェコスロヴァキアへの介入を見て、中国はソ連の軍事的拡張政策を恐れ、厳戒態勢に入る。そして、1969年3月に、ウスリー川(黒龍江)ダマンスキー島(珍宝島)で中ソ両軍が衝突し、中ソ国境紛争が勃発した。これをきっかけに中ソ両国が全面戦争の態勢に入ったため、核戦争の可能性が生起した。
結局、ベトナム戦争のために日本や韓国に大きな兵力を駐留させていたアメリカの存在を警戒したソ連は、コスイギン首相が北ベトナムのホー・チ・ミン国家主席の葬儀参列の帰路、北京を訪問して周恩来と会談し、紛争を終結させることに合意し、戦争は回避された。

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1970年代を迎えて、米ソ二大超大国による緊張の下での安定という冷戦構造は、中国に続いて英国、フランスも核の保有に至り、平和維持が困難になってきた。ここに「バランスオブパワー」という概念を持ち込んで、複雑な外交政策で新しい安定状況を作り出そうとしたのが、ニクソン政権で安全保障担当補佐官の任に就くヘンリー・アルフレッド・キッシンジャーだった。

第二章(4) 【1972年 モスクワ】 につづく。

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