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文明の黙示録(22)

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                   第二章 資本の野望 (11)

                   【 1993年 モガディシオ 】

Gulfwar01 1990年8月2日、イラクのクウェート侵攻に対して、国連安全保障理事会は即時無条件撤退を求める国連決議第660号を採択した。対イラクの国連軍の出動は政治的に難しかったため、アメリカは有志による多国籍軍を編制、英国、フランスなどが参加、アラブ各国からもエジプト、サウジアラビアなどがアラブ合同軍を結成してこれに参加した。
翌1991年1月17日、多国籍軍によるイラクへの爆撃を皮切りに、「砂漠の嵐作戦」が開始された。圧倒的な兵力差に加えて、米軍のコンピュータ技術を駆使した最新鋭兵器の威力は凄まじく、2月27日にはイラク軍はクウェートから撤退、同日中にブッシュ大統領は停戦を発表し、サダム・フセイン大統領も敗戦を認めた。3月3日には暫定停戦協定が結ばれ第一次湾岸戦争が終結した。

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多国籍軍側には、フセイン政権を倒すまで攻撃を続けるべきとの意見もあったが、ニカラグア介入などで強い批判に曝されていたブッシュ政権は、早い段階で軍を引き上げて泥沼にはまることを避け、イラクの現地反政府勢力によるフセイン政権打倒に期待した。しかし、サダム・フセインはイラク軍の多くの兵器と兵力を温存したまま停戦に応じたため、終戦直後に南部シーア派住民と北部クルド人が反フセイン暴動を起こしたが、フセインは温存した軍事力でこれらを制圧してしまった。

湾岸戦争では、最前線の映像が衛星中継によって世界中のお茶の間のテレビに映し出される、という史上初めての試みが行われた。この結果、世界の人々は米軍の新鋭兵器の威力をまざまざと見せつけられた。遥か洋上の軍艦から、数センチメートルの誤差なく打ち込まれるトマホークミサイルや、地下深くに隠された施設も破壊する地中貫通爆弾(バンカーバスター弾)、レーダーに捕捉されないステルス戦闘機や真っ暗な闇の中でも敵を見つけられる赤外線スコープをヘルメットにつけた兵士の姿など、米軍の強さは直接戦争に加わらなかった国々でもしっかりと認識された。

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これにより、アメリカの石油資本企業は、湾岸戦争終戦後の中東地域でアメリカの存在感が高まり、アラブ産油国に対して強い発言力を発揮できると期待したが、実際には予想外の現象が起こった。多国籍軍側に参加して勝ったはずのアラブ諸国でも、米軍の強大な軍事力を見せつけられて、敗戦したイラクへの同情とともに、そのアメリカにこれから牛耳られるのではないか、という恐怖が広がったのだ。さらにアメリカは、イラク攻撃のための拠点として一時的に駐留していたサウジアラビアやバーレーンを、イラク監視を名目に恒久的な基地としたため、イスラム教の聖地メッカとメディナを有するサウジアラビアへの異教徒の軍隊の駐留に対して、イスラム原理主義者たちから強い反発が起こった。

Abc_osama01 中でも、1989年にアフガニスタンからソ連軍が撤退した後、サウジアラビアの実家に帰っていたオサマ・ビンラディンは、サウジ王室に対して強い抗議の姿勢を見せた。
ソ連が去ったアフガニスタンに対して、アメリカは急速に興味を失った。国内ではイラン・コントラゲート事件のスキャンダルが吹き荒れ、CIAの外国への介入工作も大幅に縮小せざるを得なくなっていたため、アメリカ政府はアフガニスタンから手を引いた。その結果、アフガニスタンに誕生したムジャヒディンによる連立政権は内部紛争で分裂し、社会の混乱は収まらず、アフガニスタンの人々が願っていた平和な暮らしは訪れなかった。また、資金援助を打ち切られたイスラム義勇兵たちは、それぞれの国に帰らなければならなくなったが、帰ったところで仕事があるわけでもなく、惨めな生活を送っていた。
イスラム教徒を、自分たちの利益のために使い捨てにするアメリカに対して、オサマは反発を強めていったが、その怒りの矛先はサウジ王室の政策にも向かい、王室を公然と批判するようになった。1992年、反政府活動を展開していたオサマは、サウジ王室によって国外追放を宣告され、スーダンに入った。

オサマは、スーダンでカリスマ的なイスラム指導者ハッサン・トゥラビと出会い、トゥラビが率いる国民イスラム戦線(NIF)に合流する。スーダンでのオサマは土木、インフラ開発の会社を立ち上げ、イスラム教徒たちを雇用した。丁度、パキスタン政府の元イスラム義勇兵一掃によってパキスタンを追い出された元兵士たちが、オサマを頼ってスーダンに集まってきた。
アメリカ国務省の記録によれば、オサマの会社はハルツームとポート・スーダンを結ぶ街道を建設したほか、空港建設にも加わっている。また、オサマは貿易会社を設立し、ゴム、トウモロコシ、ヒマワリ、ゴマなどの輸出をほぼ独占していた。農業でもスーダン東部に大規模な農地を所有していた。
1996年9月26日付ニューヨーク・タイムズ紙は、オサマの組織がイランとスーダン両国との間で、対アメリカおよび対イスラエルの共闘で合意した、と報じたが、9月29日に出されたイラン国連代表部の声明は、報道内容について断固否定した。

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Bhd01 1969年から混乱が続いていたソマリアでは、1991年1月に反政府勢力統一ソマリア会議(USC)がバーレ大統領を追放して暫定政権を発足させたが、USCの内部分裂から内戦状態に突入し、1991年12月に国際連合に対しPKO部隊派遣が要請された。
1992年12月、国連安保理はPKO国連ソマリア活動のため、米軍を中心とする多国籍軍を派遣。続いて1993年5月、武力行使を認めた第2次国連ソマリア活動を開始したが、世界各地から集まったイスラム義勇兵たちが、アルイティハードというソマリア南部のイスラム主義武装組織を支援したために、国連軍の活動は阻まれた。
1993年10月、首都モガディシオを襲撃したアメリカ特殊部隊が、逆に地元武装勢力に包囲され、18人の米兵が殺された。そのうち1人は騒乱状態の市民に遺体を引きずり回されてさらし者にされ、そのシーンをテレビが世界に向けて放映したため、アメリカ国内ではソマリアからの撤退を求める世論が高まり、クリントン政権は体裁を整えるひまも無く米軍撤退を指示せざるを得なかった。
アメリカ国務省は、この時パキスタン、インド、バングラディシュ、エジプト、セネガルなどから集まったイスラム義勇兵はオサマ・ビンラディンが集めた、と発表したが、1998年10月にABCニュースのジョン・ミラー記者のインタビューに応じたオサマは、自らの関与を否定した。

ソマリア紛争への軍事介入失敗の後遺症で、クリントン政権下では世間の厳しい目によって海外への米軍派遣が難しくなった。このことは、国内の「ネオコン」と呼ばれる強硬タカ派勢力の欲求不満を高めることとなった。

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Sarajevo01 ソ連の崩壊によって社会主義圏で民族自決の動きが広がる中で、ユーゴスラビアではスロベニアとクロアチアの独立に続いてボスニアも1992年の3月に独立を宣言した。しかし、独立賛成派のムスリム人と独立に反対の少数セルビア人勢力との武力衝突が勃発してしまう。
戦局は、セルビア共和国の支援を受けて武器兵力の数で上回るセルビア人勢力が優位に立ち、首都サラエボはセルビア人勢力により包囲された。一番の目抜き通りであるチトー将軍通りは「スナイパー通り」と称され、スナイパーによる狙撃の恐怖にさらされて買い物に出なければならない一般市民に多数の犠牲が出た。
国連では明石康氏を旧ユーゴ問題担当・事務総長特別代表に任命して事態の収拾に努め、94年4月にはNATOによるセルビア人勢力占領地への空爆が行われ、アメリカによるムスリム人勢力に対する軍事援助も開始されたため、形勢は一気に逆転した。94年12月にはカーター(元合衆国大統領)特使がボスニアに入り、4ヶ月の停戦が実現した。
このボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でも、CIAはアフガニスタン作戦と同じようにイスラム義勇兵を集めてムスリム人勢力の側で戦わせようとしたが、ボスニアのムスリム人たちはアラブのイスラム教徒とは宗教的に異なっていたため、傭兵給与目当ての兵士ばかりしか集まらなかった。むしろイスラム世界では、イスラム教徒を前線に立たせて血を流させるアメリカに対する憎しみが増大していった。

第二章(12) 【1998年 カンダハル】 につづく。

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