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文明の黙示録(24)

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                   第二章 資本の野望 (13)

                   【 1998年 ワシントンD.C. 】

01 湾岸戦争終結後、アメリカの期待したイラク国内の反政府勢力によるサダム・フセイン政権への反乱は、イラク軍によって簡単に制圧されてしまった。ブッシュ大統領は、1991年10月からロバート・ゲイツ国家安全保障副顧問を中心に、サダム・フセイン暗殺工作を画策したが、これも成功しなかった。
一方、CIAはイラク民主党(INC)やイラク愛国会議(INA)などの親米反体制組織と協力して、イラク国内で体制転覆活動を行ない、1994年には、ワフィーク・サマライ元イラク軍事諜報局長の亡命を受けて、彼の情報をもとにした政権転覆計画を実行した。しかし、こうした秘密工作はサダム・フセインの諜報機関に摘発され、イラク政府は反政府活動の協力者たちに大粛清を行った。ついに1996年、CIAは拠点としていた北部クルド族地域に対するイラク軍の軍事侵攻によって、イラクから撤退せざるを得なくなった。

1996年以降、クリントン政権はイラクに対する介入行動には消極的となったが、アメリカ議会で多数を占める共和党は対イラク積極策の必要性を強調し、クリントン政権批判を強めた。国連では、ロシアや中国などがイラクの国際社会復帰の道を後押しし始めたため、危機感を持ったポール・ウォルフォウィッツ(後のブッシュ政権の国防副長官)やジェームズ・ウールジー(元CIA長官)ら対イラク強硬派議員らが中心となって、フセイン政権の打倒を目指す政策が議会で次々に可決された。

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M_lewinsky 1998年のビル・クリントン大統領は年初から前代未聞のスキャンダルに見舞われていた。クリントンは、1994年の合衆国大統領就任直後にも、アーカンソー州知事時代の部下だったポーラ・ジョーンズさんにセクハラで告訴されていたが、98年1月にはホワイトハウス研修生モニカ・ルインスキーさんとの「不適切な関係」が明らかになったのだ。スキャンダルが持ち上がった直後は疑惑を否定していたクリントンだったが、7月29日にモニカが刑事免責の上で証言すると、クリントンの不倫および偽証教唆の疑惑は決定的になった。
スター特別検事の厳しい追求もあり、クリントンのスキャンダルは、大統領の弾劾裁判に結びつく可能性が高くなった。そんな中、クリントンは8月18日にテレビで事態の説明を行い、モニカとの「不適切な関係」があったことを認めた。クリントンは「家族に謝罪」し、「深く反省している」と神妙な姿勢に努め、弾劾回避を狙った。肩を落として反省しきりのクリントンに対して、世間は比較的同情的な見方に傾きつつあった。

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01_2 1998年8月7日、ケニアの首都ナイロビのアメリカ大使館に爆薬を満載したトラックが突っ込み、この自爆テロによってビル内にいた大使館員と民間人など291名が死亡し、、5000名以上が負傷した。完全に崩壊して瓦礫の山となった大使館の映像は、アメリカはもちろん、世界中に配信されて人々に大きな衝撃を与えた。
同日同時刻頃、タンザニアの首都ダルエスサラームのアメリカ大使館も同様のトラック攻撃に会い10人が死亡、77人が負傷した。
これらの攻撃は「イスラム聖地解放軍」と名乗るグループが犯行声明を出したが、このグループは実態は全く不明だった。この頃、オサマ・ビンラディンが対米宣戦布告を宣言していたため、事件はオサマ・ビンラディンの指示によるアルカイダの犯行とされたが、確定的な証拠は無かった。
むしろ、爆破に使用された爆薬は極めて高性能なものであり、通常テロリストの使うものとは異なる点が指摘され、軍関係の関与を疑う見方もあった。ケニアでは、前年からモイ大統領が絡んだ「ゴールデンバーグ事件」と呼ばれる大規模な汚職疑惑が持ち上がり、IMFなどの要請で事件に関する特別の捜査組織が作られて調べが進んでいた。7月には捜査も大詰めを迎え、事件に関する重要資料がアメリカ大使館内に保管されていたが、この爆破テロでそれらが失われてしまった。
事件発生後、イスラエル軍がいち早く現場に到着して救助作業を行ったが、それはアメリカからのFBIの到着よりも早かった。イスラエル軍はアメリカ大使館が保有していた機密資料を探しに来たのではないか、とも言われている。

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Tomahawk01 8月20日、アメリカ当局はアフリカの二つの大使館爆破事件の首謀者はオサマ・ビンラディンとイスラム過激派アルカイダと断定し、クリントン大統領はその報復攻撃の実行をテレビで発表した。対象はアルカイダの拠点と断定したスーダンの首都ハルツーム郊外にある化学兵器工場と、アフガニスタンのテロリスト訓練キャンプで、インド洋に展開していた複数の軍艦からトマホーク巡航ミサイルが多数撃ち込まれた。
後日判明したところによると、VX神経ガスを製造していたとされた「化学兵器工場」は、実は民間の薬品とミルクを製造している工場であった。そのアルシーファ製薬工場では、国内需要の90%にあたる結核やマラリヤの薬を製造していたが、アメリカの攻撃で完全に設備が破壊され生産が途絶えたため、その後の1年間で多くの子供を含む何万人もの人々が治療可能な病気に罹り、死んだ(ボストン・グローブ誌1999年8月22日号)。
また、アルシーファ工場は、この広大な、大半が牧羊地である国の唯一の獣医薬を作る工場でもあり、羊の群れから羊飼いに感染する寄生虫の薬を製造していた。この寄生虫は、スーダンで幼児の死亡率が高い主たる原因の一つになっている(ガーディアン誌2001年10月2日号)。
アルシーファ工場へのミサイルは、工場の休業日に撃ち込まれたため、直接の犠牲者は多くなかったが、こうして間接的には多数の死者がでる結果となった。

また、ミサイル攻撃のタイミングがクリントン大統領のスキャンダル会見の直後だったことから、国民の目をそらせるためではないか、との指摘もあった。

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湾岸戦争以降、イラクは大量破壊兵器所持の疑惑や、核兵器開発疑惑を晴らすために国連の査察を受けていた。しかし、1998年10月31日、イラクは国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)への協力を全面停止し、1990年以来続く経済制裁を「不公正」として制裁解除を求めた。
これに対し、国連安保理事会が緊急協議を開いてイラクを非難し、アメリカは米軍の中東への爆撃機を増やすなど、軍事力行使の姿勢を見せた。不安の高まる中の11日、イラクはアナン国連事務総長にUNSCOMおよび国際原子力機関(IAEA)の査察再開を、無条件で受け入れると表明した。
しかし11月20日、生物・化学兵器に関する資料や文書の提出を求めるUNSCOMの要請に対して、イラクはその提出を拒否、12月17日、米英軍が爆撃機や巡航ミサイルによるイラク空爆を行った。作戦は4日間で終了し、この間に発射された巡航ミサイルの数は合計で415発以上と、湾岸戦争時を上回った(「砂漠の狐」作戦)。
英米の単独行動について、ロシアは「安保理の承認なしに武力行使に踏み切ったのは、国連憲章違反」と激しく反発、中国もこれに同調した。日本は、いつものように攻撃開始と同時にアメリカ支持を表明した。全体としては、湾岸情勢の不安定要因であるイラクへの不満もあり、黙認する国が多かった。

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12月19日 米下院臨時本会議で、不倫もみ消し疑惑をめぐるクリントン大統領の弾劾訴追決議案を賛成多数で可決、翌1999年1月から、実に131年ぶりという大統領弾劾裁判が始まった。しかし、2月12日、クリントンの弾劾裁判は、上院での採決の結果「大陪審での偽証」および「司法妨害」ともに無罪という判決で確定し、およそ1年に渡るホワイトハウス・ハレンチ・スキャンダルは幕を閉じた。最後は、国民もいい加減疲れ果てて、モニカ・ルインスキーの名を聞くだけでうんざり、という拒否反応を示していた。

クリントン大統領は、こうしたスキャンダルにもかかわらず、国民からは60%を超える高い支持率を得ていた。しかし、1993年のソマリア撤退以降、米軍の出動に消極的なクリントン政権に対して政界右派、軍需産業を中心とした経済界からは強い不満が示されていた。イラクに対しても、国連などの国際機関中心の対応に任せた結果、ロシアや中国の擁護を受けてイラクが立場を持ち直しつつあり、ユダヤ・ロビーと呼ばれるイスラエルを援助する勢力はクリントン政権に失望していた。ワシントンでは、モニカ・ルインスキースキャンダルで死に体となったクリントンを見限り、米軍の大規模な展開を求める軍産複合体、積極財政政策を求める財界、強いアメリカの再構築を求める政界などの思惑が一致して、ポスト・クリントンについて共和党の「ネオコン」グループの政権を作る計画が密かに動き出していた。

第二章(14) 【2000年 マイアミ】 につづく。

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